第144話 管理人

「管理人? 作クンが?」

 あげはの背中を見送っていた千里がキョトンとして振り向いた。

「そうなんだ。俺、杉岡さんに頼まれてここの管理人をする事になっちゃって……」

「本当ですか?」

 千里は声を震わせ、瞳をキラキラさながら近づいて来る。

「じゃあ、作クンはずっとここに住むんですね?」

 胸の前で両手を合わせ、ユルい顔をする千里に俺は言った。

「いや、住まないけど……」

「何でですかっ!」

 千里も俺を壁に追い詰める。

「だってここからは学校が遠いし、部屋も激狭、女子専用の風呂に入る訳にもいかないし無理だよ」

「ここに住めば家賃かからないじゃないですか!」

 壁を背にした俺に、千里は体をグイグイ押し付けて不満をぶつけてくる。ちょっと千里! む、胸っ、当たってるって!

 怒っている千里が可愛くて俺は彼女の体をギュッと抱きしめたい衝動に駆られたが、寸前のところで耐え、天井を眺めて気をそらす。

「そんな事言ったって、いつクビになるかも分からないバイトの身分で今の部屋を引き払うなんてリスクあり過ぎだろ?」

 声が上ずってしまった、完全に落ち着きを無くした俺の体が火照り、心音の高まりが彼女にバレそうで恥ずかしい。

「クビになったら私の部屋に住めばいいんです!」

「無理だろ! ここは女子専用なんだから」

 うーっ! と不満げな声を漏らした千里は何故か俺の脇腹をつねる。

 痛いって! 千里だってよく考えれば無理なものは無理だって分かるだろ!

 聞き分けのない美少女の気を逸らすため、俺は話題を変える。

「と、ところで千里、さっきの人……あげはさんだっけ? あの人もここに住んでるのか?」

「多分……でも、昨日まで居なかったのでよく分かりません」

「俺、晩御飯作らないといけないし、今、ここに何人住んでるかわからないかな?」

 千里は俺から離れ、顎に手を当ててウロウロし始めた。

「うーん……今のところ二人じゃないですか? 私とあげは先輩だけだと思います。だけど日中は私も不在なので誰かが引っ越して来ても気づかないかも知れませんけど……」

「そっか……。それならアレを作るか……」

 立ち止まった千里は再び俺の前に迫って背伸びをして、「作クンのお料理、楽しみです」と満面の笑みを返した。

 俺は急いでスーパーに買い出しに向かった、こんな時に一番のメニューがある、二日分作っても困らない便利な料理。人数が増えればそのまま消費すればいいし、余ったら翌日味変出来る完璧な料理が……。



「あげはさーん! 晩御飯出来ましたけど!」

 俺は各階で叫んでいた。

 彼女がどの部屋に居るのかわからないからだ。外に出て建物の窓に明かりが灯っていないか確認してみだが、どの部屋も真っ暗で所在は不明。

 まあ、いいか……腹が減ったらきっと降りて来るだろう。

 俺は一階の食堂に戻り、席に着いていた千里の向いに座り、「あげはさん、寝てるのかも……。先に食べようか?」と、苦笑いする。

 千里は俺の顔を見つめると頬を緩め、ニタニタ笑った。

「どうしたの? 千里」

「えへへ、だって作クンの作ったご飯ですよ? 久々過ぎてニヤけちゃいますよ!」

 か、可愛い! 千里ってこんな子供みたいに笑うんだ……。いつもはおすまし顔で微笑む事が多いけど、彼女の意外な一面が見れて俺の心の中が晴れ渡るのを感じた、出来ることなら今の笑顔を写真に収めたかったけど……きっとまた彼女は俺に最高の笑顔を見せてくれるに違いない。

「それじゃあ、いただきます!」

 俺の声に千里も「いただきます」と返し、スプーンの音が食堂に響いた。

 今日のメニューはホワイトシチューとフランスパンにサラダ、一応デザートにフルーツも買ってある。シチューにしたのには訳がある、余れば明日カレー粉を混ぜてカレーっぽいシチューを作れるからだ。さすがに二日連続で同じものを出すのは芸がないからな。

 階段を降りる足音が聞こえた、あくびをしながらあげはが食堂に姿を現し、俺たちを一瞥する。彼女は黒いジャージの上下に着替えていて、長い銀色の髪の毛を頭の後ろでお団子のように纏めていた。

「あげはさん、晩御飯どうぞ」

 俺は席から立ち上がり、キッチンに入って皿にシチューをよそおうとオタマで鍋をかき混ぜる。

「要らない」

 派手派手しい金色の高級ブランドロゴが付いた財布を握りしめ、スタスタ外に向かおうとするあげはを俺は追いかけて前に立ちはだかる。

「さっきは生意気言ってすいませんでした」

「ちょっと、どきなさいよ!」

 俺を避けて追い越し、玄関に向かう彼女の進路を俺は再び塞ぐ。

「その恰好、コンビニにでも行く気ですか? コンビニでご飯買うぐらいなら俺の作った料理食べて下さい! 野菜もいっぱい摂れますからビタミンも豊富で美容にもいいはずです」

「ウザ、ガキのくせにプロに指摘するつもり?」

「い、いえ……そんなつもりは……。そ、そうですよね、プロのモデルならそれくらいのことわきまえてますよね?」

「クッ! あ、当り前じゃない! アンタに言われなくたって食事には気を使ってんだからっ! しょ、しょうがないわね、そんなに言うなら毒見くらいしてあげるわよ! アンタがモデルに食事作るって事を理解してるか点数付けてやるからっ!」

 あげはは食堂に戻り、千里の隣の椅子にドカッと腰を降ろし腕組みをしたままふんぞり返った。

 俺は彼女の気が変わらないようにテキパキと食事をテーブルの上に並べる。

「ふ~ん? シチューか……既にバツ、まったく分かってない!」

「えっ? 何かマズかったですか?」

 俺の声を無視してあげははシチューを口にした。

「ん? 味はまあまあね……」

 黙って食事をするあげはを俺と千里は固唾をのんで見守る。

 パクパク食事を加速させるあげははサラダを貪り、フランスパンをシチューに浸して口に運び、顔を緩める。

「お代わり!」

 シチューをたいらげた彼女は空の皿を俺の目の前に突き返す。



「はぁー、食った食った!」

 腹を撫でる満足そうなあげはに俺は「点数は何点ですか?」と尋ねる。

「えっ? 点数? えっと……0点に決まってんでしょ?」

「はぁ? なんで?」

 俺は完全に食事を楽しんでいたであろうあげはの言葉に耳を疑う。

「だいたいホワイトシチューなんてカロリー高すぎでしょ? それならポトフなんかのスープ系にして欲しいよね、材料は似たようなもんなんだし。それに中に入ってるお肉も脂身が多い、出来れば鳥胸肉を使って欲しかったし、用意出来ないならせめて脂身を切り落として欲しいところよ! デザートのオレンジも多すぎ、果糖でも糖は糖、取り過ぎは良くない。あと、柑橘系は朝に出さないでね、柑橘系ビタミンはシミを作るから」

 え? あげはってバカっぽいのに詳しんだな、やっぱプロって凄い!

「勉強になりました。あげはさん、これからも色々教えてくれると助かります」

「ま、分かればいいのよ、分かれば。明日から頑張りなよ、えっと……名前なんだっけ?」

「藍沢作也です」

「オッケー、作ちゃん! じゃ、また明日!」

 腹を撫でながらあげはは部屋に戻って行った。

「私、カロリーなんて気にしてませんでした……反省です」

 千里はシチューの肉の脂身をスブーンでそぎ落とす。

「千里って結構大食いだけど太らないから大丈夫じゃないか?」

「は、はぁ⁉ 大食い?」

 顔を真っ赤に染めた千里は立ち上がり、唾を飛ばして俺に猛烈に抗議した。

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