第50話 小松潤・九日目午後その二

「斎藤は、俺たちに施されたことを報せるために、石田と橋本の身体を使って手術をやったんだ。そしてその手順をあのファイルにまとめていたのか」

 何ということを。

 潤は目眩がするのを感じた。

 そんな、目には目を歯には歯をみたいな方法をやっていたなんて、信じられない。

「もっと他の方法はなかったのかよ」

「なかったわ」

「っつ」

 答える声があって、潤はびくっと肩を震わせる。恐る恐る振り返ると、そこには土屋の姿があった。

「あっ」

 逃げなきゃいけない。そう思うのに、足が動かなかった。

 恐怖だ。目の前の土屋が何を考えているのかが解らず、恐怖を感じてしまう。

「真実を知ったあなたは、やるべきことがある。逃げちゃ駄目よ」

 土屋が部屋の中に入って来て、潤に近付いてくる。

「な、何言ってるんだ」

 しかし、潤はもう何が何だか解らなくて後退ることしか出来ない。いや、この土屋が何を目的にこんなことをやっているのか、全く見えないせいで怖い。

「さあ。戻って来て。あなたはこれから、警察に行って、総ての真実を告げるという役目があるのよ。支度しなくちゃ」

 土屋は潤に向けて微笑むと、そう声を掛けてくる。

「そ、そんなことをしたら、お前だってただでは済まないんだぞ」

 潤は何とか土屋から距離を保ちながら叫んだ。ここで潤が警察に保護されれば、土屋が斎藤を手伝っていたことが露見する。それでも警察に行かせるというのか。いや、行かせるはずがないと潤は冷や汗が伝う。

「私のことがばれてもいいのよ。いえ、むしろ私も積極的に事件に加担していたと言ってもいいの。だって、私は総てを明らかにしたいんだもの」

 そんな潤の懸念を土屋は笑顔で否定してみせる。それどころか、優しく手を差し伸べるだけで、無理に追うのを止めた。

「な、何なんだよ、お前」

「あなたには生きてもらいたいのよ。カオリと一緒に」

「えっ」

「あなたが生き残ってくれてよかったわ。そして、その頭脳があって助かった。お願いよ。カオリのためにも協力して。あなたならば出来るでしょ」

「な、何を言って」

 ますます訳が分からないと、潤は首を横に振るしかない。確かに土屋はカオリを大事にしているようだったが、どうして潤がそのカオリに協力しなければならないのか。

「全部を知らなくても、あなたは解決できるはずよ。小松潤。あなたは病気になるまで、私のかけがえのない友達だった」

「……」

「だからあなたを全力で助け、あえてあの時、麻酔がすぐに切れるようにも仕向けた。あなたがここに違和感を抱き、真相に気づけるように」

「な、何を言って」

 目の前が、真っ暗になる。


 これ以上、俺の生きている世界を揺さぶらないでくれよ。

 かつて、小松潤として生きてきた記憶は何一つないんだぞ。

 それでも、やけに土屋が自分に親しげだったのも事実で――


 この女は、かつての俺を知っているんだ。


「うわああああ」

 拒絶の気持ちが上回り、潤は大声を上げて土屋に突撃していた。彼女を弾き飛ばすと、そのまま廊下を駆け抜ける。


 嘘だ、嘘だ、嘘だ。

 かつて、自分が土屋と会っていたことがあるなんて。


 土屋はまるで、潤がiPS細胞について理解しているものだと扱っていた。それはどうしてだ。


「嫌だ。俺はっ」


 研究者だったかもしれないなんて、思い出したくない。

 iPS細胞を扱っていたかもしれないなんて、知りたくない。

 自分が斎藤や石田や橋本と同じ存在だったなんて、受け入れたくない。


「大丈夫か?」

「っつ」

 無我夢中で走っていたら、誰かに抱きとめられた。振り払おうとしたが、そいつはがっしりと潤をホールドしてくる。

「おいっ、まだ確認できていない被害者がいたようだ。落合、応援を呼べ」

「は、はい」

 そいつが叫ぶのが聞こえて、潤はようやくそいつの顔を見た。がっしりした男だった。少なくとも、病室に閉じ込められて叫んでいた男とは全く違う。そして研究者たちとも違う雰囲気を持っていた。

「君、大丈夫か」

「えっ、は、はい」

 何とか呼吸を落ち着けて返事をすると、こっちにと促された。そこで初めて潤は自分が玄関まで走って来ていたことを知った。

 急に明るくなった視界に顔を顰め、それでも我慢して目を開けていると、そこに飛び込んでいたのは、いつも鉄格子の隙間から見ていた外の景色だった。

「あっ」

「もう大丈夫です。車の中にどうぞ」

 車の中から小柄な女が出てきて、潤を促して今出てきたばかりの車に乗せる。車の中には無線があって、何かをがなり立てているのが聞こえた。

「け、警察」

「そうです。G県警の落合です。落ち着かれましたか」

「は、はい」

「大変でしたね。もう、大丈夫ですよ」

 落合と名乗った女性はそう言ったが、潤にとっては全く大丈夫じゃなかった。

 予想外の事態で、斎藤たちが望んだ警察に保護されるという事態になってしまったではないか。

「あ、あの」

「すみません、お名前を聞いてもいいですか」

「えっ、こ、小松潤です」

 潤が名乗ると、落合は無線に向けて俺の名前を告げる。そしてすぐに病院に運ぶからと告げられた。

「びょ、病院」

「大丈夫ですよ。体調に問題がないか、確認してもらうだけです。長い間、ここに監禁されていたんでしょう」

「――え、ええ」

 潤は咄嗟に落合の言葉に頷いた。そして総てを了解した。


 土屋が自分を選んだのは、研究者だった過去があるからか。

 やけにきっちりと知識を与えたのは、研究者として受け答えが出来るようになのか。


 多分、何とかなる。

 助かったんだ。

そう思ったら、潤は自然と意識を手放していた。



『G県S川に連続して死体が遺棄された事件で、警察は斎藤隆一と土屋七海が犯人であったと断定しました。二人は警察が駆け付けた時にはすでに死亡しており、警察は被疑者死亡のまま送検するとのことです。また、行方不明になっていた川上賢太さんを保護するとともに、小松潤さん、馬場香織さんも同じ研究所に監禁されていたのを発見し、保護しました』

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