十一 利用していいよ



 病室の寝台の上に半分乗り上げ、点滴が付いていない方の腕にしがみついてすすり泣くアルンを、ルノが面倒そうに見下ろした。


「ねえ……邪魔なんだけど」

「ルノ」

「アルン、どいて。邪魔」

「ルノ、良かった。ごめん、ごめんね……」

「ちょっとシルイ、これどかしてよ」


 シルイは片眉を上げただけで黙殺した。ルノは諦めたのか、大きなため息をついて背もたれにした枕に寄りかかる。


 あれから治療院に担ぎ込まれたアルンだが、例によって急激に〈祝福〉を消費したことによる立ちくらみのようなものだったらしく、寝台に運ばれる前には目を覚ました。付き添ってくれていたエシテから魔術師に関する事情聴取を受けているうちに目眩もおさまったので、その足で隣の部屋のユシエを見舞い、下の階のルノの病室へやってきたのだ。目を覚ましていた彼に飛びつくようにしがみついて、そろそろ十五分。


「る、ルノっ……苦しくない? もう痛くないよね?」


 普通に話してはいるものの、まだ顔色の悪いルノを見てまた悲しさが込み上げてきたアルンは、しっかり抱え込んだルノの腕を更にぎゅっと抱きしめた。ルノが「ちょっとアルン、ていうかなんでまた泣き出してんの?」と言って、管の繋がった右手でアルンの頭をぐいぐい押した。


「だから離れろって、行儀悪いな」

「いやだ、今日はここに泊まる」

「はあ? なんで急にこんな面倒な感じになったかな……そんなんでも一応女の子なんだから、許されるわけないでしょ」

「やだ」

「……はぇッ?」


 その時突然、ドノスが裏返った間抜けな声を出した。「え、何?」とルノが気味悪そうに振り返る。


「……女の子、なのか?」


 ドノスがぽつりと言う。まだ声が半分裏返っている。


「え……女ですけど」とアルン。


 ドノスの目が一瞬アルンの胸元に向けられたのを、彼女は見逃さなかった。直前まで泣いていたのをすっかり忘れて頬を膨らませると、ドノスが咳払いをして「え、いや……ほんとか?」ともう一度アルンの全身を上から下まで見る。


「ドノス、その目つきやめた方がいいよ。変態みたいだから」

「あ、いや、すまん……しかし」

「確かに少年顔だけど、普通に女の子でしょ。ほんと見る目ないよね、初めは僕のことも女だと思ってたし。ね、シルイ? ……シルイ?」


 ルノの視線を負ってシルイを見ると、彼は目をまん丸くしてアルンの顔をまじまじと見ていた。


「まさかシルイも男だと思ってたわけ? 集会所火災の後に支持搬送とかしてたのに?」


 火の神に愛された青年は、無言のままこくんと頷いた。そんなことになっていたとは思いもよらなかったアルンは「……もしかして、だから戸棚の下着が全部男物だったんですか」と肩を落とした。


「アルアトレンって聞いたら普通男の名前だと思うだろ……」

「そうかもしれませんけど、確認してくださいよ」

「すまん……」

「ウラナは『可愛い女の子が増えて嬉しいわ』って言ってくれたのに」

「すまん……」


 しかしドノスがしっかり落ち込んでくれたお陰で、その後の説教はあまり強く叱られずに済みそうだった。彼はどこかまだ気まずそうに眉を下げたまま、いつもより覇気のない声でアルンへ問う。


「……で、何が悪かったか自分でわかってるか?」

「私は自分で戦えないのに、魔狼をおびき寄せたりしたから」

「違う」


 きっぱり首を振られて、アルンは首を傾げた。


「違うんですか?」

「発想自体は良かった。お前が初めからシルイと連携して、こいつを護衛につけていればな。事実、お前の行動のおかげで俺は要救助者の保護が間に合った。お前に欠けているものはチームワークだ」

「次はちゃんとドノスの指示を仰ぎます」

「それも大事だが、それだけじゃない。俺達はもっと互いの能力を隅々まで把握して、自分だけでなく、全員の能力を効率的に生かして戦う道を、それぞれが考えないとならない。必要なのは情報共有と、集団として動くための連携訓練だ。鍛え上げてやるから、覚悟しておけよ」


 ニヤッと笑ったドノスがアルンを見て、そしてシルイを見た。アルンは「はいっ!」と大きい声で答えて「治療院だぞ」と叱られ、シルイは無視を決め込んで叱られた。


「……じゃあ、ルノも大丈夫そうだし俺は会議に行ってくるから。アルンとシルイが遭遇した魔術師の追跡が本格的に始まる、というかもう始まってるからな。お前らは適当なとこで切り上げて今日は休め」

「はい!」

「治療院!」


 ドノスが立ち去ると、病室の中が急に静かになった気がした。と思ったのはどうやらアルンだけのようで、ルノが「ていうかアルンはうるさすぎ。もう少し静かに話せないわけ?」と言ってくる。


「えっ、ごめん! 気をつける!」


 息だけで言うと、ルノが「声量が小さければいいって問題じゃないんだよな……」と言った。よく見るとシルイもかすかに頷いている。


「どういうこと?」

「……私は神殿が嫌いだ」

「脈絡!!」


 突然話し出したシルイにルノがぴしゃりと言った。シルイはルノを不可解そうに数秒見つめてから、ぼそぼそと続きを話し出す。


「だから私は神殿に入った。この火竜に」

「ねえ、だからもう少し導入をなんとかできないわけ?」

「私だけが生き残ってしまったからだ」

「おいって!」


 ルノが頭をかきむしったが、アルンはその内容が気になっていたので「まあ、いいじゃない」と彼をなだめた。ルノは凄い目でアルンを見たが、渋々話を聞く姿勢になる。


「私の両親と妹は、火事で死んだ。私だけが火の祝福持ちで、家が燃えても火傷を負わなかった。それで、私だけが生き残った」

「……うん」


 アルンが頷くと、シルイはそれを少し困った顔で見て、そして先を続けた。


「その時……救助に来たのが、火竜の隊員だった。しかし火の勢いが強く、彼らは現場に到着していながら、応援を待った。突入していれば家族は助かったかもしれなかった」

「……それで神殿を恨んでるってわけ?」

「だから火竜に入った」

「聞けよ……」


 ルノが天を仰ぎ、シルイは淡々と話を続ける。


「火竜に入って、誰も死なせない火竜になろうと思った」

「そうなんだ……」


 彼の重い過去にアルンが胸を痛めていると、シルイがまた彼女を見て困り顔になった。しばらく視線を泳がせてから「……ああ」と呟く。


「あ、もしかしてシルイ、アルンが女の子だって知って照れてんの? うわ、いけないんだ! 神官のくせに」


 ルノが茶化すと、シルイは「……ちがぅ」と消え入りそうな声で言った。思った反応と違ったのか、ルノが「え、いや、ほんとに?」と困惑した顔になる。


「だってこんなんだよ?」

「ちょっとルノどういう意味」

「……だから、私は誰も死なせたくない。待つことに、協力はできない」


 シルイが困った声で言って、そしてアルンをじっと見た。


「もしかしてドノスが『連携の訓練をする』って言ったから?」

「ああ」

「『待つ』が選択肢にある火竜隊が嫌いだから、いつも返事しないの?」

「……ああ」

「うわ、子供じゃん。それも相当馬鹿な方の子供」


 ルノが鼻で笑ったのを見て、シルイが少し怒った顔になる。するとルノは言った。


「十五で入隊してから四年もいれば、その『待つ選択』が保身じゃないことくらいもうわかってるでしょ。その上でその振る舞いなんだから、ただの駄々こねる子供じゃん――本当に一人残らず救いたいなら、全部利用しなよ。自分も、周りも、嫌いな奴もみんな」


 ルノの青い瞳が、すうっとその色を濃くしたように見えた。その奥に轟々と流れる濁流を秘めたような目をして、彼は言う。


「見てたらわかったでしょ。アルンは魔狼に囲まれた三人を救おうとして突っ走り、そして僕が死にかけた。無策で突っ込んだら、たとえ初動がどんなに早かろうが……いつか、考えなしのお前が考えもしなかったところで、誰かを死なせるよ」


 シルイが口を開きかけ、黙る。そしてちらとアルンを見て、目を逸らした。膝の上の拳が強く握りしめられている。


「ドノスが言った通りだ。僕達はまだチームで戦えてない。一人一人が能力をバラバラに使っていて、俯瞰で見たらすごく非効率的なんだ。能力っていうのは合わせれば強くなる。……馬鹿にもわかるように言ってあげるとさ、敵に囲まれた時、背中合わせに戦えば死角がなくなることくらい想像がつくだろ」

「利用していいよ、私達のこと。誰も死なせないためなんでしょう? 私も、誰にも死んでほしくないもん。たぶんルノもそうだよ。同じ目的のために、お互い利用し合えばいいじゃない」


 ニコッとしてアルンが言うと、シルイはよく見ると緑っぽい灰色の目でじっと彼女を見つめ、「まあ、そういうことだね」と肩を竦めたルノを見つめ――そして仕方がなさそうに小さく、けれど今までに見たことのない優しげな顔で微笑んだ。





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