第149話 一ノ瀬の唇
翌週、俺は学校帰りに社宅に向かっていた。
足取りが重い。千里とはまだ和解出来ていないし、あげはは完全に俺をからかうのを楽しんでいるみたいだ。
駅を出て社宅に向かう坂道を歩いていると背後で足音が聞こえた。つかず離れずついて来る気配に俺は胸騒ぎがして路地を曲がって塀に隠れて気配を伺う。
「あれ? 居なくなっちゃった」
小柄なウチの高校の制服を着た女子が道路の真ん中で立ち尽くし、キョロキョロ周りを見ている。
その子は隠れる俺の前を通り過ぎ立ち止まった。
「おい! 一ノ瀬! 何のつもりだ?」
「あ、藍沢。案内してよ」
「案内ってどこに?」
「そんなのサジタリウスの社宅に決まってんじゃん」
「えっ……一ノ瀬、なに企んでやがる?」
「何が? 私も今日からそこの住人だから場所分かんないし案内して欲しいんだけど! ホントは藍沢を驚かせたかったんだけど見つかっちゃしね」
首を傾けてウインクをする一ノ瀬のショートヘアーがふわりと揺れた。
「楽しみだなぁ、また藍沢と暮らすの……」
「はあ? 何だよそれ? 俺、別に住んでる訳じゃ無いぞ」
「嘘っ! このあいだ家に遊びに行っていいって聞いたら、社宅に泊まってるから遊べないって言ってたじゃん!」
「それは偶々だって! いつもはアパートに帰ってるんだ」
「じゃ、今日から泊って! 明日は私と一緒に登校しようよ!」
「いや、それはヤバいって!」
「何がさ? 朝、誰かと約束でもしてるの?」
いや、約束はしていないけど、仁科坂とは暗黙の了解で家から一個目の信号で偶然を装って会って自転車通学をしているし、千里に一ノ瀬と登校する所を見られれば、仲直りしていないから更に炎上しそうだし……。
怖え、炎を背景に千里がジト目で睨む姿が脳裏に浮かび身震いする。この状況は危険だ、一ノ瀬には悪いが今日は帰った方が身のためだ。
「うわぁ……藍沢、凄く焦ってるよね? そういう時、焦点の合わない目を小刻みに揺らすから直ぐに分かるよ」
「ごめん……」
「何に謝ってるのか分かんないよ藍沢。でも困ってるみたいだから一緒に登校はまた今度でいいよ……だけど」
一ノ瀬は俺の腕にしがみ付き顎を上げ、目を閉じた。
「キスしてくれたら許す」
「えっ? ここで?」
目を閉じた可愛い顔が俺を見上げている、微笑を浮かべた一ノ瀬は天使みたいで胸の奥がキュンと痛くなる。
「早くっ!」
近くを老人が通り過ぎる、子供たちも路地で遊んでいるし、こんな住宅街でキスなんて恥ずかしいだろ!
俺はキョロキョロと周りをを見渡し、一ノ瀬のキスをねだる顔にゴクリと唾を飲み込んで気付かれないように彼女の唇を指でそっと触った。
ピクンと体を動かした一ノ瀬はゆっくり目を開け、顔を赤らめる。
「もう藍沢と何回キスしたか分からなくなっちゃった」
俺を見つめて微笑む仕草がくっそ可愛いっ! キスを誤魔化した罪悪感からか俺は全力で彼女にキスをしたい衝動に駆られた。
俺は一ノ瀬と他愛のない話しをしながら社宅へ向かう、一ノ瀬はニコニしながら歩き、時たま俺にくっついてじゃれる、その姿はまるで仔猫みたいに可愛らしくて俺の心を溶かしてくる。
ヤバっ、俺、今すっげードキドキしてる。ヲタク女子の無邪気なスキンシップは制服越しでも柔らかさと体温が伝わってくる。以前レオナが言っていた『もち肌加奈子』は伊達じゃない、なんかプニプニしてて気持ちいいんだよな、一ノ瀬って……。
「ここだよ」
「へぇー、すごい立派じゃん」
「ところで荷物って無いのか?」
「後で届くんだ、時間指定したから」
一ノ瀬は玄関のガラス戸を開けて建物の中に入ると、ポケットから鍵を取り出してタグを眺める。
「202か……」
えっ……それって千里の部屋の隣じゃないか……。これはヤバい、俺が部屋に出入りしたらバレバレだろ。
「藍沢の部屋はどこなの?」
一ノ瀬は鍵のタグから俺に視線を移して聞いた。
「そこだよ、管理人室って書いてあるだろ?」
俺は親指を立てて後ろを指さした。
「見ていい?」
「えっ? 別にいいけど何も無いぞ」
俺は一ノ瀬の期待に沿えないつまらない管理人室の鍵を開けた。
「お邪魔しまーす」
ドアを開け、一ノ瀬が中に足を踏み入れる。靴が三足程しか置けない三和土で靴を脱ぎ、寝具の無いベッドに腰掛けた一ノ瀬は「ホントに何も無いんだ……」と俺を見て笑う。
「つまんないだろ? それより中案内するから行こうぜ」
「待って」
俺の手を握り、一ノ瀬は引っ張るようにベッドに座らせる。
「ねえ……作也くん……」
一ノ瀬は俺の胸にペッタリとくっついて顔を上げた。
「な、な、な、一ノ瀬さん……何かな?」
一ノ瀬が俺を名前呼びする時は大抵……。
「さっきのキスじゃ足りないかな……もっとしていい?」
ヤバいっ! さっきの指で偽装したキスは逆効果だったか? なんだこのキスへの渇望は。
瞼を半分閉じ、ジリジリ色白の可愛い顔が迫る、熱い息が俺の唇にかかり、俺の体が制御不能に引き寄せられる。
「一ノ瀬……引っ越しの荷物は……」
「まだ、時間あるし……」
口を小さく開き、一ノ瀬は俺に吸い付くようにキスをした。ちゅぱっといやらしい音が部屋に響き、舌を入れてくる一ノ瀬に俺も自然と舌を絡める。
一ノ瀬の手のひらに力が入り、俺の体を強く握ってくる。
ちょ、待て! なんか一ノ瀬、積極的過ぎんだろ!
俺も何やってんだ! 一ノ瀬の勢いに押されて体で反応しちまった。こんな事ばかりしてたら駄目だ、今はバイト中だし、このままじゃこの状況が当たり前になりかねないぞ。
「い、一ノ瀬……俺、バイトしに此処に来てるんだ、だから分かるよな?」
唇を離した俺に一ノ瀬は物足りなさそうに自分の唇を指で撫でている。
「あっ…………うん…………ごめん……」
ベッドから立ち上がった一ノ瀬は小走りで部屋を出てドアの前で振り返ってニコリと笑い、「藍沢のキス、ちょっとエッチだったよ!」と言って逃げた。
いや、それ……俺のセリフなんだけど……。
ドキドキが収まらない俺は暫くベッドに寝転んだ。
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