聖女追放

第1話 ❄️星の塔

 刻は星歴七百八十五年春の一月、クラリッサ・フリーデリンデ・シュタインドルフは星の塔にて日没の祈りを終え、自らの部屋へと戻るところだった。


 笑い声が聞こえる。若い女性の。知っているような声だった────そう、妹のアンネリーゼみたい。男性に甘えるような、媚びるような笑い声だ。

 夕暮れの塔のてっぺんに人影が揺れ、すぐ見えなくなる。


 星の塔は吹き抜け構造で、ぐるっとめぐる階段を含む外周に部屋を申し訳程度に付けただけの、円筒状の展望台だ。きっと内階段を降りてくるのだろう。

 聖なる祈りの地に場違いな嬌声を咎めるのは気が重い。しかし聖女としての責任は自分にある。部屋に入ってしまえば知らなかったで済むのではないかしら? クラリッサは足元に目を落とした。


 豊かな苔が中心の星樹に向けて盛り上がり、青い花が年中飾っている。太い幹から大きく枝を伸ばし、風に揺れて空の色を見せてくれる。とても綺麗。

 ここには彼女と、世話をしてくれる侍女、そして聖獣フェンリルしかいない。夜がくれば目覚めて寄り添ってくれるけれど、今は自分の部屋で眠っている。


 ここは綺麗だが寂しい場所。この国の王の妃となる女性の住まう場所とは、とても思えないだろう。だが彼女はここに七年も住んでいる。婚約式だけは豪華に執り行ったが、それから顔を合わせることすら稀になった。憧れた王は影妃に何人も王子王女がいて、さらに浮名を流す方。十六歳になったら────という話は、いつまで経っても叶えられそうになかった。


 ため息をついて、ひと言だけ注意しようと決めた。誰だか知らないが、ここは恋人達の来る場所ではない。


 やがて階段を降りる靴音と、甲高い睦言が近く聞こえて、現れた二人にクラリッサは目を疑った。


「そうね、わたくしだって祈りの力は捨てたもんじゃありませんのよ」

「それは頼もしい。聖女様になって頂こうかな」

「まあ! それなら誓って下さいな、アウクスべルグ国王様」


 人目も憚らずに抱き合い口付けを交わす男と女、それは彼女の婚約者と妹だった。

 しかし咎めることなどできはしない。相手は王だからだ。それに、側女を持つことは普通のことだった。聖女は触れてはならない聖なる乙女、子を産む影妃は正式にいて、実態はそちらの方が正妃と言える。クラリッサには何の権利もなかった。


 王は彼女が何も言えず見ているのに気付き、それに苛立ちを覚える。二人の手にはゴブレット、彼は酔っていた。


「挨拶も無いとはな」

「なんだかおやつれだもの」


 妹のアンネリーゼが心配を装って口を出す。ストレートの自分とは違い、巻き毛の金髪が豪華に背中を飾っていた。


「聖女様、お顔が怖くてよ? そんな白い服一枚で寒くないの? まだ雪が降るのに」


 聖女の服は真冬の川で何度も晒した純白の布を巻き付けて着る。針などで穴を開けてはいけないのよ。そんな説明などは、妹が着ている夢のようなドレスの前では言い訳にしかならない。クラリッサはひと言も言い返すことができなかった。


「我が妃になると言うならせめて楽しませてみよ、妹のように。聖女なんぞ誰にでもできる、象徴に過ぎんものを後生大事にしおって」


 象徴に過ぎない……?

 それは違う。王は間違っている。クラリッサは勇気を出して彼を諌めようとした。


「お、お言葉ですが王よ、聖女になるためには大変な……」

「口ごたえするな! 賢しらに!」


 その時、叱責と一緒にゴブレットが飛んできて額に当たり、クラリッサは気を失った。

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