第26話 小松潤・五日目その二

 潤は妙に納得してしまった。どう頑張っても片鱗すら思い出せないのは、そもそも脳の一部が違うからだったとは。なるほど、これほど今までの説明と矛盾のない説明はない。

「担当したのは、橋本真由という研究者です」

「あの女か」

 やたらと冷たい目をした橋本を思い出し、潤は歯軋りをしてしまう。今会ったら、確実に殴り飛ばしそうだ。

「大丈夫よ。彼女は相応の罰を受けることになるわ。健康だったあなたの内臓の一部を勝手に作り替えた石田と同じようにね」

 土屋はそう言うと、ポケットからスマホを取り出した。そしてニュースサイトを開くと順に見せた。そこには石田の死体が発見されたとの記事がある。

「石田を殺したのか」

 衝撃的な記事に、潤は血の気が引くのが解った。

「私じゃないわ」

「じゃあ」

「今、あなたが知るべきは殺人犯じゃないわ。大丈夫。実験を明らかにするために必要なこと。それだけよ。あなたは自分の状態を知ることに集中して」

「だけど」

「じゃあ、あなたは自分の健康な心臓を取り出し、新たにiPS細胞で作った心臓を勝手に入れた石田を許せるのかしら」

「っつ」

 そう言われると、殺人に関して言及できなくなる。許せない気持ちは当然ながら持っていたからだ。

 何度か手術を受けた記憶のある潤は、何か実験されたのだろうことは解っていた。しかし、まさかそれが、新たに作った内臓を入れ替えるなんてことだったとは、思いもしなかった。それも問題のない心臓を奪われたと思うと、吐き気を伴った怒りが湧いてくる。

「この身体は、iPS細胞で作られたものが多くあるってことだな」

 潤はぐっと石田のことを問い詰めたい気持ちを押さえ、そう質問した。すると、土屋は満足したように笑うと頷いた。

「そう。石田の研究は内臓を丸ごと作り出すことだったわ。これはiPS細胞が最初に作られた頃から目標とされていたもので、いわばメジャーな分野だと言えるわ。とはいえ、作り出すには膨大な時間が必要だし、何より、成人サイズの内臓というのは大きいものだから、そこまで成長させるのが大変なの」

「へえ」

 でも、ここには二十二歳の青年として問題ないものが入っている。それは成長させることが出来たという証明になっていた。

「ええ。それを可能にしたのが私の技術なの」

「あんたの?」

「そうよ。iPS細胞を少し癌化させ、分裂速度を上げてあげるのよ。でも、失敗すればただの癌の塊が出来てしまうから、コントロールは非常に繊細なものよ」

「癌」

 それって病気じゃないか。大丈夫なのかと潤は思わずお腹を擦ってしまう。

「大丈夫よ。問題なく成長したものだから、あなたの内臓に癌が残っているなんてことはないわ。癌化というのは要するに、遺伝子を上手く操ることと同義なのよ。そういう操作をしないと、細胞をシート状に成長させるのがせいぜい出来ることになってしまうの。とはいえ、この技術だけでも多くの人を病気から救えるわ。目の網膜の再生であったり、心臓に貼り付けて動きをよくしてあげるなんてことが可能なの」

「ふうん」

 徐々に頭が混乱してきた。しかし、自分がとんでもない実験に付き合わされていたというのは理解できた。

 まだ確立されていない技術。それを、蘇られた潤たちの身体を使って実験していたのだ。

 いや、死体をiPS細胞を使って蘇らせるということ自体、世間では荒唐無稽なはずだ。実際、死者だったという潤自身だって、それを信用できていない。

 ただ、資料は総て潤が死亡していることを示していた。それが斎藤と土屋のフェイクである可能性もあったが、わざわざそんな嘘を用意する必要はない。ということは、潤が一度死んだことは事実なのだ。そもそも、それが嘘ならば前提条件が総て崩れるわけで、疑うだけ無駄だった。

 ともかく、潤やここにいた連中は、iPS細胞の次の可能性を探るために、好き勝手にされていたというわけだ。

「なんで、そんなことを」

「救える命を増やすためよ」

「救える?」

「ええ。この世界にはまだまだ治せない病気がたくさんある。さっき出てきた癌もその一つ。他にも何万人に一人しか罹らないような難病だってある。ともかく、病気の種類は多く、医者が治せる病気は少ない。その解決策をもたらすかもしれないのが、iPS細胞を上手く活用するという方法なのよ」

 目的そのものは猟奇的なものではなく、純粋な思いなのだと土屋は強調した。

 確かにiPS細胞の発展形とやらを土屋が確立したのだとすれば、猟奇的な目的だったと思われたくないだろう。しかし、謎がある。

「あんたって二十歳そこそこじゃねえの」

「ええ。でも、もう博士号は持っているのよ。日本での研究を始める前はアメリカにいたの。そこでiPS細胞の新しい理論を作り上げたのよ。私が十五歳の時」

「アメリカ」

「そう。生まれつき重い病気だった私の妹を救うためにアメリカに行ったんだけど、そこで私の研究の才能が開花したの。アメリカの教育制度は実力さえあれば飛び級が可能だから、私が妹を救うんだって必死だったわ」

 土屋は辛そうな顔で自分のことを語る。それが不可解だったが、潤が今知りたいのは土屋についてではない。

「妹はどうなったんだ?」

「死んだわ」

「それって」

 実験で失敗したのかと潤は息を飲んだが、実験は関係ないのと土屋は首を振る。

「じゃあ」

「交通事故だったのよ。元気になって、ようやく外で生活できるようになったっていうのに。飲酒運転の車に轢かれて、あっけなく死んでしまったわ」

「それは」

 潤も言葉に詰まる事実だ。

 せっかく病気を治せても、人間は別の理由で死ぬことがある。

 まさか土屋も、病気が治ってほっとしたところで死ぬなんて思っていなかっただろう。

 しばらく、土屋は何も喋らなかった。

「あなたには、生き残ってもらいたいの。あの子の分まで、正しく、本人のまま」

 そして、それだけ言うと、気持ちが落ち着かなかったようで、さっさと部屋を出て行ったのだった。

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