第8話 恐喝

「すまない少々時間がかかってしまった、っと」


女が個室に戻ってみれば、少女は静かに寝息を立てていた。

どうやらずいぶんと疲労していたらしい。そこそこやかましく騒いでしまったはずだったがしっかり熟睡しているようで、そっと近づいてみても起きる気配はない。


女はしばしその寝顔を眺め、ベッドに連れて行ってやろうと腕を伸ばしたところで自分がずいぶんと血で汚れていることに気がついた。返り血はなるべく外套で防いでいたつもりだったが、後半はややハイになっていたこともあってそこまで意識を向けられなかったのだ。


それに服もいたるところが破れ、火薬のにおいも染みついている。

慌てて懐から義父に貰った封筒を取り出してみると、隅が黒く染まり銃弾の一発にへこんではいるもののまだなんとか手紙の体裁を保っているようだ。


女はひとつ吐息し、そして人の気配が女たちのいる寝台車にやってくるのを感じて部屋を出た。


出てみれば、そこには先ほどの老齢の車掌。

血濡れではありながらも健在である女と荒れ果てた廊下、そしてすでにだれひとりとして残っていないスーツの男たちに目を見開く彼に、女はなんてことないように言葉をかける。


「ちょうどいいところに来た。すまないが見ての通りはしゃぎすぎてしまったようでな。身を清めたい。水とタオル……あとは、できればなにか適当な着替えなどはないだろうか」

「あ、ええ、ご、ございます」

「いくらだ?」

「、ど、どれもサービスとなっております」

「では持ってきてくれ。ああ、服はできれば男物にしてくれ。どうも健康に生まれすぎたらしく、女物だと少々肩が張る」

「かしこまりました」


震えながらも礼をしてそそくさときびすを返す車掌。

それを見送り、ふと思い出したように女は「ああ、それと」とまた声をかけた。


「彼らは踊り疲れてしまったらしい。みな隣の個室ですっかり眠っているようだ。しばらくはそっとしておいてやれ」

「か、かしこまりました」


恐れるように女の隣の個室に視線を向け、それからぎこちなく礼をした車掌はこんどこそ逃げるように去って行く。なにせあの人数がすっかり個室に収まっているというのだ、その内部を想像しただけで身の毛もよだつ思いだった。


鼻を鳴らしてその背を見送った女は個室に戻り、外套を壁の衣装かけにかけると、血と弾丸でぐちゃぐちゃになった上着を脱いで見事に鍛え上げられた上半身を露出させる。

当然のように傷のひとつもない肌を見下ろし、血の汚れも弾いてしまっているのを見て取ると、女はオノを抱き上げてベッドの上に運んでやった。


ていねいに運んだつもりだったが、少女はベッドに横たえられるとふるりとまつ毛を揺らす。

そっと開いた眠たげな眼差しを手の平で隠した女が「もう少し眠っていろ」とその耳元で囁けば、少女はぼぅ、とした様子で頷き、そしてまつ毛が女の手の平をなでた。


少女が再び眠りについたところで、忙しなく駆けてくる気配を感じ取りドアに近づく。

ノックよりも先に扉を開き、扉に身体を隠しながら車掌の持ってきた水瓶と桶、布類を受け取った。


女は堂々たるありさまで全裸になって水と布で軽く体を拭きとると、もはや雑巾にすらならない衣服をすみのほうにまとめて置いて、車掌の持ってきた衣服に着替える。

布地の厚いズボンに清潔なシャツだ。

サービスというが、どうやらクルーの制服を拝借してきたということらしい。シャツの襟元なんかには、ていねいにシンボルのそぎ落とされた形跡があった。


軽くさっぱりしたところで、女はさきほどから自分を見下ろしていたオノを見上げる。


「人の裸など見て楽しいか、オノよ」

「鱗でもあると思っていた」

「お前は俺をなんだと思っているのだ」


そろそろバレているのではないかというドキドキを隠すようにこれ見よがしに呆れて見せる女へと、オノはさらりと答えた。


「英傑」

「なに?」


自然と鋭くなる女の視線に、オノは怯むでもなく、むしろそれにより確信にすら至ったようすで言葉を続ける。


「夢を見た。この目でアルトを視た時の光景。あなたの中には嵐があった。嵐は竜の威容だった。そしてその竜の前に―――人がいた。竜の瞳に確かに、あなたが映っていた。竜の眼に唯人が映ることはない。だったら必然それは特別な誰か、竜が見初めた者……それを英傑と呼ぶ。違う?」


静かに見据えるオノの視線。

女はしばし沈黙し、それから重々しくため息を吐いた。


恐らくオノは自分の論説を一片たりとも疑っていない。

もしもここで否定でもしようものなら最悪魔眼を行使してでも確証を得てやるのだとその表情が雄弁に語っていた。


そうなってしまえばもはや、口の上手いほうではない女は言い逃れの言葉を探すこともできない。


「ご名答、だ。魔骸というのは、なるほど恐るべきものだな」


この場合はどちらかというとオノのほうだろうか。

どちらにせよ観念した様子でやれやれと首を振った女は、どっかりと椅子に座り込むと彼女を見上げて悪戯めいた笑みを向ける。


「とびきりの秘密だ。気軽に吹聴してくれるなよ?」

「それはあなた次第」


オノは少々危なっかしい様子ではしごを降りると、てくてくやってきては女の膝に向かい合うように座る。面白いものでも見るような女の視線を見つめ返してオノは言葉を続けた。


「私をあなたの傍に置いてほしい。英傑と共にあれる機会はそう多くない。私の興味が尽きるまで―――そうしてくれるなら、みすみす研究対象を追い込むようなことはしない」


傲慢なようでいて実際極めて傲慢なオノの弁。

この少女、英傑に脅しをかけているらしい。


女はくつくつと笑い、両の腕でオノの小さな身体を抱く。

挑むように細められた目がオノの瞳を覗き込み、鼻先が触れるほどに近づく。


「俺は今この瞬間に貴様を絞め殺すことさえ容易なのだぞ。どうして貴様の取引になど応じる必要がある」


それはただの事実である。

きっと英傑でなかったとしても、この矮小な少女を砕くのに造作はない。

もちろんこの期に及んでそんなことをするつもりはない女だが、そう言ってみれば一体どんな反応をするのだろうかと純粋に興味があった。

 

竜を思わせる気迫に迫られ、その身の生殺与奪権をたやすく握られるというこの状況で。

オノがいったい、どんな反応を示すのか。


はたしてオノは。

やはり表情ひとつ変えず、しかし額から汗を落としながら、そっとその手を持ち上げた。女の首に腕を回し、その身を押し付けるように抱き返す。


―――その身体が、濃密な魔術の香を放つ。


これまでの追っ手のどれよりも強力な魔力と、視るまでもなく分かる重厚な魔術の気配。

腕の中のそれが、今やヒトと呼べるかも危ういほどの存在感によってこの空間を席巻した。

目を見開く女の耳元で、少女の形をした魔術の物体は囁く。


「5秒以内に頷かないと、消し飛ばす」


そう言ったきり少女は沈黙する。カウントダウンすらない。

圧倒的なまでに分かりやすい脅し、なるほどこれがマフィア仕込みかと妙な納得を覚えている余裕などなく、女は慌てて首を縦に振った。


「まてまてまて。冗談だ。ほれ、頷いているぞ。落ち着けオノ」

「見えない」

「その意地悪で誰が得をするのだ!?」


慌ててオノを引き剥がしてその目前で頷いて見せる。

そうすればオノはなんとなくしぶしぶといった様子で魔力を霧散させた。


「なぜ残念そうなのだ貴様は」

「一度、使ってみたかった。爆発する英傑も見てみたい」

「好奇心で人を爆散させようとするな」


さすがに顔を引きつらせる女。冗談とは思えなかった。きっと5秒経っていたら、一瞬の躊躇いなくしでかしていただろうという確信があった。なんなら4秒くらいでうっかりしていたかもしれない。


そんな畏れに身震いする女を尻目に、オノは言質を取って満足したようで、いそいそと体勢を変えると女に背を預けて腰を落ち着ける。


女はため息を吐き、それからなんの気なしにオノの小さな手を弄びながら問いかけた。


「何者なのだオノは」

「魔術学者。予定」

「貴様も英傑だなどとは言わんだろうな」

「あいにくと私は普通の人間。魔骸も目だけ」

「では今のはなんだというのだ」


英傑となった自分が危機を感じるほどの魔力である。

そんなものをあっさりと行使して見せる少女を普通の人間などと形容することは、それこそ普通の感性を持つ人間ならば絶対にしないだろう。


もはや呆れすら覚える女に、オノは少し考えてから応える。


「独自の試作魔術式……理論が正しければ23重。魔力を可燃性物質として定義、魔力同士の接触を通して法則を浸透させた後生体電流を利用して着火する魔術」

 

=周囲の魔力を火薬にして火を着ける魔術。


ちなみにここ百年以上新たな魔術式の体系は生まれておらず、現存する体系において公式に認定される最大の魔術は王国式25重で爪の先に火を灯し身体への影響ないままにそれを永続させる魔術である。


「……指摘すべき点がより取り見取りだが、そうだな、それは発動したら貴様ももろともに死ぬのではないか?」

「理論上はそのはず」

「すでに理にかなっていない訳だが????」


机上の空論でさえ使い物にならないという結論が出ている代物を実際に出力しようとしていたらしい。もはや珍獣を見るような視線を向ける女にオノは不服そうに口を尖らせる。


「本当は私も浸透範囲の条件定義と身体の保護も織り込みたい。けど、現時点の魔術式構成ではもうこれ以上の発展性は見つけられなかった」

「人はそれを失敗と呼ぶはずなのだがな」

「もったいないから、景気づけに」

「それで景気づくのは新聞社くらいのものだろうよ」


ほぼテロ、というかテロである。

もったいないテロ。

むしろ新聞社もどう報道するべきなのやら。


女は盛大にため息を吐き、それからオノの頭に顎を乗せる。

どうやらこの少女は天才とでも呼ぶべき存在らしい。それも常識というやつが通じないタイプの。


これは本格的にとんでもないやつに関わってしまったものだと、いまさらになって後悔の押し寄せる女だった。それにしては頬が楽しげに緩んでいるあたりは、彼女も彼女で物好きなものである。

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