第46話 土屋七海・九日目午前

 斎藤の点滴を調整しながら、土屋は大きく溜め息を吐いていた。

 警察は無事にこの研究所の存在を突き止め、さらに斎藤と自分の繋がりを見つけられたようだ。しかし、まだここに乗り込んでくるだけのものを突き止められていないらしい。

「まあ、そう簡単には無理よね。ここの研究のことを多くの研究者は口に出すことが出来ない。非合法な実験。それに自分もまた直接間接問わず協力してしまっているんですもの。石田、橋本、斎藤の三人ほどではないにしても、それなりに検体を使ってiPS細胞の研究を行ってしまったんだから」

 一昨日も無理やり眠らせたが、やはりここ数日の疲れが蓄積しているようだ。さほど強くない麻酔でも、そのままぐっすりと眠っている。このまま、後は自動的に終焉へと向けて動くだろう。

「そうしたら、私はようやくナミと生きていけるのかしら」

 しかし、それは駄目だ。土屋は首を大きく横に振ると、妹のことを思って溜め息を吐いてしまう。

 土屋波香つちやなみか。彼女はもう、この世にはいないのだ。その事実は覆せない。

 双子なのに、何もかも小さかった波香。その姿をずっと見てきた土屋は、どれだけの罪悪感に苛まれただろう。自分がこの子の分も栄養を奪ってしまったのだ。それを、ずっと思いながら生きていた。

 だから、アメリカに渡り、自分の努力で波香を救えるかもしれないと知った時、どれだけ嬉しかったか。生まれる前に奪ってしまった分を、今こそ返さなければと、そう決意するのは早かった。

 天才じゃない、ただ人一倍努力しただけだ。ただ、小さな妹を救いたい。その一心で必死に勉強した。

 そして、斎藤と出会って無事に研究をやり遂げられた時、どれだけ嬉しかっただろうか。波香がこれから普通に生きられると知った時、どれだけ喜んだか。

「あなたはいつも、優し過ぎるのよ。でも、それが過ちを生み出してしまう」

 静かに眠る斎藤の頬を、土屋は優しく撫でる。

 助けてもらったのは事実だ。しかし、それを上回るだけの憎しみもまた持っている。ここに波香を連れてくることになったのは、斎藤が断り切れなかったせいだ。土屋だけで納得させられると言っていたくせに、波香が土屋と一緒に行きたいなんて主張するように仕向けるだなんて。

「許せない」

 斎藤に総てを擦り付けるのが正しいとは思っていない。でも、そうしないと気持ちが抑えられない。自分の生きる総てだった波香を奪われたことが、どれだけ苦痛か。

「総ての業を背負って、私とともにこの世界から消えて」

 土屋は斎藤の耳元で、あの事故の時に波香がやったように囁く。

 あの時、七海も現場近くにいたのだ。波香が頼んできたことだったが、それでも何かトラブルがあった時にすぐに入れ替われるようにと、ずっと傍にいた。

 おかげで、事故の瞬間を目撃することになってしまった。

 斎藤が、普通の病院ではなくここに連絡するのも、すぐ傍で聞いてしまった。パニックになっていた斎藤は土屋に気づかず、波香の死体をこの研究所に運び込んでしまったのだ。

「ああ。まったく」

 なぜ斎藤がそんなことをしたのかと言えば、土屋だと思い込んでいる波香の頭脳を取り出すためだったのだ。橋本を説得して加担させて、数日前に運び込まれていた少女の死体に入れてしまう。そんな計画を、事故を見てすぐに思いついたのだという。

 それだけでも、彼がここの悪魔のような所業に染まってしまっていたということだ。土屋はそのまま波香との入れ替わりを続け、そして、この一連の事件をずっと、用意周到に計画し続けた。

「カオリの中にいるのは波香なのよ。私じゃないの」

 土屋は歌うようにそう斎藤に囁くと、点滴の袋にある薬剤を注入したのだった。

「さようなら」

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