第44話 原口雅晴・六日目午前
斎藤がどこにいるのか解らない、完全な行方不明だと判明した翌日。捜査本部は基礎病理研究研究所を徹底的に調べることを決定した。
もはやここで何かがあったことは間違いないのだ。ちまちまと関係のあった人間だけピックアップして聞くより、かつて勤めていた全員に等しく訊ねるほうが、情報量としても確かだという判断だ。
何より前日、石田や橋本と関係のあった面々は、証言を拒んでいる。それを考えると、全員から聞くというのは、やるしかない状況と言える。周辺から証拠を固めていくしかないのだ。
「まったく、どうして行方不明なんだろうな」
「そりゃあ、事件に巻き込まれているか、犯人かだからでしょう」
「でも、それならば少しは足取りが掴めるはずだろ。どうして何も出て来ないんだ?」
「さあ。でも、それを言ったら川上もじゃないですか。あっちは誘拐が確定しているようなものですが、何一つ足取りが掴めていませんよ」
「はあ。だな。あっちもなかなか手掛かりが出てこない。大学の中で誘拐されたと考えるしかないようだ」
原口は斎藤がかつて住んでいた単身向けマンションの部屋を出てから、この男に関してどう考えればいいのだろうかと頭を悩ませていた。すでに別の住民が住む部屋を訪れても手掛かりは何もないのだが、斎藤の生活圏を知る上では十分だ。
落合に運転を任せ、原口は斎藤はどういう暮らしをしていただろうと周囲に目を凝らす。
どこにでもある駅前の町。
独り暮らしとしては十分なマンション。
周囲はコンビニもファミレスもファストフード店もあって、料理も困らないだろう。
そんな場所を拠点とせず、どうして姿をくらませてしまったのか。
この生活を捨てたのであれば、犯人と断定してもいいように思う。しかし、斎藤という男はかなり優秀なようで、あの二人から蔑ろにされていたからといって、わざわざ復讐する必要なんてないように感じてしまう。
「動機は復讐じゃないのか?」
「ああ。確かに違うって感じがしますよね。アメリカに帰るっていうのを大学側がすっかり信用していたのも、向こうでかなり大きな成果を上げていたからなんですよね」
落合は運転をしながら相槌を打った。
そう、斎藤という男はアメリカでiPS細胞を研究し、造血幹細胞を作ることに成功している。それを移植して、一人の少女を救ったというのは、研究者の間ではかなり有名な話だそうだ。
その後、彼は血液そのものを作り出すことが出来れば、輸血が不足する問題を解決できるのでは、という問題に取り組んでいたという。その研究を進めている最中、問題の基礎病理研究研究所に誘われ、移ったということだった。それと同時に研究拠点を日本に移し、三か月前に辞めるまでそこに籍を置いていた。
「その救った少女について、調べることは出来るんだろうか」
「どうでしょう。個人情報保護に引っ掛かるような気がします」
「そうだな。この事件との関係性が証明できなければ、病院側を納得させられないか。っていうか、アメリカ人かもしれないもんな」
「ええ。手術はアメリカで行われたそうですから。って、アメリカ人とも限らないんじゃないですか。アメリカだったら、それこそ世界中の人が対象になっちゃいますよ」
「はあ、そうか」
どこまでも簡単にはいかない事件だ。厄介だろうとは思っていたが、ここまで厄介だとうんざりしてくる。
「何を手掛かりにすればいいんだよ」
ついに原口は声に出して頭を掻き毟った。手掛かりを見つけたと思っても、それがすぐに行き詰る。いい加減にしてほしい。
「ですよね。あっ、そう言えばその斎藤さん、土屋先生と面識があるんじゃなかったですっけ」
「えっ」
「ほら。その問題の造血幹細胞ですっけ、あの研究の時に共同で研究していたのが、土屋先生だったはずですよ。と言っても、ちらっと見ただけで確かではないですけど」
「すぐに調べる」
原口はなんてこったと、すぐにノートパソコンを開いた。この間の石田と川上の論文にうんざりしてしまい、斎藤の論文に目を通すのがなおざりになっていた。
「おっ、本当だ」
論文の著者の欄に、斎藤の次に土屋の名前があった。論文が発表されたのは五年前。その頃、土屋はまだ十代ではないか。これは驚くべき事実だ。
「土屋先生が若くして研究者として成功しているってのは知っていたが、これはびっくりだな。すぐに土屋先生から話を聞かなきゃならん」
「はい」
記憶違いをしていなくてほっとした落合は元気よく頷く。
一先ず、斎藤という手掛かりは途切れなかった。しかし、土屋は忙しく、なかなか連絡が付かない。橋本の解剖の時に新しい実験で忙しいと言っていたように、あの後から警察に顔を出していなかった。
「研究者ってのも意外に忙しいんだな」
今まで、原口はどこか浮世離れした存在だと思っていた。ところが、ここ数日で研究者の実態を知るにつれ、実はかなりのブラックなのではと思えていた。研究内容によっては二十四時間拘束されるのは当たり前。さらに休日返上で様子を見なければならないことがあるという。特に医学系や生物系は、動物や細胞、細菌という生きているものを相手にしているだけに、その傾向が強いようだ。
「刑事もかなり忙しい職業ですよ」
何を言っているんですかと、落合が頬を膨らませて反論してくる。確かに、
「どの職業も大変だなってことだよ」
「まあ、そうですね。今の世の中、暇な人っていないんじゃないですか」
「かもな」
みんな、何かに追われて生きている時代だ。と、なぜか思考がおかしな方向に進んでしまう。
「さっさとこんな変な事件は片づけて、有休消化したいところだ」
「同意です」
そんなことを言い合いつつも、二人揃って事件が早期解決するなんて、全く思えないのだった。
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