シーン1-2:輝橙焔の日常と──
都内私立
「はぁ、やっと終わったぁ どう、 試験の手ごたえ?」
要領のよさそうなショートカットの女子・三島千紗が、焔に声をかけてきた。いつも何かと自分に声をかけてくるグループの一人である。
「うーん……とりあえず埋めたけどあんま自信ねえ……」
可もなく不可もなし、といった風に焔は答えた。
「そうなの? でもまぁ、補習回避できそうならOKじゃない?」
「そうだな……。補修だけは避けてえ……」
焔が頭を抱えて祈るように溜息をつくと、後ろからキザそうな男子が声をかけてきた。グループメンバーその二であるところの佐々木往人である。
「いや~、試験後のこの開放感がたまんねぇよな。なぁ、輝橙」
同じ男子の言葉に同意するように、焔は小さく笑った。
「おう、これでしばらくは勉強しなくて済むな。佐々木は手ごたえどうだったんだよ」
往人は自信満々に「ん、オレか? ふ……見事にヤマが当たったぜ」と答えた。その様子に、阿保と言いたげに千紗は頭を抱える。さすがに焔も呆れて目をじとと細めていた。
「ヤマ張って得意げにしてんじゃねえよ」
「おいおい、ヤマ張るにもカンと技術ってのがいるんだぜ? もっと褒めてくれてもいいじゃないか」
「なんだそりゃ、そのカンとか技術をもっと別のことに使えよ」
そうは言うものの、焔は内心少し羨ましいと思っていた。オーヴァードの身になっても、予知能力は持っていない。せいぜい、炎を出したり周囲の熱を知覚したり、飴や剣などを何もないところから作ったりする程度なのだが、それだけ荒業をやってのけても、もちろん勉強とはなんの関係もない。せめて
などと我ながらくだらないことに思考を巡らせていると、グループのメンバーその三の女子がひょっこりと現れた。深く長いブロンドの髪を後ろに高く束ね、いかにも少女らしい清純そうな少女だ。
「おつかれ~、千紗、往人君、焔君。 何とか乗り切った~」
間延びした声で微笑む少女──真壁七生は、手をひらひらさせながらグループに合流する。
「おう、おつかれ。ひとまずひと段落したなって感じだよな……」
先の二人相手とは違い、聊かぎこちなく言葉を返す焔に、七生は「永く苦しい戦いだったよぉ~」と相変わらず微笑んでいる。
「……で、アンタどうだった試験の手ごたえ」
千紗の言葉に、七生は笑顔が凍り付く。瞬間に千紗に寄りかかって嘆き始めた。
「うぅ聞かないで……数学、終わった……」
「アンタね、判ってるならキチンと予習をしなさいって言ってるでしょ? 数学以外は問題ないんだからさ」
そういいつつ、宥めるように頭を撫でる千紗の様子から、本当に七生を思っての厳しい言葉であることがうかがえる。しかしそれを察してか否か、七生は反論する。
「やってるってば! でもね、人間どうしても得手不得手ってあるの!」
そうだよね!? 焔君! と唐突に振られて一瞬頬をかく焔だが。あー……、となんとか返答する。
「そうだな……。俺も英語とか嫌いだし。……でも、真壁は頑張ればできそうだとは思うけど」
焔の中では、英語はネックで、日本人が勉強するものではないとさえ思っていた。しかし、先ほどまで干からびていた七生は、急に潤いはじめ、目を輝かせた。
「ふふん、英語は任せて!」
「ったくさぁ……。焔君、今度時間あるときでいいからさ、 この子の数学見てやってよ、代わりに英語みてもらえばWINWINっしょ」
「まぁ数学は得意だしいいけど……。んーそうだな、自分でやっても分かんねえし赤点回避できるなら」
何を思うのか。そっぽを向きながら面倒くさそう──否、おそらくそうではない──にぶつぶつとつぶやいていた。
その空気に何かいやなものを感じたのか、七生は手をたたいて払いのけようとした。
「もぅ…終わったテストの話はやめようよ~、それよりさ……見てよ。これ!」
秘密兵器を四次元から取り出すかのごとく。七生はポケットから何かを取り出した。
「……それって?」
まず千紗が首を傾げた。
「んっふふ~。今推してるバンドのライブチケット! やっと取れたんだ~♪」
くるくると回る七生が両手で持つチケットを見やると、[レネゲイド]というバンドグループのロゴが入っている。
「へー、いいじゃん。ライブチケットなんてよく取れたな」
そう言いつつ焔はそれとなしにスマートフォンで検索してみると、Ⅴ系ロックバンドのページにたどり着いた。ベースの人はどこかで見た顔の気がするが。きっと気のせいだろう。うん、そんなはずがない。世界観が崩壊する《あり得ない》話だ。
「うん! てなわけで、中間試験終了記念に、千紗、一緒に行かない? チケット二名までオッケーだし」
「いつなん?」
「明日、土曜!」
千紗はカジュアルなスケジュール帳をとりだし、予定を確認した。
「あ、先約あるわ。ゴメン無理」
親友の淡々とした言葉に、七生は表情を曇らせる。
「ええ、そんな~! 友達を裏切るの!?」
「いやいや先約ぶっちの方が裏切りでしょうが……。大体、急すぎるでしょうが」
千紗の言葉はもっともだったが、滑り込みで手に入れたチケット。そうそう諦めたくはないだろうなと焔は単純に考えた。
「それに……」
七生の口から何かの言葉がこぼれそうになり、どうもひどく焦っているようだった。
「…往人君はどう?」
気を取り直して往人に振るが。
「オレもデートの予定入ってっから無理だなぁ」
さらりと断られてしまった。
往人に彼女がいたことには一同が目を丸くした。とりあえず、他校の生徒らしいことは分かったが、それ以上聞き出す気持ちなど焔にはなかった。
それ以上に、困っている七生の様子が気になるが、自分から言い出すのは気が引けた。その傍ら、千紗が溜息をついた。
「もう……こいつは……。焔君、土曜空いてないの?」
「え?」
「折角だし、空いてるなら付き合ってあげたら? この子一人で行かせるの、何か心配だしさ」
「……俺?明日、だよな……空いてるけど……」
任務はなかったはずだから、とは。さすがに口にはしなかったが。焔の返事に、ぱあと七生は花を咲かせる。
「ホント! 一緒に行ってくれる!? 焔君!」
ずいと詰め寄られて、戸惑う焔だったが、「お、おう…」と、その勢いに押されて思わず首を縦に振ってしまった。あまりの圧倒的なパワーに、思考が追い付かない。
──落ち着け俺。ジャームを相手にしてるんじゃあるまいし。
「嬉しい! 焔君とも色々お話とかもしたかったし、ホントありがとう!」
喜びながら帰り支度をする七生を横目に、千紗と
「すっかり他人事だな。……お前らだって保護者だろ、せめて一緒に帰……」
「……」
保護者AとBは、「明日の予定があるから」「明日のデートがあるから」『これで!!』と、そそくさと帰っていった。
「もう、みんなして私を子供扱いするんだから」
|七生は困ったように笑うが、保護者仲間に逃げられて置いて行かれた焔としては、複雑なものだった。気がかりではあったが、いざ二人きりで一緒に帰るとなると──気恥ずかしさが増していく。下校を促す教師の声が、遠くから聞こえる。
「じゃあ……帰りながら話そっか。…明日の予定」
「お、おう」
焔は慌てて机の中の教材を取り出す。消しゴムが零れ落ちて、コロコロと床を転がった。
通学路であるところの繁華街を通るのは、自分達のの高校の生徒だけではない。小学生や中学生の帰宅時間と重なっていることもあるが、大学生たちのたまり場となっていることもあり、にぎやかだ。
とはいえ、焔にはなんとなくその喧噪も気にならず、七生との談話を楽しんでいた。
「……ライブって何時からなんだ?」
「夕方の18時からだよ! 新宿西口駅すぐ傍のミニライブハウス!」
「そっか、西口、ね」
「少し早めに集まろっか! ついでにお買い物とかもしたいしなぁ~♪」
「……俺は特に予定とかもないから、何時からでもいいけど」
そう返しつつ、焔は頬が赤くなっていくのを感じていた。
──散々子守だなんだと冷やかされていたが、これじゃあ、まるで。
「あっ、でも天気次第かな。当日の午前にメールするね。あ、食事は軽食で済ませた方がいいよ。食べ過ぎるとライブ中に具合悪くなっちゃうかもだからね」
「そうだな、午前中に相談して──」
そこまで言いかけて、焔は歩みを止めた。
そういえば、連絡先を交換していない。どうしよう。切り出すべきか。
ひどく、のどが渇くが、意を決して一歩前に出た。
「あの、さ。連絡先、その、交換しとくか……」
細くなっていく声を聞いて七生がどう思ったのか。笑顔ではあるがその表情からは読み取れない。けれどもスマートフォンをとりだして、「そうだね、交換しよっか!」と連絡用のアプリを起動してくれている様子に、焔は安堵した。
「……これで、できたのか」
「うん、ばっちり! よろしくね!」
屈託のない笑顔。真意が読みとれないのは、自分の未熟さゆえというか気のせいなのかもしれない。
「荷物も極力少ない方がいいんだよな?」
考えるのも億劫なので、話題をそれとなく変えてみた。
「うん、買い物したら、荷物はコインロッカーに預けなきゃね。二つくらいで足りると思うんだけどな」
そうだな、と言いかけて。うん? と焔は首を傾げた。
「どんだけ買いまくるつもりなんだよ……」
「女の子にとって買い物とは必須案件なのです!」
なんて、と。可愛く下を出す七生からは、やはり楽しそうな様子しかうかがえない。やはり気のせいだったのだろう。
とはいえ、自分はもっぱら通販頼みでウィンドウショッピングなんてほとんどしない。どう会話に持っていこうか焔が迷っていると、再び七生が楽しそうに提案する。
「……ね、ライブ終わった後もさ。機会があったらまた、遊びに行ってみない? 千紗や往人君も誘ってさ!」
「そうだな、どっか遊びに行くか。俺もいろんな所行ってみたいかも」
けして。二人ではないのかと──がっかりしているわけではない。……というのは、焔の弁である。
「お、焔君、結構ノリがいいですね!……ふふ、うん。じゃあ約束ね!」
「お、おう」
無邪気な笑顔に高鳴る鼓動。
俺は保護者だ、俺は保護者だ──と、自分に言い聞かせながら心拍数を落ち着かせて、深呼吸する。不自然だったかもしれないとふと七生を見ると。
「……」
彼女の無邪気な表情は消え失せていた。というより、[今]を見ていなかった。その表情の意味は焔には読み取れない。話しかければ、崩れてしまいそうにも思えるその切なげな表情。そんな
七生は我に返り、困ったように眉を下げて笑った。
「あ……ごめんね。……焔君と話してると凄く楽しくて。それに、こうして明日のお話したり、周りの子達と同じように過ごしたりできるのがね、私、ホントに嬉しいんだ……」
七生の背後の西日が眩しくて、目を細めてしまう。位置の関係で、自分の背後に影が伸びる。
焔はその言葉に息を吞んだ。UGNから彼女がオーヴァードであるという報告はうけていない。彼女は、間違いなく[日常側]の人間だ。彼女は世界の側面を知らないままで、[今]を真に幸せと噛みしめているのか。そして、自分はその影──[非日常]に身を投じなければならない立場だ。思い出したくもないこともいっぱいあった。だからこそわかる日常の尊さだというのに。彼女は。真壁七生という少女は。彼女に何があるかはわからないけれど。きっと“知らず”して“知って”いるのだ。
「まあそうだな……、俺もこういう時間はなんていうか、良いなというか……落ち着くなとは思う……」
焔は素直に述べた。数か月前に反乱を起こしたチルドレンの幼馴染と一発殴りあったからこその感情なのかもしれない、とも思えた。
「ホントにありがとね。ライブ、一緒に行ってくれるって返事貰えた時、私、凄く嬉しかったんだ」
「おう…そいつは良かったな……。別に予定なかったし、ライブってのちょっと興味あったし……」
七生の言葉も自分の言葉も照れくさくなってきた焔は、視線を泳がせる。
しばらくの沈黙ののち、横断歩道という名の分かれ道にたどり着いた。
「……じゃあ、私、駅の方だから」
「……おう、気を付けて帰れよ。俺はこっちだから」
気まずいのかすらわからない気持ちで、焔が手を挙げると、七生は振り返って再び微笑んだ。
「明日は目一杯楽しもうね! あ、明日に備えて夜更かしは厳禁です!」
その笑顔に安堵したのか、焔は肩をすくめて手を振った。
「……俺基準で早めに寝る」
横断歩道を渡った後も手を振る七生を見送る。
──ああ、楽しみにしとくわ。
しかし。チルドレンである彼が。そう簡単に[日常]を謳歌できるものだろうか。
答えは──否である。
先ほどまで女子と連絡を交換していたスマートフォンから、無機質な着信音が鳴り響く。はたとディスプレイを確認するが、途端に顔をしかめた。
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UGNチルドレン 煌炎の剣“フランベルジュ”
令和X年 Y月Z日
UGN○○市支部
[招集命令]
UGNの勅命により、チルドレンとして
本メールに添付してあるUGN支部に
向かうことを命ずる。
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焔の中で、ガラスの壁が割れてパラパラと崩れる音がした。
「チッ…。大事じゃないといいけど。明日までに速攻で終わらしてやるか」
焔はとりあえず≪無上厨師≫で作った飴玉をコロコロと頬張った。気合を入れるミントの味を嚙みしめると、GPSを起動させ、指定されたUGN支部の場所まで駆けていく。こんな時、バイクでもあれば少しでも早く解決できるのではないか。そんな気さえした。
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