第137話 約束

 店を出ると外は寒かった、さすがに10月の夜にもなると上着が一枚欲しくなる。

 千里はセーラー服のスカートが結構短くて寒そうだ、聖北高でその丈は怒られないか? こないだ学校に千里を探しに行った時、誰もが標準的なスカート丈だったような気がするが……。

 店の前で千里は俺を見上げると、手を繋いで歩き出した。

 駅の裏側の路地に入り、駅前とは対照的に辺りが暗くなる。青白い街灯がスポットライトのように連なって住宅街の坂道を照らし、暗闇の中、千里の白い足だけが光に反射して奇麗だ。 

 千里は終始無言で前を見据え、俺はどこに連れて行かれるのか分からずに辺りをキョロキョロ見渡していた。

 二人で数分間坂を登り、俺は無言に耐えられなくなっていたが、楽しい会話が思い浮かばず、千里に声を掛けられなくてもどかしい。

 頭の中で千里との想定問答を幾つか考えていると彼女は俺から手を離して立ち止まり、鞄の中に手を入れて鍵を取り出した。

 は? 鍵って……千里の部屋に連れてこられたのか?

 眼の前には3階建ての大きなアパートのような建物、だけど入口は一つしかない。しかも中は真っ暗で明かり一つ付いていない。

「千里、ここって……?」

「私のお家です」

 真っ暗な内部と外を仕切るガラス戸に鍵を差し込み、千里がドアを開けると慣れた手付きで壁を手探りで触って照明スイッチをパチパチ点けた。

 そのまま奥に進むと広い空間に大きなテーブルが2つ並べられていてオープンキッチンが見えた。

「ん? 食堂か?」

 俺が独り言のようにポツリと呟くと、千里は「そうです、ここは事務所が用意してくれた寮というか下宿というか……でも、まだ私しか住人はいませんけどね」

 と、頭を掻いた。

「へえ? いいじゃないか、飯も用意してくれるなら」

「ええ、でもまだ私しかいないのでご飯はお預けですけど……」

「こんな広いところに独りか……寂しくない?」

「大丈夫ですよ、管理人さんも日中はいますし。というか、私自身まだ引っ越したばかりで新鮮な気分なんです」

 千里は内部をうろつく俺に近づき、また手を繋いだ。何度も手を握られ、手のひらにじっとりと汗が滲む、だけどこの汗は自分から出ているのかは分からない。

「それより……お願いしたいことがあるんです」

 至近距離に顔を寄せた千里からふわりといい香りが漂い、柔らかそうな唇に心を奪われる。

 千里とキスしたい……以前、千里の部屋で激しくキスしたことを思い出し、体の中がカッと熱くなった。無邪気に迫る千里から俺は平静を装い、邪な感情を悟られないように距離を取る。

 俺を引っ張るように手を引く千里は階段を登って二階の部屋のドアを開け放つ。

 繋いだ手を離した千里はクルリと振り返り、俺に両手を合せてウインクすると「荷解き、お願いっ!」と元気な声で可愛く首を傾げた。

「へっ? 荷解き⁉ 別にいいけど……」

 とことん付き合って貰うと言われていたから千里のイチャコラ状態が継続中かと思って身構えていたが、どうやらコレがメインイベントのようだ。

 千里が部屋に入り、俺も後に続く。部屋は六畳間くらいの広さのフローリングでベッドは備品なのか既に置いてあった。壁にはクローゼット収納スペースがあり、オシャレな女子には有り難いであろう装備だ。

「私、どうなるんでしょう? モデルをクビになったらまた引越ししないと……」

 ベッドに腰を降ろした千里は顔を曇らせて俯いた。

「ち、千里……その時は俺の部屋に住めよ。俺んちは駅から近いし、通学時間は伸びるけど便利だし……」

 言っちまった! なに考えてんだ俺は! あんな狭い部屋で二人で過ごすなんて健全なお付き合いに赤信号が灯るぞ。

「本当ですか?」

 千里は飛び上がるようにベッドから立ち上がると、俺の手を両手で包み込むように握った。

「わ、私……モデルのお仕事が無くなったらお金を稼ぐためにバイト漬けになっちゃいます。だから、そう言ってくれるだけですっごく嬉しいです!」

 安堵の表情を浮かべた千里は手を離すと小指を立てて俺の顔の前に差し出した。

「嘘じゃないですよね? 作クン、約束……いいですか?」

 勢いで言った言葉に後悔はない。俺はただ、千里が困っているなら全力で助けたいだけなんだ。

 俺も小指を立てて千里と指を絡ませ、指切をした。



 千里の鼻歌が聞こえる。引っ越しの段ボールから色とりどりの服を取り出してクローゼットにハンガーで掛けていく彼女は上機嫌、それを見ていた俺もなんとも言えない安らぎを感じる。千里の横顔に見惚れていると、彼女と目が合い「どうかしましたか?」と手持無沙汰の俺に近づく。

「いや……何でもない」

 不思議そうに俺の顔を覗き込んだ千里はベッドに俺を座らせ、「疲れたんじゃないですか?」と隣に座って微笑んだ。

「顔……早く治るといいですね?」

 少し悲しそうな表情で俺のアザを撫でる千里に俺は言った。

「ここ、キスしてくれたら治るかな……」

 冗談……いや……以前チンピラと殴り合った後、病室でしてくれたキス、あの時みたいなキスが欲しい。

 千里は数秒間俺を真っすぐに見て、ベッドからお尻を浮かせて瞼にキスをしてくれた。

「あと、ここも……」

 頬の傷に指を差す俺は調子に乗り過ぎか? だけど千里は頬にもキスをしてくれた。

「ここも腫れてますよ…………」

 かすれた声で千里は俺の唇を人差し指で触り、顔をゆっくりと近づけて唇を重ねる。

 静かな部屋にキスの音が響く、千里は何度も俺とキスを交わし、呼吸が激しくなってきた。

 俺は彼女の行為に耐え切れず、体が制御不能になり掛けた時、千里は俺を突き飛ばした。

 無意識のうちに俺は千里の胸を制服の上から触ってしまい、千里は部屋を無言で出て行った。

 ヤバいっ! 健全なお付き合いって事務所で約束したのに俺はなにやってんだ!

 また千里を怒らせた? 俺は焦って部屋を飛び出して千里の後を追おうと廊下に出ると、彼女はすぐ傍の廊下の壁に背中で寄りかかり、俺をチラッっと見て視線を逸らす。

「ご、ごめん千里……調子に乗って……」

「ああいうのはダメです、今日は帰って下さい…………」

 千里は俺に背を向けて小さな声で言った。

「分かった……、ホントごめん……。お、俺、帰るわ」

 廊下を歩き、千里の前を通り過ぎる時、俺は「怒らせてゴメン」と呟いた。

「怒ってませんよ、ちょっとびっくりしただけです」

 千里は俺と目を合わせず、赤い顔で唇を指で撫でていて、その仕草が途轍もなく可愛かった。

 ダメだ、このままだとマジで理性が保てない。

 俺は唾を飲み込んで一呼吸置き、「千里、おやすみ」と別れを告げて歩き出す。

「おやすみなさい、作クン」

 優しい声が俺の背中にかかり、俺はホッとして彼女を残して階段を降りた。

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