第3話 小松潤・一日目

 またここに戻って来るなんて。

 その落胆は、とても大きなものだった。

 他の病院に移るという形だったが、生き残ることが出来たと、そう思っていたのに。

「やっぱり殺すつもりなんだな」

 小松潤こまつじゅんはベッドに寝転んだまま、頭の後ろで手を組んでぽつりとつぶやく。

 この病院がかなりヤバい場所だというのは知っている。

 人体実験を平然と行っているのだ。それもかなり猟奇的な実験をやっている。

 そんな潤もすでにいくつか内臓を実験に使われている。移植して置き換わっているだけだが、それでも、何度も腹を割かれて臓器を取り出されているのは間違いない。

 最初は普通の手術だと思っていた。入院しているのだから、手術を受けるのは当然だとそう考えていた。

 しかし、何度目かの手術の時、真相を知ってしまったのだ。

 その日はどういうわけか、麻酔が覚めるのが早かったのだ。そして見てしまったのだ。

 たまたま見えたのは、隣のベッド。

 そこにいたのは、実験の末の可哀想な、自分と同じ入院患者の死に様だ。

「馬鹿、早くシーツを掛けろ。ジュンが目を覚ましたらどうするつもりだ」

 潤の隣のベッドがそのままになっていることに慌てて叫んだのは、あれは石田だろうか。斎藤はもう少し優しく言うはずだ。男の声だったから、このどちらかだろう。手術を担当している男の医者はこの二人しかいなかったはずだ。

 ともかく、その一件で潤は自分たちがただの入院患者ではないことを知った。自分たちは実験動物に選ばれたのだ。

 小さい頃からこの病院にいた気がするから、生まれながらに実験動物だったということだろうか。なんにせよ、殺される運命であることは間違いなかった。

 真相を知ろうが、潤には逃げる手段がなかった。部屋は今もそうであるように、窓には鉄格子、ドアは常に施錠されていて、医者か看護師がやって来る時しか開かない。それに病院全体がどうなっているのかも解らない。

 しかも、潤はすでに何度か手術を受けている。逃げ出したところで長く生きられないのは目に見えていた。今、自分のオリジナルの臓器はどれだけあるのだろう。腎臓は片側が違うものあのは確かだった。心臓は別のものになっていることを知っている。でも、本当にそれだけなのか、知る手段はない。

 あの悲惨な末路を見る限り、説明されているのは一部のはずだ。きっとこの身体はもうどこもかしこも普通ではない。

 それなのに、潤は一度、この病院を出るチャンスを得ることが出来た。普通の病院への転院だったが、実験動物から解放されたのだ。

 転院した先の普通の病院は、驚くくらいに賑やかな場所だった。そして自由な場所だった。

 だからこそ、自分が実験動物だったということが、より鮮明になった。

 一層のこと殺してくれればよかったのに。

 普通の世界なんて知らなければよかったのに。

 潤は普通の病院を目の当たりにして、何度もそう思ったものだ。

 しかし、この病院に戻ることを望んだわけではない。実験動物として死にたいわけではなかった。ただ、もう終わりにして欲しかっただけだ。

 だから、目覚めた時にこの見慣れた鉄格子が目に入った時、潤は目の前が真っ暗になった気がした。

「簡単には死なせてくれねえってか。今度はどこを持って行かれるんだろう」

 次の手術で死ねるだろうか。死ねなかったら、どんどん悲惨なことになっていくのではないか。

 脳裏に浮かぶのは、麻酔が切れてぼんやりと見てしまった死体だ。

 まだ意識ははっきりしていなかったから、詳細を覚えているわけではない。しかし、その死体が普通ではないことはすぐに判った。

 だって、その死体は人間としての厚みがおかしかったから。

 脳が半分むき出しだったから。

 この二点はまず間違いない、潤が確かに見たと言える部分だ。

 あれが誰だったのか、その判別は、意識がはっきりしていたとしても無理だったのではないだろうか。

 何人もの入院患者が当たり前に死んでく病院。

 普通の病院ならば回復して退院していくことがあるというのに、それが一切ない死の病院。

 それがここの正体だ。

 ここは何もかもが常軌を逸している。

 普通の病院を知ってしまったから、潤にはここの奇妙さが明確に解ってしまう。

「ああ、もう」

 知らなければ、ここから出たいなんて望まなかったのに。

 ひょっとしたら内臓を勝手に取り換えられた俺でも生きられるかも。そんな希望を抱くことなんてなかったのに。

「どうしてくれるんだよ」

 ここに戻ったことで、自分がどれだけ惨めな存在か思い知らされた気分だ。

「俺は、普通じゃない」

 ただこれだけが、潤の知る確かなことだった。

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