ペルソナの偽愛
安川 瞬
第1話
その日は夏に相応しい快晴の日だった。
綺麗に澄み渡っている青空だけが頭上に広がっていて、こんな日は君と一緒にアイスでも頬張りたかった。
――そんな日だった。
「ずっと好きだったんだよ。ずっと」
雲は一つもなくて、一生青空のまま変わらないんじゃないのかってくらい変わり映えのなかった――そんな空の下にその言葉は投じられた。
夏の青空と同じように何も変わらないって思って、願っていた日々に突如としてヒビが入りそうして日常は壊れた。
人間は叱られたり、詰問されたりすると今まではどうでもよかった日常の景色ですらも強く目に惹かれるようになってしまうという。
彼女と僕の間の距離。
静かな空間を作らせまいと空気を読まないセミの鳴き声。
水風船でも作って遊んでいるのだろうか、聞こえてくる子供たちのはしゃぎ声。
去年と比べて短くなったような気がする君のスカートの丈。
そして、僕に見せまいとしていた乙女の顔。
そのどれもが、日常の中ではどうでもいいもので目を背け続けそれで問題ないと思っていたものだった。
「どうでもよくない」とそう彼女に突き付けられているような気がして、僕は場違いにも”気まずい”という感情を抱いてしまった。
これは恋愛に無頓着な僕が悪いのか、はたまた目に映り耳に聞こえてくる喧騒のどれもに気を示さなかった僕の怠慢が悪いのか。
……いや、恐らくはその二つなのかもれない。
「えっと……いつからだったの?」
正直に回答をすることができなかった僕のことをチキンだと馬鹿にする人がいるかもしれないけれど、未だに僕は友人に戻る方法を模索していた。
この質問はそのための時間稼ぎに過ぎないわけだが
「あんたってモテるじゃん」
少しむせてしまった。
その回答に対する回答に困っている僕の表情がそんなに面白かったのか、彼女は告白中であることを忘れているのかと思うほど笑っていた。
「モテる癖に、誰とも付き合わないからいけ好かないなって思って落としてやろうって最初は思って近づいたんだよね」
彼女と話し始めたのは二年前の高一の冬で、僕たちは性格が真逆なのにお互いの相性が妙に良かった。
何より彼女は……
「僕も君のことが好きだよ」
「……何それ。告白の返事?」
彼女はよく人を見ている。それは僕も例外ではないようで、恐らく僕を見てその言葉が返事ではないことが分かったのだろう。少し、落ち込んでいるようなトーンが鈍感な僕にも突き刺さった。
「君は他の女性と違った」
「そうだね。私は最初からあんたのことが好きだったけど、すぐに告白しなかった」
もしかしたら二年前の時点から彼女の作戦は始まって、僕は既に彼女の術中だったのかもしれない。
「他の女性と違って、君との時間はすごく心地よかった」
「知ってる。あんたの笑顔は私しか見たことないから」
よくも恥ずかしげもなく……。
「だから私は、あんたから秘密を聞くことができた」
二年間ずっと一緒にいて、プラトニックな関係を続けていたからこそ僕は油断していたのかもしれない。
僕は彼女に自分の秘密を伝えてしまったのだ。
「「インキュバス」」
僕は人間の言う所謂インキュバスと呼ばれる存在だった。
人間はインキュバスと言われてすぐに思い浮かぶのは男性型の淫魔の一体で、夢の中で性交を行う悪魔としての一面だろう。
でも僕はそんな一般的なインキュバスとはかけ離れていた。
性交に生理的嫌悪を抱いてしまうのだ。
たとえそれが夢の中で実際に行われることのない夢幻の行為だとしても僕にはどうしてもできなかった。
そんな僕が出来損ないとして追い出されるまでにはそう時間はかからなかった。
悪魔としての権能は奪われてしまい、肉体は人間同然の弱弱しいものになってしまった。
だが腐っても中身はインキュバスというべきか、何もしなくても女性が寄ってきて非常に苛立たしかった。
そんな時に僕の目の前に現れたのが彼女だった。
「あの時のあんたってほんっとうに顔が死んでたわよね」
くすりと彼女が左上を見つめながらそう語った。
いきなり人間界に飛ばされて、慣れない生活を強いられて、頼れる存在は居なくてその癖近寄ってくる女性は気味が悪く、あの頃の僕は精神的にかなり摩耗している状態だった。
風が吹く。
草木の揺れる音と共に彼女の短いスカートが共鳴するように揺蕩っていた。
僕の視線を敏感に察して彼女は話し始める。
「スカートを短くしたのはあんたに意識してもらうためだったんだけど、結局今日という日が来るまで何も言ってくれなかったね」
自分を強者だと疑わない存在は自分の感情を隠したりせずに堂々としているものが多い。
少し我儘を言っても許されるという傲慢がそこにあるからだ。
だが弱い生物はどうだ。
人間のようにか弱い生物の中でも階級が低いものは生き残るために躍起になり、自分の本質ですらも見失って仮面を被るものがいる。
彼女も恐らく自分に自信がないのだろう。僕が悪いのだけれど、これまでも小さなアピールを続けてそして気づいてもらえなくて自分を卑下し続けていたのだろう。
「でも今日ちゃんと私を見てくれただけでも嬉しいよ。例えいい返事が貰えなくても有意義な会話ができただけで……」
彼女の高圧的な態度も、スカートの裾を強く握りしめる彼女も、崩れていく彼女の表情も、震えている声も、今までの彼女との思い出も……
そのどれもが綺麗で、本物で偽物で、かけがえのないものだった。
「ずるいよ。突き放してよ。甘やかさないでよ」
「大好きだよ」
***
最後の呟きは青空を流れていく小さな綿雲のように風に運ばれて消えてしまったけれど、でもきっと好きな人には伝わったよね。
セミのヘタクソなウェディングソングを背景に二人は強く抱きしめ合った。
ペルソナの偽愛 安川 瞬 @yasukawasyun
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