第139話 管理人

 一週間後の週末、昼過ぎ。

 俺は千里に呼び出され、彼女と大きな家具店を訪れていた。

 岩崎に殴られた傷はやっと癒え、瞼の腫れも治まって視界は良好。

 千里はラフな白シャツにデニムのロングスカート姿で店内を歩いているが、ハッキリ言って目立っている。もう、骨格が勝ち組なんだよな……鼻筋の通った美しい顔に幼さが残る姫カットが可愛くて、腰の位置が高いスラっとした立ち姿がいちいち絵になる。

 店内で男性客からの羨望の眼差しを浴び続ける彼女と小一時間店内をうろつき、俺が押すショッピングカートにはたくさんの商品が溢れんばかりに積み重ねられ、少し前が見づらい。

「千里、こんなに買ったって部屋狭いんだし大丈夫かよ?」

 商品棚からクッションを手に取り、手触りを確かめている千里に俺は不安を覚えた。いったいどれだけ買うつもりだよ?

「大丈夫ですよ、半分は作クンのですから」

「えっ? そうなの?」

「ええ、だって作クンの部屋のタオル黒ずんでて汚いじゃ無いですか、私も使うから全とっかえして貰いますから!」

 はぁ? だからってバスタオルまでこんなに? 俺の部屋で風呂入るの前提で買い物してるのか?

 このバスタオルを千里が体に巻く? 脳内にエロい映像が浮かび、俺は必死に頭を振ってかき消そうとする。

「てか、お金大丈夫かよ?」

「大丈夫ですよ。ここの商品はお値段以上に安いですし、MVのお給料が入りますから」

 そうだった、千里はいったい幾ら稼いだんだ? 気になるけど、聞いたら卒倒しそうだから聞くのは辞めておくか。

「そういえば作クンの実家ってまだ売れ残ってるんでしょうか? まだならいっそのこと買い戻してもいいかな……」

 顎に指を当て、遠くを見る千里の本気度は分からないけど、ちょっとリアルな話で怖い、とても高校二年生の言動とは思えないぞ?

「でも、その前にお父さんの借金を返さないといけないし……」

 脳内でお金の計算をする美少女に若干引いた俺は話を変える。

「これ以上買ったら持って帰れないけど、まだ買うのか?」

「うーん、でも収納ボックスはすぐにでも使いたいし……タクシーで帰りましょうか?」

「そうだな、そういえば千里は工具持ってるの? 無いなら買って帰らないと組み立てられないぞ?」

「そうでした。作クン、組み立てに何がいるのか教えてください」

 何も分からない千里に代わって俺は店内を物色し、数本のドライバーをカートに入れた。



 タクシーでモデル専用の社宅に帰ると玄関は開いていた、俺は運転所さんにトランクを開けてもらい、組み立て家具の箱を幾つか下ろすと先に社宅に入って行った千里の後を荷物を抱えて追う。

 建物の中に入ると千里は知らないお婆さんと話をしていた。管理人さんか? フレンドリーな二人の間柄、多分面識はあるのだろう。

「こんにちは」

 俺は千里と話すお婆さんに声を掛けた。

「おや? もしかして千里ちゃんの彼氏かな?」

 お婆さんは商品を見定めるように俺を眺めた。

「そうです。この人は私の彼氏、藍沢作也さんです」

 始めて千里に彼氏だと紹介され、俺の顔が熱くなるのを感じる。

「へぇー、これはいい男だね。私はここの管理をやらせてもらっている中野さ、アンタたち、晩御飯はどうすんだい? 良かったら食べていきな」

 俺はどう反応していいか分からず、千里と視線を交わした。

「お願いしていいですか? これから作クンはここに何回も来ると思いますし、中野さんとの親睦会もかねて」

「よし来た! 今日は美味しいもんこさえてやるから楽しみにしときな!」

 中野さんはガハハと大笑いして俺たちの背中をバシバシ叩いた。

 俺たちは中野さんと食堂で別れ、二階の千里の部屋に買った荷物を運んだ。俺は長細い段ボールの梱包をバラして部屋の前の廊下で早速家具の組み立てにかかる。

 千里は買って来た日用品のパッケージを次々と開けて、ゴミを大きなレジ袋に分別しながら廊下に出て来ると、俺が組み立て中の家具の梱包材を片付けてくれた。

 俺が廊下でせっせと蓋つきの収納棚を組み立てていると、千里は傍にしゃがんで一連の動作を見つめ続けて来るので少し照れる。

「かっこいい……」

 千里はトロンとした目で呟いた。

「えっ? 何が?」

 俺はプラスドライバーを手首で回転させ、ビスをねじ込みながら聞き返した。 

「全部です……」

 俺の一挙手一投足に注目している千里が気になってしょうがない。俺はただ家具を組み立てているだけ、しかも難易度は低い。

「千里、部屋の方はいいのか?」

「あとは、天井の照明だけです」

「じゃ、そっちを先にやろうか?」

 俺は部屋に入って上に手を伸ばし、天井のシーリングライトを取り外す。蛍光灯からLEDに取り替えればリモコンも使えて快適になるし、色味も変えられる。

 新品の照明を取り付けようと上向きで手を伸ばし、固定具を取付けていると、千里は意識が飛んだように頬をピンク色に染めて俺をぼんやりと見ていた。

「千里、どうしたの?」

「作クンを充電中です……何でも出来る男の人って素敵ですね……」

 俺のシャツをキュッと握り、作業中の俺に体を寄せて千里がまとわり付いてくる。

 えっ? 何でこんな状況でイチャコラモードになってんだよ? 大きな目が俺を見上げ、口が半開きになっている千里は俺の胴体に腕を絡ませてくる。

「ちょ! 千里、危っ!」

 照明の固定具が落下して、俺は咄嗟に手を伸ばして空中でキャッチする。

 バランスを崩した俺は、足を一歩踏み出そうとしたが、千里が絡みついていて、そのままベッドに倒れ込んでしまった。

 良かった、千里が怪我をしなくて……。俺は体の下にいる千里から離れようと起き上がると彼女の両腕が首に巻かれて引き寄せられる。

「もうちょっと、このままで……」

 ベッドの上でいきなり千里に抱きしめられて、意味が分からなくなる。

 彼女は大きく呼吸をしていて少し興奮しているみたいで俺を離さない。

 すべすべした頬が俺の頬に触れる、彼女の気持ちのいいきめ細やかな肌触りが伝わってきて、裸だったらと想像するとじっとり汗ばんで来る。

 ドキドキが治まらない、このままだと野獣になってしまいそうだ。この間、千里の胸を触ってしまった事を思い出し、暴れそうないけない衝動を必死に抑え込む。

 これは拷問、千里の純粋に甘えたい気持ちは俺にとってはエサを前に待てと言われた飼い犬も同然。

 千里、頼むから手を離してくれ! このままじゃ俺の理性が吹き飛びそうだ。目がグルグルと回り、鼓動が早まって失神寸前の俺の気持ちを弄ぶ悪魔のような天使。

「千里ちゃん、おるけ? お煎餅食べんさい」

 開け放たれたままのドアから声が聞こえ、ベッドの上で俺と千里はギクリと抱き合ったまま固まった。

「あれま? 始まる所だったかい? これはこれは邪魔しちまった、ここに煎餅置いとくから、し終わったら食べんさい」

「ち、ち、違っ! 中野さん、違うんです!」

 焦った千里は俺の体の下で手を振り回して大声で否定する。

「ええから、ええから、気にすんでない」

 中野さんは俺たちに気を使ってか、ドアをガチャリと閉めた。

「もう、恥ずかしい…………」

 千里は真っ赤な顔を両手で隠した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る