第10話 純種吸血鬼
肥大した腕がもとの大きさに戻って行く。
全身を巡る沸騰した血液に全身を赤熱させながら、絶対正義は振り向いた。
「―――まさか、俺の方が助けられるとはな」
そこにあるのは、すでに再生した頭を抑えながらもたしかに二足で立つ女。
脳を叩き潰されたことで頭が冷えたのか、体表の赤黒い脈が今はもう薄く目立たない。
そしてその傍らに―――紫水晶をはめ込んだ灰色の少女。
少女は瞬きの間に瞳を人のそれにすげかえると、女を見上げて自慢げに胸を張る。
「独自試作魔術式の37重魔術。一定範囲内の空間掌握並びに相対座標操作」
「これまた凄まじいものを……ちなみにさっき足がなくなったのと内臓が驚くほどひっくり返っていたのはそのせいか?」
「転位に伴う欠損と位置情報の混濁は仕方がない。思考ノイズによりこの世界から消失する可能性を避けただけ十分」
「まさか脳なしでよかったと思う時がやってくるとはな……」
脳なし(物理)。
もし仮に健常な状態で試みていた場合にどうなるのかと考えるのはやめて、女は手の中でマチェットを回すと少女を守るように前に出る。
「下がっていろ、と言うべきか手伝え、と言うべきか悩む」
「戦闘経験はない。から、『
「ピュアブラッド? 冗談だろう。デイウォーカーだとでも?」
「私の目を信じるなら」
「なるほど」
それは確証性の高い情報だと、女は自分たちを睨みつける絶対正義をしげしげと見やる。
『
生誕の瞬間から吸血鬼として存在を得た者。あるいはそれらが持つ、総計十三からなる特異の魔術のことを指す。
特異の魔術とは例えば再生であり、例えば身体の変異といったような恐るべき六の能力と、呪いとでも呼ぶべき六の制約、そして吸血鬼が吸血鬼たる核とでも呼ぶべき一からなる。
そもそもその身全てが魔骸とでも呼ぶべき彼らは、その十三―――正確には必要の一と十二の中から個体ごとに異なる組み合わせの魔術により構成されて存在している。
しかし、異なる、といっても多くの吸血鬼に共通する魔術というものが存在している。
その最たるものが再生能力、そして吸血衝動と陽光に対する不耐性である。
不死の王や
その
なるほど道理で殺せる気がしないわけだと女は嘆息する。
「まあ、しかし、それでもやらねばならんのが軍人の辛いところよ」
「休暇中だったはず」
「休暇を全うするにはあれは邪魔すぎるだろう?」
こともなげに言う女に『なにいってんだこいつ』とでも言いたげな視線を向けたオノは、それから絶対正義に視線を向ける。
「吸血鬼の魔術式に関しての情報は公開されていない。解析するには時間が足りないけど、恐らく数は基礎を含めて5重」
「再生変異に超感覚、あとは吸血衝動かなにかといったところだろう。やけに犬歯が長いと思ったが、そうか、あれが吸血鬼ということか」
「そんなこと子供でも知っているのに気がついていなかったの?」
「まさかデイウォーカーとは思うまいよ」
肩をすくめた女は、それからオノを守るように前に出ると絶対正義を睨みつけた。
「待ってくれるとはずいぶんと優しいのだな絶対正義とやら。疲れたのなら棺桶に戻って休んだらどうだ」
女の軽口に、絶対正義は牙をむき出して歯を鳴らすと猛然と駆けだした。
迎え撃つように女も駆ける。
「―――そういえば、ちょっとした特技がある」
そう言ったオノは、そっとその場に座り込む。
拳を交わして殴り合う女と絶対正義に耳を貸す余裕などもちろんない。
女からの反応がなかったので少し機嫌を損ねたオノは、むすっとしながら目を閉じる。
―――本来、魔術というのは公式のようなものだ。
事前に組んだ生体回路の形を、用途に応じて構成する。
その構成する動作さえ、仮に失敗しておかしな陣を描けば不発どころか予期せぬ事故を引き起こすリスクが高いとあっては入念な準備と繊細な作業を必要とする。
それをオノは、この場で、即興で魔術を構成した。
ほんの一秒やそこらで目を開いたころには、先ほどまで空間転位の魔術を描いていた生体回路はまったく違うものに書き換わっている。
それも未だかつて考えたこともないような、この場で思いついた魔術に。
「いけそう」
そんな軽率な言葉と共に、オノはなんの気負いもなく生体回路に魔力を流す。
なんなら魔術を構成したという事実よりそれを迷いなく行使する精神性をこそ評価すべきかもしれない。
果たしてそれはオノの思うままに現象を顕現させる。
黒の、針。
木製の屋根、空気中、至る所から集まった黒が、その手中にて硬質な槍となる。
即興、とはいえ基礎の知識自体はオノが以前から持っていたものである。
炭を焼いたら重さが減るのはなぜか、というシンプルな疑問から始まり果てにはそのマテリアル的特性にすら及んだ思考と実験の数々から体感的に会得した知識。
すなわち炭素という元素の存在と、それが特定の構成を持つと凄まじい強度になるという事実。
さらに。
完成した槍を手に、オノはさらに魔術を書き換える。
己が細腕でまともに投げても大した意味などない。
であればどうするかといえば、魔術くらいしか使えない彼女は当然に魔術を使う。
本来ひとりでなど到底できるはずのない二種の魔術の連続行使。
「無視しないで」
オノの幼い怒りが、黒き雷撃となって飛来する―――ッ!
「っ!」
「ぬぅっ!?」
背後からの、しかもオノからの攻撃ということでまったく反応できなかった女のわき腹の皮膚が持っていかれ、とっさの回避をしきれなかった絶対正義の腹部を槍が貫く。
オノの介入による刹那の空白。
即座に動くのは女。
もはや意識すら追いつかぬ反射のままに絶対正義の顎を殴り上げ、そして全力の回し蹴りで湖に向けて蹴り飛ばす。
「オノ!仕留めろ!」
女の言葉に瞬いたオノは言われた通りに魔術を構築。
先ほどの黒い針を一度に十数本も生じさせ空中に浮かばせると、それをいっせいに絶対正義に目掛けて射出した。
頭を身体を腕を足を、身体の様々な部位をずたずたに串刺しにされた絶対正義はそのまま吹き飛び、そして湖に落ちると沈んでいった。
そして泡すら上がってこなくなったのを見届けた女は、ようやく一息つくとその場にどっかりと座り込む。
「なんとかなった、と思いたいな……」
「お疲れ」
てくてくとやってきては膝の上に座るオノに苦笑した女は、それから気になったことを聞いてみる。
「俺としてはもう少し確実に爆散とか消失とかさせてほしかったのだが、どうしてわざわざあんな方法を?」
「改良できたから、した」
「なるほど……」
まったく研究者らしい言葉に女は嘆息する。
たとえ単に落としただけでは即座に復活してくるだろうあの絶対正義。
せめて可能な限りぼろぼろにするか確実に死亡させておきたかったが、果たしてあれで十分だっただろうかと少し不安になる。
「……まあ、大丈夫か」
なにせあの湖には、いる。
女の中の竜がささやくのだ。
竜の身にあらずして不遜にも竜の名を騙る不埒者。
生かしてはおけないと竜はささやく。
しかし女はそれを無視して、むしろあれなら上手く処理してくれるだろうとすら思って任せることにした。噂には聞いたことがあるのだ、この王国最大の湖に住まう者のことを。
湖の名は忘れたが、確かその名を冠したなんとか君と呼ばれ親しまれていた。いつかエリーゼにぬいぐるみを渡してやったことがあったなと、女はそんなことを思いだした。
なにはともあれあいつのことは忘れようと、しばらくはオノと共にのんびりと朝焼けを眺める。どうやってこの破壊の跡を言い訳しようかということについても、あまり深く考えないことにした。
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