四 食堂にて
説明なしに勝手に飛び込むのは絶対ダメだとか、救助の際は必ず安全マージンとやらを取るようにとか、帰りの馬車の中で結構しっかりドノスに注意された。皆元気そうではあったが、煙を吸っているなら乗馬は控えた方がいいと応援に来た水の神官が手配してくれたのだ。普段は神殿治療院で働いている人だそうで、ルノとアルンはその不思議な治癒の術で火傷を治してもらった。
「お前の機転と行動に救われたのは確かだが、一歩間違えば四人とも死んでた。火竜隊は命懸けの仕事だが、だからこそ決して無謀にはなるな。もしもまた同じような状況に陥ったら次は必ず四番隊、呼吸補助が可能な気の部隊の応援を待て」
「……やだ」
「やだじゃない」
「……はい」
「よし、いい子だ」
一番活躍したのは私なのに……と少しだけふてくされて帰還すると、腕の怪我を隠していたシルイを治療院に押し込む。本人は「問題ない、折れてはいない」とか言っていたし、確かに火の神の〈祝福〉のおかげで黒焦げなのは服だけだったようだが、ぽたぽたと血が滴っているのを見咎めたアルンが問答無用で連れていったのだ。
「お前、ちっこいのに結構体力あるよな……シルイが半分引き摺られてたぞ」
「かなり見ものだったね」
「ちょっと引っ張っただけじゃないですか……あっ、もしかしてあれが隊舎ですか?」
高い塔が立ち並ぶ敷地の端っこ、厩の隣にある「隊舎」は、神殿らしからぬ簡素な雰囲気の平家だった。彫刻は扉の縁取りくらいで、あとは灰色っぽい長方形の石が味気なく積み上げられているだけ。
けれどその簡単な作りがアルンにとっては新鮮で、彼女はわくわくしてその建物を見つめた。玄関から少し離れたところに太い木の柱が立っていて、てっぺんにアルンの頭くらいの大きさの金色の鐘が吊るしてある。垂れている赤い紐を揺らして鳴らすようだ。やってみたい!
「あれ鳴らしていいですか?」
早速尋ねると、ルノが間髪入れずに「馬鹿じゃないの?」と言った。
「みんな飛び出してくるよ」
「あ、もしかしてあれが警鐘?」
「そうだよ」
火を吹く竜の絵が描かれた扉をくぐると、中には薄暗くて細い廊下が長々と続いている。ずらりと扉が並んでいて、「一」とか「二」とか刻まれた真鍮の板が打ち付けられていた。ルノが「じゃ、僕着替えてくるから」と言って軽やかに走ってゆくのを見送る。元気そうで良かった。
「俺達は五番隊だから、ここが隊室な。そこの突き当たりを曲がると食堂とか風呂とかがあって、個人の部屋はその奥」
「五」と書かれた部屋を親指で指しながらドノスが言った。
「変わった造りですね」
「全部一続きな上に、外へ繋がる扉はそこの玄関と一番奥に裏口があるだけだからな。急ぐ時は窓を使え」
「窓」
言われてみれば、大きな両開きのガラス窓は位置も低めで、簡単に外へ飛び出せそうに見える。窓から出入りするなんて行儀の悪いこと、神官であるアルンはやったことが……ないとは言い切れなかったが、許可を得て堂々としたことは一度もない。
「嬉しそうだな」
「だって、窓ですよ?」
「はは、いいことだ。本殿から来たばかりのやつはお行儀がどうのって躊躇する奴が多いからな――そんな
明るいまなざしが瞬き一度の間だけ温度を下げる。先程の火事のことを思い出しているのか、それともまた別の事件のことだろうか。目の前で誰かの命が失われてしまうようなことを……これからアルンも、経験することになるのだろうか。
彼女が俯いて考え込んでいる間に、ドノスは懐から鍵を取り出して廊下の端の扉を開け、「ほら、着いたぞ」と言った。瞳の色もすっかり元の通りだ。どうやら既に隊舎の奥まで来ていたらしい。
「ここがお前の部屋だ。四十八号室。隣の四十七はルノな」
「あ、はい」
「俺はシルイの様子を見てくるから、お前は着替えたら食堂で昼飯」
「はい」
ドノスと別れて部屋へ入る。中は意外と広く、簡素な木製の寝台と机、本棚と衣装棚らしき戸棚が置いてある。本棚に近寄ってみると、神話の解説書とか武術の入門書とか、特にお気に入りにはなりそうもない真面目な本が詰め込まれていた。
隣の部屋の扉がバタンと閉まる音がした。着替えを終えたルノが出ていったらしい。
「ふうん……」
戸棚を開け、内側に取り付けられた姿見をじっと見てから、寝台の上に置かれていた黒い隊服に着替える。
深緑の帯を締めてもう一度鏡を覗くと、かなり「それらしく」なった自分の姿が映っていた。これは結構似合っているのではないだろうか。アルンはそう考えてにんまりし、こんなに細身の服を着ても全く目立つ様子のない胸元を見て渋い顔になった。地の神殿で仲の良かったユシエに「サラシか何か巻いてる?」と訊かれたことがあるのは今思い出しても腹立たしいが、彼女はどうして……あの神殿の質素な食事であれだけの脂肪を蓄えることができるのだろうか。それも胸だけに。
段々イライラしてきたアルンは両手で頭をかきむしり、そしてハッとなって素早く手を下ろした。
(着替えたら食堂って言われてるんだった!)
慌てて部屋を出て扉を施錠し、小走りに廊下を進む。扉の表示を一つひとつ読んで、「食堂」と書いてある部屋へ飛び込んだ。
「すみません、遅くなりました!」
「……アルン、だっけ。頭どうしたの?」
「え?」
食事の乗った盆を持って立っているルノに言われて手をやると、妙にふわふわしている。そういえば、さっきめちゃくちゃにしたままだ。
「あー、両手でこう『ぐわあぁぁっ!』ってかき回してそのままでした」
「いや、実演しなくていいから。馬鹿にも程があるでしょ」
冷たい目で見てくるルノは、どうやら食堂の使い方を教えてくれる訳ではないらしい。さっさと席に着いて食前の祈りを捧げ、食べ始めている。アルンは少しの間じっとりした目で彼を見つめ、そしておずおずといい匂いがする奥の方へ行ってみた。重ねられた盆と皿の隣に、食べ物が山盛りにされた大皿が並んでいる。どうやらここから勝手によそっていいらしい。
手に入れた遅い昼食を持って向かいに座ると、ルノが「そこに座るのか」みたいな顔をした。その喉元をよーく見る。あまり目立たないが、ぽこっと小さく喉仏があった。本当に男の人だ。けれど明るい金髪はキラキラのツヤツヤだし、頬と唇は薔薇色で、顎もほっそりしている。少し垂れた目は長いまつ毛に囲まれていて、瞳は鮮やかで綺麗な青色だ。
「……何」
「すごい美形だな、と思って」
「……別に、好きでこの顔なわけじゃないよ」
「うわ、指もすごい細くて綺麗」
「うるさい」
本当に不愉快そうな顔をされたので、アルンは慌てて口をつぐんだ。千切ったパンを口に押し込みながら、そっと観察を続ける。神殿の人は髪を背中まで伸ばすと決まっているのに、彼の金髪は肩までの長さしかなかった。それをさらさらと流したままにしているから、余計に女の人みたいに見えるのかもしれない。
「……ねえ、何?」
怒った声が降ってくる。アルンは「バレた」と思いながらもぐもぐしていたパンを飲み込み、口を開いた。
「火竜隊は、髪を短くしてもいいんですか?」
「これは焦げたから切ったの。最近火災が多いんだよ……今月もう五件目だし、今日だけで二件」
「そんなに? どうして?」
「わかってたら未然に防ぐ方向に動くと思わない?」
「……そうかも」
「でも、さっきので少し見えたな」
「見えたって?」
アルンは身を乗り出したが、ルノは「わかんないとか、馬鹿じゃん」と言って教えてくれなかった。思ったよりは返事をしてくれるが、いかんせん神職にあるとは思えない態度で接してくる。癒しの神を信仰する水の神官達は医療に携わることが多いが、彼に「治療院の優しいお医者さん」はできそうもないなと思って笑いそうになり、アルンはスープを吹き出さないように口を押さえた。
「……何だよ」
「ルノって水の神官なのに、なんでそんな性格なんですか?」
「癒し系じゃないって? 悪かったね」
「悪いっていうか、ちょっと面白いっていうか」
ルノが何か返事をする前に、隣のテーブルからブッと吹き出す音が聞こえた。見ると、灰色の帯の女性隊員がハンカチで口元を拭っている。
「流石、『はみ出し部隊』は新入りもなかなかの跳ねっ返りね」と気の神官。
「はみ出し部隊?」とアルン。
「ルノもシルイも……ほら、ちょっと変でしょう? ドノス隊は変な子ばっかり集められてるってみんな言ってるんだけど、あなたも相当面白そうだから、ふふっ」
悪口のようにも聞こえるが、声に嫌味なところが少しもないのでそのくらい言い合える仲なのだろう。嫌いじゃないタイプだな、と思って微笑み返すと、彼女が肩を震わせながら「髪、直してあげましょうか」と言った。
「いえ……」
流石にそれはと首を振ると、ルノが「やってもらった方がいいんじゃない。ヤバいよその頭」と嘘みたいに馬鹿にした声で言う。
「じゃあ……お願いします」
「ふふ、任せて」
既に食べ終わっていたらしい彼女は「ウラナよ、よろしくね」と言って立ち上がった。手品のようにどこからともなく小さな手鏡と櫛を取り出し、鏡の方をアルンに手渡す。髪をいじられながら鏡の角度を変えて室内のあちこちを観察していると「それはね、じ、自分の顔を、見るのよ……っ」と苦しげな笑い混じりに言われてしまった。ルノがフンと鼻で笑う。
「私と、もう一人リネスは待機のために帰ってきたけど、四番隊の残り三人はあなた達の担当した現場の調査に行ってるから。彼らが帰ってきて、シルイとドノスも治療院から戻ってきたら、犯人の炙り出しを始めましょうね」
ちょっとした世間話のように言われたので聞き逃しそうになったが、何やら凄いことを言われた気がする。アルンはぽかんとして鏡越しにウラナを見つめ、それを見た向かいのルノがまた鼻で笑った。
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