七 曲芸



「昨夜は事後処理で君の歓迎会もできなかったからね……私の曲芸を見て笑ってくれたまえ。……ああ、悪いがつまらなかったら目隠しを外す前に立ち去ってくれるかね? 失望した顔を見たくない」

「流石にネガティブすぎませんか」


 アルンが呆れて言うと、副隊長は「ああ、早くも失望させてしまったようだ」と肩を落とした。ドノスが「そんなことないから、見せてやってください」と励ますように肩を叩き、訓練場の端ではまだ名前を知らない赤い帯の隊員達がクスクス笑っている。一番隊の人達らしい。


「頑張れ、副隊長!」

「自信持って!」


 観衆から声がかけられると、副隊長が「古くからの仲間にも囃し立てられる私は……」と言った。ルノがすごく冷たい目で見ている。


「……では、始めようか。見学者は離れていなさい」

「はい」


 目元に黒い布を巻き始めた副隊長から少し距離を取ると「まだ近い。得物は槍なので、端まで寄るように」と言われた。見えているのかと思ってまじまじと見つめると、ドノスが笑いながら「見えてないよ、布の厚さはちゃんと確認してある」と言う。


「誰から来る?」

「僕から」


 意外なことに、ルノが進み出て一礼する。副隊長はそれに礼を返し、そして隊員の一人が差し出した槍を受け取る。


 くるりと体の横で一回転させて構える身のこなしが予想外に鋭くて、アルンは目をぱちくりとさせた。後ろ向きにへたれていた副隊長の気配が、ゆらっと炎のように燃え上がる。ルノが両腰に下げている短剣を二本同時に抜き放ち、身を低くして構える。


「槍に、短剣で挑むんですか?」

「ルノはあんまり腕力ないから、槍だと重さで振り回されるんだよなあ」


 ドノスが言った。ルノが怒るのではないかと思ったが、彼は副隊長を睨んだまま額に汗を浮かべている。


「なんで動かないんですか?」

「お互い隙を窺ってるんだ――おっ!」


 ルノが動いた、らしい。彼が黒と金の残像を残してその場から消えたので、アルンはきょろきょろと目を彷徨わせて探した。一瞬で副隊長の左後ろに現れた人影の手元に、鋭利な銀色の輝き。


 ガキン、と鈍い音がした。顔の横に短剣をかざし、柄の部分で滑らせるように槍の軌道を逸らしたルノが、必死な顔で飛び退る。うまく逸らしたはずの槍がすぐさま腹を狙って突き出され、ルノはそれを宙返りで避けた。


「す、すご……」

「うーん、まだ懐には入れないか」


 ドノスが呟く。二人の戦いを見つめたまま「ルノって水の神官なのに、あんなに戦えるんですね」と言うと、彼は「そうだな」と笑った。


「あいつは身軽だし、動体視力がすごくいいんだ。だから体力も、火の力がなくてもあれだけ戦える……そろそろ交代するかな」


 ドノスが独り言のように言って、すらりと剣を抜きながら出て行った。副隊長が先に反応して、それを見たルノが後ろに下がる。


「お願いしますっ!」


 ドノスが大きな声で言いながら切り込む。


「こちらこそ」


 丁寧な返事に反して勢いよく突き出された槍を、ドノスは軽い動きで避けた。楽しげに微笑みを浮かべたまま、踊るように剣をくるっと返して――


「えっ!?」


 ニヤッとしたドノスの剣に一瞬何かの術が絡みついたように見えた、次の瞬間。赤い光の尾を引きながら振るわれた刃が槍の柄をすっぱり半分に切断したので、アルンは目を丸くして叫び声を上げた。いつの間にか隣に戻ってきていたルノが「うるさい」と頭をはたく。


「痛っ」

「うわ、やば」


 見上げると、ルノは瞳だけは真剣な苦笑いでドノス達の方を見つめていた。槍を二つにされた副隊長は短くなったそれを片手に一本ずつ持って、二刀流のような動きで応戦している。柄だけの方を主に防御に使い、穂先の方で攻撃。


「なんで見えなくても戦えるんですか?」

「自分で考えなよ、馬鹿」

「気配を察知する、みたいな?」

大雑把おおざっぱに言えば。でも君が集会所で使ってた探知能力じゃなくて、空気の揺れとか音とかそういうやつね」


 けれど流石に間合いを詰められれば剣の方が有利だったようで、アルンが気づいた時には副隊長が片膝をつき、その首筋に剣をぴたりと突きつけたドノスが嬉しそうに笑っていた。アルンは飛び上がって拍手し、ルノも「やるじゃん」と言っている。


「ありがとうございました」

「ああ、私も潮時かもしれない。こうも簡単に若者に負かされるとは……」

「いや、目隠しのままそれ言うと嫌味みたいですよ」

「嫌味を言っているように聞こえるのか……」

「褒めてるんですよ。シルイも相手してやってください」

「シルイは目隠しなどなくとも私より強いだろうに……私を皆で完膚なきまでに打ちのめして、そんなに楽しいのかね」


 ほんとにめんどくさいなあの人、と言いそうになって我慢した。珍しくまずいことを口に出さなかった自分を心の中で褒める。


「……ん? シルイの方が強いんですか? 副隊長より」

「いいや。あいつは協調性がないから、火竜としての実力ならだいぶ下だよ。……まあ一対一なら勝つかもしれないけど」

「そんなに?」

「あいつの槍は火竜の中で一番、と言う人もいる。でも僕にしてみれば命令に従わない時点で論外」

「ふうん……?」


 壮年か中年か迷うくらいの副隊長と、まだ十代に見えるシルイを見比べ、アルンは半信半疑で腕を組んだ。火事の時の動きを見る限り実力はありそうだが、そこまでがっしりした体型でもないし、外見はドノスの方がずっと強そうに見える。


「まあ、見てればいいよ」

「そうだ、ね……?」


 ふと、耳を澄ます。何も聞こえない。ルノが「何?」と馬鹿にしたように訊く。


「いや……今、何か聞こえなかった?」

「何も。そういう時はもっとどんな音だったか具体的に言うんだよ、馬鹿」

「高い、悲鳴みたいな――」


 同じ音がもう一度、今度はよりはっきりと響き渡る。甲高い悲鳴に訓練場の全員が顔を上げ、槍を持って模擬戦の準備していたシルイが飛び出した。壁を蹴って屋根の上に飛び上がり、すごい速さで隊舎の上を走ってゆく。


「五番はシルイを追え。一番は三人が偵察と伝令、半数は残って人員の確保」

「はっ!」


 副隊長の指示に全員が胸にドンと拳を当てる敬礼をして、一斉に走り出す。アルンは皆の真似をして敬礼しようともたもたして、ルノに「早く!」と怒鳴られた。


「ご、ごめん!」

「どっちから聞こえたかわかるか?」


 ドノスが尋ね、アルンは真っ直ぐ神殿の裏門の方を指差した。一番隊の三人は「では五番隊はそちらへ。私達は他を」と言って偵察のために散らばっていった。


「――みんな逃げて! 魔狼よ!!」


 女性の絶叫。今度ははっきりと聞こえた。走り去りかけていた一番隊がはたと立ち止まり、一瞬の目配せの後に一人がドノスの後ろへ付く。二人が神殿全域の偵察へ向かう。


 響いてくる男性の叫び声。


「水を呼べ! ユシエが腕を喰われた!!」


 ユシエ。大地の神に仕える『豊穣の使者』、アルンの親友の名前だった。





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