第153話 波乱

 花蓮はクローゼットのスライド扉を軽く開け、木製の扉がくの字に折れて中に光が差す。

 ハンガーに吊るされた服の後ろで身を潜める俺の心臓が早鐘を打ち、音がもれないように胸と口を押さえる。

 これ、足見えてるだろっ! 頼む千里、早くここから花蓮を引き離してくれ!

「あ、あ、有りました。はい、花蓮さん!」

「はぁ? ハサミだって! 何でペン渡すのよ?」

 クローゼットの扉を掴んだまま花蓮は後ろを向いて千里に呆れたように言った。

 また前を向いた花蓮が扉を更に開ける。

「か、かっ、花蓮さん? そういえば作クンがさっき探してましたよ、管理人室で話したいとかで……」

「えっ? ホント? な、何でそういう重要なこと黙ってたのよっ!」

 花蓮は扉から手を離し、千里の机の上に置いてあった鏡を勝手に手に取りツインテールを手櫛で整える。

「ハサミは後でいいわ、また後でね?」

 花蓮は小走りで部屋を出て行った。

「はぁ〜っ!」

 千里の大きなため息が部屋に響き、ベッドの軋む音が聞こえた。

 俺は恐る恐るクローゼットのスライド扉を裏から手で開けて外に出ると、どっと疲れて両膝に手を着いた。

 千里はベッドに倒れていて、恨めしそうに俺と目を合わせる。

「大丈夫か? 千里……」

「緊張しすぎて具合が……。作クンは早く管理人室に戻って下さい」

 千里は這うようにベッドから身を起こし、部屋のドアを開けると首だけ外に出して周囲を確認した。

「作クン、今です! 早く出で下さい!」

 俺は静かに廊下に出て管理人室に向かった。

 花蓮が管理人室で待っている? 俺が呼び出した……? それってどうすればいいんだよ?

 頭の中がこんがらがる、俺、花蓮と話すこと無いぞ……。

 階段を一段飛ばしで駆け下り、俺は管理人室に直行した。

 ドアを開けて部屋の中に入ると花蓮はフリフリのレースの付いたシャツにミニスカート姿でベッドに腰かけてスマホをいじっていて、俺に気付いて顔を上げた。

「あっ? 作! 今メッセージ送っちゃった、用って何なの?」

 茶髪のツインテールを揺らして花蓮は首を傾げた。

「えっ! そ、それはだな……何というか……その……ひ、引っ越しは順調かなって」

「ふーん? 正直に言えばいいのに」

 花蓮はいたずらっぽく笑い、ベッドの上で足を組む。

 その仕草に俺はドキッとして体がピクリと動いてしまった、花蓮の太ももの奥が見えそうでスカートと二本の足のいけない三角形の隙間に目が釘付けになる。女の子が一人部屋に入っただけでいい香りが部屋中に漂い、俺の鼻腔をくすぐり、冷静さを奪おうとしているみたいだ。

「正直にって、何がだよ?」

 俺は冷静を装い花蓮に近づく。

「私にちょっかい出したいんでしょ? いいよ。なんか久々だね、作の部屋で二人きりって」

「バカだろ、花蓮! だ、誰がそんなこと!」

「なんか思い出しちゃうな、私の部屋で作が迫って来たこと……」

 はぁ? あの時は花蓮が迫って来たんじゃないか! 俺はブラ姿の花蓮を思い出してしまい、ゴクリと唾を飲み込んだ。

 黙って微笑む花蓮がベッドに腰かけたまま俺に両手を伸ばす。

 以前花蓮は俺の手を取って胸を触らせて来たっけ……。

 花蓮のシャツの小さな胸の膨らみは未発達な感じを醸し出し、決して触ってはいけない禁断の果実みたいだ。

 みるみる頬をピンクに染める花蓮に、これから起こる事が容易に想像できる。

 急上昇する鼓動で体が振動しているのではないかと錯覚を起こした時、花蓮が俺の両手首を湿った暖かい手で掴む。

「抜け駆けかぁ? 花蓮ちゃん何エッチな顔してるの?」

 レオナの声が聞こえ、俺と花蓮の体がビクンと飛び跳ねた。

 振り向けばレオナが久々に見る短パン姿でこちらをドアの外から覗いていた。

「ち、ち、ち、違うからっ! 作が! えっと、その……。いきなり話し掛けないでよ! びっくりするじゃない!」

 かああっと音が出そうなくらい顔を赤らめた花蓮は上ずった声でレオナに反論する。

「ほう? 逆ギレで誤魔化す魂胆ですか? でも今の花蓮ちゃんの顔、可愛かった! 男にはそんな顔出来るんだ?」

「うっさい! てかレオナっちこそ何しに来たのよっ!」

 ベッドから飛ぶように降りた花蓮は威嚇するようにレオナに近づく。

「私? 私は作也に家具ずらしてもらおうかと思って」

 顎に人差し指を付き、上を見てレオナは言った。

「作に頼むほど重い家具なんてレオナっちの部屋にあったっけ?」

 腰に手を当て、花蓮は疑り深くレオナの顔を見入る。

「うっ! そ、それだけじゃ無いしっ! 部屋のレイアウトとかいろいろ相談したかったし……」

「それなら私が相談に乗ってやるから!」

 花蓮は管理人室を出て階段に向かう。

「レオナッち、早く!」

 俺と花蓮を交互に眺め、「うーっ!」と苦悶するレオナは「わかったわよっ!」と大きな声を出して彼女の背中を追う。

 ドアの前で立ち尽くす俺に、レオナが振り帰って「またね?」とウインクして小さく手を振った。

 数分間の間に美少女に振り回された俺は管理人室に戻った途端、カーペット敷きの床にうつ伏せに寝転んだ。

 体が持たねーっ! なんだこの美少女ジェットコースターは……。

 俺はそれから暫くの間、立ち上がることが出来なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る