第3話 精神攻撃
黒い世界で、わたしは反響する声を聴く。
『この世界は欺瞞で満ちている。その世界を正すのは我々だ』
スキアに知能があるなどと聴いたことがない。だが、今の声は?
『この地球に蔓延る病原菌を殺す。そのための犠牲なのだ。君も、あいつらも』
誰だろう。いや、分かっている。きっと正樹と火月のことだ。
これは本格的にマズいわ。
わたしたちが狙われているのだから。
怖気の走る声音に鼓膜が震える。
『お前たちは悪だ。地球の自然を壊し、同胞たちを殺す悪だ』
気持ち悪くなるような声に、背筋に冷たいものが流れ込む。
怖い。死にたくない。
助けて。ここは地獄だ。
体温が奪われていく。気力が奪われていく。
誰も助けてはくれない。みんなわたしのことなんて忘れて幸せそうに暮らしている。
無理よ。
こんなの普通の精神じゃ保てない。
死ぬ。わたしはここで死ぬんだ。
肺腑が毒で犯されていく。
力の限り、皮膚が引き剥がされていく。
死んだ。
そのビジョンがわたしの脳裏をよぎる。
違う。
殺意だけで、この光景が見えているの。
わたし、死にたくない。まだ付き合ってもいない。
手が震える。
精一杯の強がりも、ここでは通じない。
落ちこぼれ。クソびっち。脳天お花畑のいかれた奴。
死にな。
あんたが死んでも、誰も哀しまない。みんな大手を振って喜ぶ。
死にたい。
わたしはなんてダメな人なのだろう。
死んで楽になりたい。
君の人生に意味はなかったよ。無駄骨。お疲れ様。
さようなら。
もう二度と生きようなんて思わないでね。
浸食されていく意識に、玲奈は自分の剣を頸に向ける。
ここで落としてしまえば、楽になれる。
死ねば楽になる。
こんなところ、もういやだ。
逃げたい。死にたい。
吐き気を催し、その場で吐く。
身体の力が抜けていき、その場に崩れ落ちる。
『お母さんは悲しいよ。あんたみたいな使えない子が産まれてきて』
ふと母の声が聞こえてくる。脳内を這いずり回るようなねっとりとした口調が耳に残る。
それは確かにわたしの知っている母だ。
『あんたが生まれてから、私の人生は真っ逆さまよ。どうしてくれるの』
その言葉一つ一つがわたしの胸を貫く。
わたしは望んで生まれてきた子じゃない。
生まれてきたせいで、父さんと母さんは仲違い。父さんは認知してくれずに、どこかへ旅だった。母は狂ったように教育を強要してきた。
狂った家族だと思った。
わたしはそんな中で浮いた存在。今でも母から受けた傷は癒えない。
ふと、手首に痛みが走る。暴力を受けた古傷がうずくのだ。
次の瞬間、その古傷から大量のウジ虫が湧き、わたしは激しく動揺する。
触れた手のひらにナイフの痛みが戻る。
ウジ虫を殺そうとかきむしるが、一向に消えない。
ブーンとハエが飛び交い、ドブの匂いが漂ってくる。
おにぎりの食べ残しをゴミ箱からあさる日々。
あの時の酸性の匂いが鼻をつんざく。
耳に入ってくるのは憎悪に満ちた声。
わたしの心を引き裂く声。精神が壊れそう。
パリン。
ガラスの割れる音がした。
よく見ると暗闇の世界に一条の光がもたらされる。
そこにいたのは
「正樹! やっぱりパンツあるところにあなたありよ!」
喜びの声で祝福する。
が――。
すぐに膝から折れる正樹。
そうか。この精神攻撃は正樹にも聴いているんだ。
両親が暴力を行い、捨てられた彼にはどんな声が、どんな攻撃を受けているのか、計り知れない。
「ふ。くくくくっ」
正樹は不気味な笑いを浮かべる。
「この程度か、スキアよ。俺の信条は〝過去から学び、今を生き、未来へとつないでいく〟。だから、貴様の愚劣な精神攻撃は聴かぬ。俺の未来を肯定するだけだ」
正樹は一振りの刀を振りかざすと、周囲の壁を切り裂く。そこから陽光が差し込み、まるで暗い世界に日差しを取り入れるかのごとく、正樹は切りまくった。
後顧の憂いは立つ、と言ったところか。
わたしは突破口を見つけると、一緒になりスキアを切り刻む。
穴の開いたところからジャンプ。外へと脱出する。
まるで水飴のように吸い付くスキアの中央から飛び出すと、地面に剣を突き立て、その上に乗る。
「なんなの? こいつら」
スキアが幾重にも重なるような姿に驚きを隠せない玲奈。
「大丈夫」
俺がそう言うと、遠くから火月の遠距離射撃が突き刺さる。
あいつは俺のしたいことを理解してくれる。最高のチームだ。
「討ち滅ぼせ! 火月!」
俺はそう言い、玲奈を抱き留め、脱出をする。
閃光弾を撃ち込まれ、スキアが怯む隙を狙う。
俺も閃光玉に火をつけ放る。
爆発した閃光がスキアを、陰を消滅させていく。
消えていく陰にホッと一息吐く玲奈。
「大丈夫か?」
「うん。大丈夫」
俺の悪いクセだ。
相手がどう返してくるのか、分かっているのに、そう訊ねてしまう。
「精神攻撃、受けていたよな。それでもほんとうに」
「本当は大丈夫じゃない。けど正樹が来てくれたから」
抱きつく玲奈の腕に力が入る。
よほど、怖かったのか、子どもがそうするように抱きついたままの玲奈。
仕方ない。
それだけ、怖かったのだろう。それだけ、傷ついてきたのだろう。
俺に聞こえていた言葉の羅列からいっても、そうとうなダメージを受けたはずだ。
俺はたまたま、過去を受け入れていたからいいが、玲奈はそうじゃない。
過去にとらわれたまま戦う兵士は意外と多い。
そうでなければ、戦いなどできないのだ。誰しもが暗い過去を持っている。
それが正しいと信じて戦う。
だからこそ、スキアの精神攻撃は聴くのだ。
恐らく今までスキアに殺された兵士はみなあの悪夢を見てきたのだろう。
殺意だけで人を殺せてしまうのだ。
玲奈はギリギリで耐えたが、本来なら斬首してもおかしくない状況だった。
そこを考えても、火月の手腕ありきだ。
でなければ、俺も一緒にのまれていたかもしれない。
いやらしい手口に憤怒を覚える。
俺たちはパートナーだ。
ここで見捨てるわけにはいかない。
しかし、どうしたものか。あの残りのスキアをどう討伐するのか。
だが、スキアは『自然を取り戻す』と言っていた。それは人間の自然破壊になにかしらの意味合いを持っているのではないだろうか。
憎まれて当然。
自然の摂理に逆らった間違った存在。
そうであるのなら、生まれてきた意味は? 生きている意味は?
苦しくもあがきもだえる。そこに意味はあるのだろうか。
分からない。
まだ応えを見いだせていない。
だが、いずれ見つけ出す。
俺が俺であるために。生きる意味を。
一人一人に生きる意味があるのだろうから。
でなければ、生まれてきた意味がない。
過去を変えることはできずとも未来は変えられる。
世界を変えるのは俺たち自身なのだ。民衆の総意なのだ。
人の心が望んでいる世界を作る。
人の心を大事にしない世界を作って、いったいなんになるんだ。
火月の連射により、俺たちは第一次防衛ラインまでさがることができた。
だが、そこではスキアとの交戦が危ぶまれていた。
そりゃそうだ。第二次防衛ラインを突破されて、辛くも逃げおおせてきたのが俺たちだ。
他にも数名、ラインハルト、ボクサー、シグミー、ヘレンがいるが、手練れの彼らの前でも、スキアは倒せなかった。
この事実が知られれば、王都は混乱する。
なんとしてでもここで食い止めなくてはいけない。
そう。これは命をかけた戦いなのだから。
しかし、俺たちのように独断専行をしてしまった以上、大人しくしていたソフィア嬢も黙ってはいないだろう。
俺たちはまだ戦わなくてはいけない。それは分かっている。
だが、どうする。多勢に無勢。数で押されているのだ。
勝ち目はあるのか?
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