十二 疑惑



 魔狼事件から一週間、アルンはようやく隊の通常訓練に加わることができるようになっていた。基本の護身術と救急救命訓練、それから彼女が特別重宝されたのが、火災や災害の現場から安全に人を運び出す訓練。


「しかし地の神殿に問い合わせたところ、どうも生命反応の探知ができるのは今のところアルンだけらしい。コウモリの超音波みたいに自分の〈祝福〉をうすーく空間に広げて反応を得るらしいんだが、これがどうも特殊能力なんだそうだ」


 ドノスの言葉にルノとシルイが感心したように頷いたが、当のアルンはきょとんとしていた。手にしていたカップをテーブルに置いて、ぐるりと皆を見回す。狭い隊室のソファにぎゅうぎゅう詰めで座った仲間達が、挙動不審なアルンを不思議そうに見つめ返した。


「……え? でも〈祝福〉の気配を感じ取れる人って隊にも神殿にも結構いるじゃないですか。大きな術の発動の瞬間とか」


 彼女の言葉にルノがあからさまな呆れ顔になった。そんなに顔に出さなくてもいいのに。


「それは相手の力がこっちまで届いてる時でしょ? 感知と探知は別もの。自分から広げるっていうのが無理なんじゃないの? 僕にもできないし」

「……ほんとに?」

「だから、要救助者発見のための六番隊を作るのは無理そうだ。当分はお前一人に頼ることになりそうだな」

「……任せてくださいよ、ふふ」


 もじもじするアルンを気持ち悪そうに見たルノが、「アルンの能力は主に三つってことかな」と話をまとめにかかる。


「植物を急激に成長させる、対象に生命力を付与する、そして生命反応を探知する」

「なんかそれ……めっちゃ優秀っぽくないですか?」

「突っ走らずに、上手く使えばね」


 向けられた嘲笑に唇を尖らせていると、ルノが「で、僕達だけど」と腕を組んだ。


「ドノスとシルイはね、二人ともわりかし器用に何でもこなすんだけど、得意分野が違う。ドノスは槍と剣、短剣、弓矢とか、武器の類は何でも使えるけど、術はそこまで得意じゃない。逆にシルイは武器は槍一筋で、術がかなり色々使える」

「へえ……神殿なんて嫌いとか言っといて、顕現術は使えるんだ」


 アルンがにやりとすると、シルイは「……神殿が嫌いなだけで、神々に恨みはない」と目を逸らした。


「ふうん、一人の時は結構真面目にお祈りしてたりして」

「……ちがう」

「ふうん、ふうーん」

「で、最後は僕ね」


 ニヤニヤしているアルンをもう一度白い目で見て、ルノが話を戻した。


「神殿で血筋の話をするのもアレだけど、母方の祖母が砂漠の方の出身でさ。だから僕の受けている祝福は水の神っていうより雨の神のものなんだ」

「ええと……雨の女神サラファール、だよね」

「そう、水の神の娘ね。だから水の力を持つけど癒しはできないし、ていうかどうも体質らしくて雨乞いしかできない。でも、街の医者がやっているような手仕事の応急処置ならできる」

「あ、あとシルイは短剣も――」

「だからさ」


 短剣も使えるよね、と言おうとしたアルンの言葉を遮って、ルノがにこやかに続けた。


「だから……僕を治療してくれたファーリアス先生みたいな奇跡のわざを期待してるなら、今すぐ諦めといてよ。どれだけ努力しても、僕には絶対無理だからさ」


 華やかな微笑み。朝日を透かす金の髪をなんとなしに眺めながらアルンが返事を考えていると、その前にシルイがぼそっと言った。


「お前が治療院から転属になったのは、術の腕ではなく態度のせいではなかったか」

「ちょっとそれ、君にだけは絶対言われたくないんだけど!」


 顔をしかめて言い返す水色の瞳が、雲が晴れるようにいつものキラキラした輝きを取り戻した。案外この二人は、性格の相性も悪くないのかもしれない。


「そういえば昨日思いついたんだけど……私の種さ、たぶん雨があればもっと早く大きく成長させられるよ」

「へえ、後で試してみようか」

「えっ? 後片付けがものすごく大変だよ?」

「森の中でやるんだよ、馬鹿」

「……先日、湖畔に樹を見つけた」

「脈絡!」


 しかしシルイは以前よりかなり友好的になったが、その話のズレ具合はどうやら天然ものであったらしい。場の雰囲気は明るくなったものの会話には少々苦労している。特にルノが。


「何の木?」代わりにアルンが尋ねる。

「ナナカマド」

「えっ! 実はなってた?」


 頷いたシルイが紙に包んだナナカマドの実をどっさり取り出して、アルンは喜びの声を上げた。


「うわ、ありがとう! 燃えない木の種はいくつか欲しかったんだ。これでシルイの術とも組み合わせられそう」

「ああ」

「あのさ、そういう時は『アルン、星の湖畔でナナカマドの種を見つけたから採ってきたよ』って言うんだよ!」

「種ではなく、果実だ。赤く熟れている」

「そこじゃないよ。馬鹿じゃないの?」


 わいわいと情報交換に勤しむ三人を嬉しそうにドノスが眺めていたが、ふと壁の時計を見て立ち上がる。


「俺はそろそろ会議に行ってくるから、お前達は昼を食ったら二番隊の訓練に混ぜてもらえ」

「あれ? 今日の午前は会議入ってませんけど、明日と勘違いしてませんか」


 アルンが明るく尋ねると、ドノスもニコッとして言った。


「ああ、いや……ちょっと、な……」

「ふうん、行ってらっしゃい!」

「ああ」


 ホッとしたように頬を緩ませ足早に立ち去る後ろ姿を見送って、三人は視線を交わす。


「ドノスって……ものすごく嘘が下手だよね」

「ほんと、あれでどうやって大人の世界を生きてるんだろうね」


 笑顔を消して顔を寄せ合い、声をひそめる。


「……で、何かわかった?」


 ルノとシルイが首を振る。


「いや、何も。ドノスの部屋も調べてみたけど、書き留めみたいなものは何もなかった。たぶん『会議』の相手が、ドノスに情報を管理させないようにしてるんだ。賢明な判断だと思うね」

「部屋? どうやって入ったの?」

「あの人あんまりちゃんと鍵かけないから」

「あ、そう……ねえ、本当に関係あると思う? あのドノスが『魔術師の迫害』にさ……あんなに優しい人なのに」

「優しい人だからこそ、だよ」


 ルノがにこりと口角を上げて言った。が、目は笑っていない。


「魔術師は『屈服と恭順を迫る』って言ってたんだろう? 彼が魔術排斥派じゃないのは確かだと思う。けど、もしも彼が容認を通り越して『排斥派との橋渡し』を望んでいたとしたら? もしも『神に祈りさえすれば神殿はお前達を認めるだろう』みたいな思想を彼らに提案して、それを彼らが脅しと受け取っていたとしたら?」

「考えすぎじゃない? 素直に『排斥派』が何かしていると思った方が……」


 あまり身内を疑うのは得意じゃない。アルンはどうしても気が進まずに眉を下げたが、しかしルノは首を横に振る。


「けどそれじゃ、ここ数ヶ月で突然神殿が襲われるようになった理由の説明がつかない。十年前はもっともっと神殿と魔術師達の確執は大きかったんだ。神殿が寛容になってきた最近になって、どうしてそんなことするんだい? 良くなりかけている関係がこじれるだけじゃないか。魔術師の言葉を信じるとしたら、何かきっと……慎重な関係を崩して更に歩み寄ろうとした誰かがいるんだよ」

「……でも、私は信じたい」

「いや、僕だって本気でドノスを疑ってるわけじゃないよ。でも彼が何か僕達に隠し事をしているのは確かで、それが何なのか確かめるまでは、本当に信頼するのは難しいと思う。だから――」

「追うぞ」


 シルイが突然立ち上がった。やはりどこか物言いが唐突すぎる彼は、続けて言った。


「『会議』の内容を直接聞けばわかることだ。ドノスを尾行するぞ」





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