第27話 斎藤隆一・五日目

 今日から橋本への実験を進めていく。

 石田の時は単純作業の連続で時間が掛かったが、橋本の場合は繊細な作業が多い。そこが最も苦労するところだ。

 iPS細胞を使って臓器を作り上げるのと、脳を置き換えるのはさすがに勝手が違う。斎藤は必死に橋本の残した実験ノートを読み込み、実験手順をしっかりと確認した。

 手術室に入った斎藤は、培養液の中に浮かぶ脳の状態を確認し、大丈夫だと一つ頷いた。完璧な状態で完成している。次いで、ベッドに寝かしている橋本へと目を向ける。

 すでに手術のために髪を総て剃っているから、印象派かなり変わっていた。あの勝気な様子は、麻酔で眠るその顔からは読み取れない。

「まずは開頭」

 人間の頭蓋骨は固い。さらにその下にある硬膜を剥がすのも大変だ。手術用の鑿を手にしながら、ふうっと息を整える。

 石田の時は腹を割くだけだったから、斎藤も慣れたものだった。しかし、脳の手術は経験がない。失敗しても問題はないとはいえ、やはり緊張するものだ。

 カンカンっと、普段は手術室で聞くことのない音が響く。まずは前頭葉から弄るため、額に大きく穴をあけていく作業だ。

「やっているのはロボトミーのようだな。まあ、同じくらいに下劣か」

 黙ってやっていると気が変になりそうで、斎藤はそんなことを呟いた。

 ロボトミーとは一時、精神外科としてもてはやされた手術だ。精神疾患の疑いがある患者の前頭葉の一部を切り取ることで治療できると謳われていたが、当然、この手術が大きな副作用のあるものだった。

 ロボトミー手術を受けた患者は無気力になったり、感情を失ったりした。そう、人間性の喪失という副作用があったのだ。

 そもそも、脳を切り取ったところで精神疾患が治るはずがない。しかし、前頭葉を切り取られた患者がみな大人しくなったことから、当時の病院はこの手術を大いに歓迎したのだ。しかもそれは行き過ぎた結果を生み、犯罪者にまで施したことがあるのだから、医学の暴走は恐れ入る。

 今、自分がやっていることも、そんな医学の暴走の一部だと、斎藤は自覚している。

 ロボトミーがiPS細胞になっただけだ。

 いや、今まで数々の人体実験が行われてきた。それが現代に蘇っただけだ。

 医学を発展させるためには、どうしても最後は人間の身体で確かめなければならない。それが行き過ぎると、こういった異常な実験も平然とやってしまうのだ。

「見えた」

 あれこれと考えながら進めていたら、ようやく脳を露出させることが出来た。この場所で脳の入れ替えなんて発想が生まれるのかと、意外な気持ちになってしまう。

 脳。

これほど複雑怪奇な場所はない。人類がまだはっきりと正体を掴めないものの一つだ。ここにメスを入れることは、確かに高揚感を覚えるものだ。まるで自分が今から横たわる患者を作り替えていくような、背徳感のようなものもあった。

「なるほど、虜になるわけだ」

 橋本の気持ちを追体験しながら、斎藤はゆっくりと、だが確実に狙った部分を切り取っていく。

 それが自分を全く別の物に作り替えていることに気づくことのないまま、斎藤は手術に没頭していた。



『石田剛さんがS川で発見された事件について、警察は同じ時期に行方不明になっているT大学教授の川上賢太さんも同じ事件に巻き込まれているものと断定し、行方を追っています。石田さんと川上さんは過去にiPS細胞の研究を共同で行っており、警察はこの研究で何らかのトラブルがあったものとして捜査を進めています。また、石田さんの死体には大きな傷があり、警察は死体損壊の疑いでも捜査しています』

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