第11話 鉱山都市
例の老車掌に事情を話してみれば、彼は今にも気絶してしまいそうなようすでありながらももろもろなんとか処理しておくと死んだ目で確約してくれた。
走行中に隕石に降られたとでも言うのだろうか、なんにせよその影響で列車の旅は次の停車駅までで終わりということになりそうだった。
ひどく残念に思う女だったが、それもこれもあの絶対正義とかいう男が原因であるとなれば文句を向ける先もない。彼は今頃湖の底で魚のエサにでもなっていてくれることだろう。
「まあ、やむを得ぬか」
「どうする?」
もはや定位置になっているのか、椅子に座った女の膝の上に座るオノという体勢でのんびりと揺られながら頭を悩ませるふたりである。
衣服も着替えて、すっかり先ほどの戦いがなかったかのような様子だった。
ふたりが頭を悩ますのは、これからの進路について。
本来目指していた南方、森林帝国領まではまだ半分の半分も届いてはいない。むしろ距離的には東の共和国領の方が近いくらいで、なんなら一度は王国領を離脱することを優先するべきかとも女は思う。
「共和国領経由か、それともひとつ列車を待つか?」
「無賃乗車?」
「あぁ……そうか、予約の状況によるか。普通何日くらいなのだ?」
「一週間後に空いていたら奇跡」
「なるほど」
次の停車駅から列車を乗り継いで行くためには当然チケットを確保する必要がある。
しかしそのためにちんたらと予約待ちしているのはいちおうお尋ね者である女からしてもあまり気の進まないことだ。可能であれば一か所にとどまることなく、そして速やかに王国領を抜けたい。
「次の停車駅はアルフロンテか。共和国領までは……馬車でも数日といったところだな。ひとまずアルフロンテから共和国領、共和国領は、まあてきとうに抜けて南と。うむ。完璧な計画だ」
「いいと思う」
互いに共和国領に関して深く知っているわけではないふたりなので、女の言葉にツッコミもない。 若干寂しく感じて窓の外を見やる女をオノが見上げる。
「ところで、あなたも逃げているの?」
「なに?」
「予約待ちを聞いたら、迷いなく切ったから」
「……なるほど」
オノの単純な推理に女は神妙な顔つきで頷く。
一瞬ごまかしてしまおうかとも思ったが、英傑であることが知られているのにいまさら隠すようなことでもないし、恐らくはほかにも根拠はあるのだろう。オノはほぼ確信している様子だ。
女はひとつ吐息し、それから苦笑とともに応える。
「そもそもうかつに竜に手を出すことは禁じられているからな。それが軍属の身ともなれば当然目を付けられるという、ただそれだけの話だ」
「つまり、重罪人」
「まあそうなるな」
肩をすくめる女をしばし見つめ、オノはふいっと視線を下ろす。
女は興味深げにオノのつむじを見つめ、それからなんとなく聞いてみた。
「俺が恐ろしいか?」
「別に。納得した」
「そうか」
くつくつと笑って女はオノの頭に顎を乗せる。
「まあ、いざとなったらひとりで逃げてくれ」
「断頭台は見に行く」
「くはっ。ありがとうよ」
女が笑いながら顎をうりうりすればオノは迷惑そうに口をへの字に曲げる。
それがまた可愛らしく、女はまた笑った。
それから時は過ぎ、太陽が天蓋を降りていくころ。
ほぼ丸一日という時間をかけて、女たちを乗せた列車は王国東部の都へとやってきた。
鉱山都市アルフロンテ。
霊峰にまでつながる山脈を背にする鉱山都市。
移送技術の発達以前は王都に並ぶほどの発展を見せた大きな都だが、今では興行や産業が中央に集まっていったことでかつてほどの繁栄ぶりは見られなくなっている。
といってもさすがに王国第一の鉱山資源を誇る都であり、観光客こそ減ってはいるもののむしろ労働環境は盛況といった様子で、日中は採掘にともなう爆音や破砕音、夜間は酒盛りをする彼らの陽気な歌声や怒声罵声罵詈雑言が響いている。
そんなアルフロンテの列車駅で降りたふたりは、車掌やチケット売り場に詰め寄っては騒ぎ立てる客たちの合間を抜けて街へと出る。
列車駅の周囲はどうやら商業区画となっているらしく、昼間だということもあって活気にあふれている。アルフロンテ独特の鉱山臭とでも呼ぶべきか、ガスや油、そして火薬の混ざったような匂いが漂い、オノは顔をしかめて女の腰に鼻を押し付けた。
そういった匂いが嫌いではない女はオノに苦笑して、ひょいと彼女を背負ってやる。
そうすればオノは女の首元辺りに鼻を押し付けてふすふすと鼻を鳴らした。
「どちらがましかは知らんが、気分が悪くなったら言え」
「竜の匂いがする」
「してたまるか」
「……嫌いではない」
そう言って顔をすりつけるオノに女は瞬き、それから謎の気恥ずかしさに顔をしかめる。ごまかすように歩きながらなんの気なしに顔を触るそぶりで匂ってみるが、少なくとも彼女の鼻からは特におかしな匂いはしないように思う。
水だけとはいえきちんと身体も清めたし、それに竜に呪われてから汗をかいていないので流石に悪臭はしないだろうと思うが、それでもポジティブな評価(?)を得られるとは思わなかった。
むむむ、としばし背中のオノの感触が妙に気になりながら、やがて気を取り直した女は住民らしき者に南へ向かう移動手段を聞いてみる。
親切な若者が教えてくれたことによると、どうやら駅馬車の発着場が街の南端にあるらしい。
それに乗ればここから南の方まで運んでくれるようで、それを乗り継いで行けば最短で二十日もあれば共和国領との国境の都まで行くことができるとまで教えてくれた。
「家族でご旅行ですか?仲のよろしいことですね」
どうやらほかの家族が宿を取っている間に散策に来ているとでも思ったらしい。
女の背でげんなりしているオノへと微笑ましげな視線を向けてそんなことを言う青年。
女はちらりとオノを振り向き、それからにっこりと笑みで返した。
「ええ。ですがどうも妹にはこの街の空気が合わないようで」
「はは。独特ですからね。けれどいい街です。みんな気のいい住人ですからね。ぜひその辺りの大衆食堂にでも入ってみてください。観光客なんてあっという間に囲まれてたっぷり歓迎してもらえますよ」
「それは楽しそうだ。どうもありがとう」
手厚い礼と共に礼金を少々渡し、青年と別れたふたりは街の南の方を目指していく。
列車で食事を摂っていたので大衆食堂はまたの機会だ。正直女はちょっと覗いてみたかったが、明らかにオノには向かないだろう。
「そんな調子で大丈夫か? 馬車で酔ったらもっと悲惨だぞ」
「酔ったことはない……」
「そうか」
「乗ったこともない……」
「……そうか」
これはまずそうだなと女は思った。
バスや列車ではあまり酔っている様子もなかったが、臭いにやられた上に揺れの強い馬車ともなれば危険度は高い。
とりあえず多めの水と酔い止めの薬草でも買っておくことにした。
そうこうしている間に駅馬車の乗り場にやってきたふたり。
ひとまず時刻表を確認してみると、どうやら次の出発までにはもう少々時間があるようだった。
かといって散策するのもオノが力尽きかねないので、駅馬車の近くの日陰で体を休める。
「―――そういえば」
ちょっとだけ気分を回復させたらしいオノが、それでも気だるげに寝っ転がりながら呟く。
その頭をなでていた女が見下ろせば、彼女はじぃっと女を見つめている。
「竜の血と言えば、秘薬としても語られる」
「……いや、俺は呪われているだけであって竜ではないのだが」
「似たようなもの。少なくとも普通の身体ではない」
「それは、そうだが」
絶対正義との戦いを思い出す。
あの時に生じた体表の脈は、すでに影も形もない。
自分の身体が明確に作り替わっていったという感覚があった。
その超回復や怪力もそうだが、たしかに普通の身体とはとても言えないだろう。
それにしても少しは優しい表現をしてもらいたいものだと嘆息する女に、オノは言葉を続ける。
「だから、なにか効果はあるかもしれない」
「仮にあったとしてだ。それこそ竜の血など、物語では資格持たぬ者の命を奪うような物騒な代物だろうに」
「……」
「試したがるな阿呆」
女の目からは非常に分かりやすく興味津々と目を輝かせるオノの頭を軽く
まったくこの知識欲の権化は、自分の身をあまりにも気にしなさすぎる。
むむ、と頭を抑えたオノは、しばし沈黙を挟んでからまた口を開く。
「じゃあ、唾液でもいい」
「じゃあじゃないだろう。というか私がよくない」
なにをどうまかり間違ったら他人に唾液など飲ませなければいけないのか。
嘆息する女に、オノはまた考えこむ。
そしてなにごとか思いついた様子で顔を上げると、女の頬に手を触れる。
「突然だけど、あなたを好きになったから接吻をしてほしい」
「オノのそういうところは多少好ましく思うが、同時に本気でその口を塞いでやりたいと思うよ」
「口で?」
「……」
女はオノの口に酔い止めの薬草を突っ込んだ。
噛むと気分がすっとするような代物である。
それをしぶしぶかみかみするオノは、どうやら葉っぱの味が気に入らなかったらしくむぐぐと眉根をひそめた。
できればこれで少しはまっとうなことを言うようになってほしいと思う女だったが、なにせオノはこれで素面である、きっと酔い止めも効果はないのだろうと、そんな確信に盛大に嘆息した。
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