第142話 新しい仕事
放課後、杉岡さんの有難い依頼を聞くために、俺はオフィスサジタリウスに来ていた。
「あら? 早かったわね」
珍しくデスクに向かって仕事をしている杉岡さんは俺を発見するなり手招きして呼びよせる。
杉岡さんの傍に立った俺は、間髪入れずに話しかけた。
「で、仕事内容は?」
「可愛くないなぁ、その言い方」
目の前のオバサンは俺を子供扱いしているかのように椅子に座ったまま苦笑いを浴びせる。
「千里から聞いたんだけど、藍沢君ってお料理得意なんだって?」
「え? まぁ、否定はしませんけど……」
「また可愛くないっ!」
花蓮じゃないけど、俺も杉岡さん苦手かも……。何かいちいち面倒くさいぞ。
「日曜大工に家事全般こなせるって本当?」
「はい、出来ますけど」
面倒くさい反応を受け入れられない俺は、杉岡さんの質問に真面目に答えた。
「4時から9時迄くらいの間で周5来れる?」
「大丈夫です」
「完璧!」
杉岡さんは俺の目の前に家の鍵のような物をチラつかせて続けた。
「千里の住んでるウチの社宅知ってるでしょ? 今日からそこで管理人として働いてもらいます」
「えっ? あそこで⁉ それで何をすればいいんですか?」
「晩御飯の支度と、朝食の軽い仕込み、それと共同スペースの掃除と維持管理。簡単でしょ? 通勤が面倒なら管理人室に泊ってもいいし、ご飯も食べていいから。はい、これ玄関と管理人室の鍵ね」
杉岡さんは俺の手のひらに鍵を握らせた。
「あの……ここのモデルって女性だけですよね? 男の俺が管理人でいいんですか?」
ニヤァと笑った杉岡さんは「照れちゃうのかな?」と俺の顔をウザいぐらい覗き込んで続けた。
「大丈夫よ、逆に女ばかりじゃセキュリティー的に不安でしょ? 男がいるって分かれば変な奴も寄って来ないだろうし。あと、これ、労働契約書だからサインして」
バインダーに挟まれた書類を俺に差し出し、杉岡さんは「早くぅ」と甘えるフリをする。
俺は書類にサインをして杉岡さんにバインダーを返し、早速社宅に向かった。
「千里の家に来ちゃった……」
新しい職場の玄関前に立ち、俺は呟いた。正面玄関のガラス戸には鍵が掛かっていて、どうやら千里は不在らしい。何だか変な感じがするけどこれは仕事、千里が住人だとしても甘える事は出来ない、ここはプロに徹しないとな……。
俺はバイトとしての使命を発揮する。
そう決意してガラス戸に鍵を差し込んだ。
中に入り、千里がやっていたように壁の証明スイッチを入れると、青白い蛍光灯が室内を照らした。まずは管理人室、俺は入り口の直ぐ近くの鍵の掛かったドアを開け、中に足を踏み入れた。
中には小さな液晶テレビがポツンと置いてあり、壁際に簡素なベッドが部屋の三分の二の面積を占領していた、しかも寝具は見当たらない。布団は自分で用意しろって事か? まあ、いいけど……。以前この部屋を使っていたであろう中野さんの痕跡は一つも無かった。中野さんは聞いた話によると、一命をとりとめ今は入院中らしく、家族の話だと、もう管理人は引退するらしいとのことだ。
でも、良かった。中野さんが死ななくて、初めてやった救命措置が無駄では無かったことに俺は心底ホッとしている。
時間は夕方の五時をまわり、そろそろ晩御飯の準備に取り掛からないといけない。俺は食堂に向かい、キッチンに入って冷蔵庫の中を覗く。
ある訳無いか……。食品は一つも無く、カサカサに乾燥した消臭剤が透明なパッケージの中で小さく固まっていた。
買い出し行くか……って金はどうすんだろ? まあいいか、後で杉岡さんに聞こう。
冷蔵庫を閉め、コンロやシンクを確認する、収納棚には色々な大きさの鍋やフライパンが入っていてキッチンの設備は申し分ない、これなら実家でシェアハウスをやっていた時より使い勝手がいい、さすがプロ仕様だ。
所で何人分作ればいいんだろ? まだ住人は千里だけなのだろうか? 前の千里のアパートも一棟借り上げの社宅だったって言ってたから、あそこの契約切れなら何人かはここに移って来るだろうな……?
参ったな、ちゃんと話を聞いてこれば良かった。俺は杉岡さんがどうも苦手で逃げるようにここ来てしまっていた。
そうだ、千里に聞けばいいんだ! 俺は早速尻のポケットからスマホを取り出して千里に電話してみた。
きっと千里は驚くだろうな、俺がここの管理人を任されたって知ったら。
だけど、そう都合よく千里は電話に出てくれなかった。彼女はいつも忙しい、最近は電話はおろかSNSでさえ既読も返信も無い事が多い。
仕方ない、俺は杉岡さんに電話を掛けて、食材や備品の調達方法を聞いた。
『棚の中に引き出しあるでしょ? そこ開けてみて』
管理人室で俺は杉岡さんに言われるままに体を動かしていた。
「あっ、ありました。電子マネーのカード」
『クレカ機能付きでしょ? それ使って買い物して、レシートは必ず保存、備品関係はメールして許可もらうこと、いい?』
「分かりました。あと、杉岡さん、ここって今、何人モデル住んでるんですか?」
「えーと……今調べるから」
電話の向こうでマウスをクリックする音が聞こえる、誰かが杉岡さんに話しかけている気配がして『え? 分かった、すぐ行く』と杉岡さんの声が聞こえたかと思うといきなり電話が切れた。
「は? 杉岡美智子っ! 嘘だろ?」
なんなんだよ全く! 一番聞きたい事が聞けず、俺はイライラを隠せない。
俺は頭を掻きながらため息を付き、管理人室から出ると「あんた誰?」と女性の声が聞こえた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます