第7話 川上賢太・二日目
訳の分からないまま、一日が過ぎてしまった。
川上は頭を抱えてしまう。
ただし、少なくともここに川上を閉じ込めた奴らは、すぐに殺したいわけではないらしいことは解った。
というのも、川上が眠ったのを見計らったかのように、食事と水分が届けられるからだ。
一度目は昼寝をしてしまった夕方。二度目は今朝、起きたら置いてあった。
どちらも少し多めに置いてあり、いつ寝るか解らないので二食分ずつ配っているというような感じだった。どれも乾パンや缶詰というような非常食に近いものだが、それでもちゃんとご飯が食べられる。
「缶コーヒーもあったしな」
川上はその缶コーヒーを飲みながら、ここから出られない、風呂に入れないこと以外は至れり尽くせりだなと思った。
パジャマも食事と一緒に置かれていたから、夜は快適に眠れたし。
一体、犯人は何がしたいのだろう。川上は首を捻ってしまう。
「ああ、そういえば」
トイレは困りものだ。
昨日はただの椅子だと思っていたあれは、実は病室に置ける持ち運び型のトイレだったのだ。そこで用を済ませることは出来るのだが、あれは看護師か看護助手に中身をすぐに回収してもらうのが鉄則だ。そのまま放置すると、部屋の中に悪臭が立ち込めることになる。
今のところ大きな方をしていないので問題なさそうだが、それでも、部屋の中に自分の出したものがそのまま置いてあるというのは気分のいいものではない。
「それも寝ている間に回収してくれると助かるんだが」
川上はそう呟いて、そう言えば、どうやって自分が寝たことを知ることが出来たのだろうと疑問になった。
ひょっとして監視カメラがあるのか。
精神科の病室のような場所なのだ。そういうものがあったとしてもおかしくはない。
川上はきょろきょろと辺りを見回してみたものの、それらしいものは発見できなかった。解らないように上手く隠してあるのだろうか。
「どっちにしろ、何が目的なんだ」
ここにいつまで閉じ込めるつもりなのだろう。
そもそも目的は何なのか。
すぐに殺さないというのならば、身代金目的の誘拐ということだろうが、それにしたって奇妙だ。どうして犯人は姿を現さないのか。
「いや、そもそも誰が身代金を払うんだって話だよ」
川上は自分でツッコミを入れてしまう。
しがない国立大の教授の自分には、大した資産があるわけでもない。妻はいるが、彼女が川上のために多額の金を用意できるとは思えない。大学に訴えてみたところで、それほど重要な役職にいるわけでもないので、無視はしないだろうが、すぐに警察に電話されてアウトだろう。
「金が目的じゃないのか。ううん。じゃあ、何だ?」
全く以て解らない。ここ数年は単純作業の繰り返しのような研究しかしていないし、画期的なことをやったわけでもない。小さな成果はちゃんと生み出し続けているものの、それだけだ。
「そもそもiPS細胞だって、山中教授が生み出したもので俺が発見したものじゃないし」
川上は飲み終わった缶をテーブルの上に置き、脅すならば他に一杯いるだろうとぼやいてしまう。
そう、川上が研究しているものの土台は
それまでは胚性幹細胞、ES細胞を利用するのが、クローンを作る技術としては当たり前だった。しかし、これは受精卵から採取されるもので、多くの倫理的な問題を含むものであった。さらにクローンは様々な感情的嫌悪もあって、なかなか発展しない分野に陥っていた。
それを変えたのがiPS細胞である。日本語に直すと人工多能性幹細胞と言われるこの細胞は、最初、マウスの皮膚細胞から作り出された。この発見により、細胞を初期化させて様々な部位を作り出すことが出来る万能細胞は、受精卵を必要としなくなったのだ。
iPS細胞の発見からすでに何年もの時間が流れている。その間に多くの研究者が参加し、あらゆる研究がなされているのだ。川上が攻撃される謂れはない。
「一体何が目的なんだろうなあ。ここでずっとぼおっとしていろとでも言うつもりなのだろうか」
休暇と思うべきか。
部屋から出られない以外に、一応不便は少ないようになっている。しかし、誰がやったか解らない気持ち悪さもあって、この何もしなくていい状況を楽しめそうにない。
「本もないからな」
そもそも、何もない状態で暇を潰すというのも難しい。数学者ならば頭の中にある数式をこねくり回しているところだろうが、医学系にはそんなことも出来ない。
「ここはどこなんだろうな」
僅かに開く窓を開けて、そうぼやくことしか出来ないのだった。
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