第7話 列車

四足歩行で疾駆し、獣のごとく荒々しい体躯の男が女へと飛び掛かる。

魔術により人ならざる形状を得るに至った異形の魔術師―――その膂力りょりょくはただの跳躍だけで屋根を砕き割るほどで、その最高速は音にすら迫る。


はたして高速で迫る男はその鋭い牙で女を喰い千切らんと口をかっぴらき、そこに問答無用で叩き込まれた拳に捻じ伏せられ頭から屋根に突き刺さった。


「ふ、ふふ、」


振り抜いた拳を引きながら、女は遠くから高速飛来する長大の投槍を片手でつかみ取ると、周りを囲み今にも飛び掛かろうとしていた分身する男を本物ごと根こそぎ吹き飛ばし、そのまま流れるように槍を投げ返す。


「くはっ」


大通りを挟んで反対側の建物の窓の空いた一室に叩き込まれた槍が唖然とする魔術師の真横を通過し床を砕きぶち抜いていくのを尻目に、空を弾むような不可解な軌道で回り込もうとする男の腕を確保、強引に屋根に叩きつけてから投げ捨てた。


「ははははははははッ! ぬるい! ぬるすぎるッ! もっと熱き闘争をよこせ! こんなものでは凍えてしまうぞッ!」


屋根の縁に立ち、追っ手たちを見下ろし高らかに哄笑する女。

その背後から音もなく迫った黒装束の刺客の顔面を見向きもせずにひっつかみ、ひっきりなしに銃を撃ってくる追っ手たちめがけて投げつける。

あたりまえだが誰ひとり受け止めようとはせず、むしろ悲鳴すら上げて逃げていく彼らの後で、勢いよく石畳に叩きつけられた黒装束は悲惨な物体に成り果てた。


その様を、心底楽し気にあざ笑う女。


戦いが、闘争が、女には楽しくてたまらなかった。

己が力を振るうということ、それをぶつける先があるということ、それが至上の幸福だった。


もっともっとと血が騒ぐ。


全身を巡る血液が、やかましいほどに鼓動する心臓に押され激流となっていた。

全ての音が消えて、視界が狭まって、それなのに未だかつてないほどに全てが聴こえる、見える、感じられる。たとえ姿を消そうが音を消そうがどれほど距離を取ろうが、おのれの敵のすべてが彼女には視えていた。


「アルト」


不意に届く声。

女は近くにあった小さな生き物へとほぼ無意識に拳を振るった。


「ッ……!」


ゴウッ!!!!

と空気を捻じ伏せる拳が、オノの目前で静止する。

荒れ狂う風がオノの灰の髪を舞い上がらせたが、オノは瞬きひとつなく静かに女を見上げていた。


女は呆然として瞬き、それから自分の行いが信じられないといった様子で静かに拳を引くと、ばつが悪そうにオノから視線をそらした。


「すまない……どうかしていた」

「なにかをされた?」

「いや。恐らくは―――」


恐らく、などとつける必要すらない。

闘争を渇望する本能、敵を喰らうことだけに研ぎ澄まされていく思考―――まず間違いなく、そしてまたしても、竜に関わりがあるのだろう。


女は苦々しく表情を歪め、ふるりと頭を振った。


「……なんでもない。大丈夫だ。行くぞ。一通り厄介な奴は片付いただろう」


女の言う通り、次々に襲い掛かってきていた魔術師たちはひとまずのおさまりを見せている。


抱き上げられるオノはなにごとか興味ありげに女を見つめるが、なにも言わず黙って頷くと女にその身を預けた。


女はそんなオノの頭を軽くなで、それから再度走り出す。

遠目に見える列車駅。

そこにさえたどり着いてしまえばきっとなんとかなるだろうと、女はそんな風に楽観視していた。なにせ近付くにつれ人の数も増し、さらには近くに警察支部もある。


警察支部は王都にある本部直属の存在であり、末端の駐屯所とはわけが違う。マフィアだろうがなんだろうが、街ひとつを支配している程度・・で対等になれるような存在ではない。


事実近づけば近づくほど追っ手たちは腰が引けて、ついには車で追っていた者たちは追跡を止めてみすみす女たちを取り逃がした。


ほっと一息ついた女は適当な路地裏に降り立ち、懲りずに追いすがってきたらしい数人の追っ手をポイ捨てしつつ大通りに抜ける。

抜けたとたんナイフを持って半狂乱に襲ってくる謎の男を路地裏に蹴り飛ばし、女はオノと手をつないで駅まで歩くことにした。


「なんとか駅に着いたな」

「乗れるの?」

「国営施設だぞ? それに警察支部のお膝元だ。さすがにそこまで影響力はない……と思いたいところだが」


思いたいと、自分で言っていてなんとなく不安になってくる女。一応警戒をしているのだが、最初の刺客以外にはとくにふたりに害意を向けている者がいるようすはない。

すこしだけドキドキしながらチケット売り場に着いた女は、奇跡的にちょうど今キャンセルが出たという寝台列車の一室をふたりで利用させてほしいとゴネて、けっきょくチケットを2人分やや割高で購入して改札をくぐる。


「危なかったな。そうか、普通は予約が必要なのだったな」

「貨物列車に無賃乗車をするのだと思っていた」

「国家権力すら敵に回したらそれこそ逃げ場はないぞ」


当然のように法を犯すつもりだったらしいオノに呆れて見せ、しかしあらゆる意味で自分の言えることではないと気がついた女は苦々し気に顔をしかめて口をつぐむ。


なにはともあれ席は確保できたのだから問題はないということにして。


自分のうかつから目を逸らすように気を取り直し、女とオノは指定された列車に乗り込むとわけを話し個室までキャストに案内してもらった。


はしご付きの高いベッドとランプの置かれた簡素なテーブルに座椅子、そしてちょっとしたクローゼットがある、当然一人部屋である狭い個室。

キャストからのいかにもおかしな人物を見るような視線を扉で遮断し、外套を壁の衣装かけにかけると、女はようやく人心地ついた様子で壁にもたれかかる。


「拍子抜け、というのもおかしな話だが、あんがい簡単に乗れたな」


それを独り言として処理したオノはてくてくと歩み寄るとぽすっと女にもたれかかる。

女は理解が及ばない様子でしばし静止し、それから苦笑を浮かべてオノの頭に手を乗せる。


「なぜわざわざ。座るか寝ていろ。疲れているだろうに」


なにせ多少回復したとはいえ、いっときは立ってすらいられないほどに消耗していたのだ。

それに本人も魔術学者と名乗っていて(実際は違ったとはいえ)、見るからに線も細く体力はなさそうに見える。それがここまで追っ手からの逃避行を続けていたのだから、なんなら今すぐ眠ってしまってもおかしくはないとさえ女は思っていた。


そんな心配にオノはぐぐっと女を見上げ、なんとなく見つめ合い、そしてまた視線を落として呟く。


「視たい、けど、視れないから。せめて触れていたい」

「おぉ……」


まるでなかなか会えない恋人みたいなことを言う。

それとも安っぽい愛の詩に綴られるような文句かもしれない。

どちらかというと情緒的な表現よりは直接的な言葉に心動かされがちな女は、なんとなく気恥ずかしくなって顔を逸らす。


そしてなにかをごまかすようにコホンと咳払いをすると、オノの脇の下から手を差し入れてその小柄な体躯をひょいと持ち上げる。

そのまま女は椅子にかけ、自分の膝の上に彼女を座らせた。


振り向いて見つめてくるオノに女は肩をすくめる。


「これで少しは休まるだろう」

「……感謝する」

「眠たくなったら眠ってもいいぞ」


なんの気なしに頭をなでながら言う女にオノは頷き、そっと体重を女に預けた。


しばし、なんとなく互いに言葉が途切れる。

かといって居づらいということもないのだが、むしろそれが落ち着かず女は窓の外を見やる。


どうやらふたりがやってきたのはちょうどいいタイミングだったらしく、窓の外では駅員たちが出発の準備のために列車から人を遠ざけているところだった。それをなんとなく見つめていると、やがて列車の汽笛が響きがくんと大きく車体が揺れた。


少しずつ景色が動き、緩やかに、穏やかに加速していく。


「ほぉ。思いの外あっさりと動くものだな」

「列車は初めて?」

「ああ。辺境勤めだったものでな」


女の独り言を拾ったオノの問いかけから、またふたりの間に会話が生まれる。

話している間にも加速していく列車が、街中の柵に囲われた線路をひた走っていく。

時がたつにつれ、列車は人々の営みを置き去りに自然の中へと駆けていく。

大きな道路に並走するように走る列車から見下ろす車は、都を目指しているもののほうがすこし多いようだった。


「ふぅむ。これはなかなか痛快な乗り物だな」


その速度と、そして交通量などという概念がなくひたすらに走り続けられるところが気に入ったらしい、上機嫌に笑みを浮かべる女。

オノはぼぉっとしたようすで応えず、思い出したようにお尻を動かしてはちょうどいい場所を再度探したりする。


そうしていると、不意に女が気配を捉える。

それは続々と女の部屋に近づいて、そしてその中のひとつがドアをノックした。


「オノ。少し待っていろ」


視線を鋭くして告げる女にオノは頷く。

女は彼女を椅子に残して外套を羽織うと扉を開いた。


そこにいたのは、なんとも人のよさそうな老齢の車掌。


部屋から出て後ろ手に扉を閉めた女は左右を固めるスーツの男たちを見回し、それから車掌に視線を向ける。


「ずいぶんと熱烈な歓迎だな」

「お気に召していただけたのならば光栄でございます。私の古い友人から、あなた様がたへと言付かっておりましたもので」

「なるほどな」


どうやら鉄道というよりはこの車掌個人がマフィアと繋がっているらしい。

女は納得し、それから車掌に向けてしっしと手を振った。


「もう貴様は戻っていいぞ。しかと受け取ったと伝えておけ」

「かしこまりました。それではごゆっくりお楽しみください」


なんとも見事な礼をして、車掌はすたすたと寝台車を後にする。

残されたのは女と、そして数えるのも面倒な廊下を埋め尽くす男たち。


女は嘆息し、それから男たちを自信に満ちた笑みで見下す。


「俺はまだ元気が有り余っているからな。いいぞ。付き合ってやる」


女の言葉に応えるように、男たちが一斉に拳銃を取り出した。

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