第135話 罠
ファミレスで仁科坂との数時間に及ぶ濃密な授業を終えた俺は、電車で小一時間移動し、駅を出て直ぐ傍のバイト先に向かっていた。
今日もマジで集中出来なかった……。仁科坂の奴、ワザと胸当ててるんじゃないのか? あんなにくっ付かれたら勉強どころじゃ無いだろ!
腕に当たっていた仁科坂の大きな胸の感触を思い出し、無意識に腕を撫でる。
やばっ! 俺、締まりのない顔してないだろうな? 事務所の入るビルのエレベーター内で鏡に映る自分の顔を眺める。ひっでー顔、殴られたのバレバレじゃないか……杉岡さんは俺の顔見て何て言うかな?
オフィスサジタリウスに着いた俺は事務所のドアを開けて近くに居る若い女性スタッフに声を掛けた。
「すいません、杉岡さんに呼ばれたバイトの藍沢ですけど……」
顔に青いアザがある俺の顔に驚いたのか、彼女は一瞬ギョッとした様子で聞かれたことに反応を遅らせた。
「杉岡さん? ああ、会議室に通せって言ってたっけ……。こっちよ」
彼女は前を歩き、乱雑なデスクの間を通り抜けて俺を会議室に案内した。
二度ノックをして女性社員がドアを小さく開け、「杉岡さん、バイトの子が来てますけど」と言うと俺に中に入るように促す。
俺が恐る恐る中を覗くと奥の方に杉岡さんと数人のスーツ姿のオジサン達が立話をいていた。
「藍沢ですけど……」
中にいた大人たちは話を辞めて俺に注目し、杉岡さんが手招きをする。
杉岡さんのもとに歩みを進めると、彼女は俺の顔の怪我を見るなり「やっぱり!」と不満げに睨む。
「藍沢君、昨日のこと、話してもらうから!」
腕組みをした杉岡さんは近くの椅子に俺を座らせようと椅子を引き、振り向くと「千里も座りなさい」と低い声で言った。
「えっ……」
人影からセーラー服姿の千里が姿を現し、俺と目を合わせると深々と頭を下げた。
「昨日は迷惑掛けてすみません……」
顔を上げた千里は瞼を腫らしていた、相当泣いたみたいで、きっと昨日の事を責められたのだろう。
憔悴しきった千里は俺の隣に座り、俯いた。
俺たちを見下ろす数人の大人たち。杉岡さんは仕事で俺を呼んだんじゃない、これは事情聴取だ、逃げ場のない閉鎖空間に俺は真実を語るしかないと悟る。
高校の生徒指導室よりも重苦しい雰囲気の中、観念した俺は昨日の出来事を洗いざらい話した。
コンプライアンス違反、それが俺たちの容疑だった。
社内規定によると、このままだと千里は契約解除、俺はただのバイトだから解雇になるらしい。
千里の口から語られた話は意外だった。長時間に及んだ石切場でのミュージックビデオの撮影が終わると、夜だったこともあり現場で軽い打上げにそのまま突入したらしい。千里は宴席でサイレンスエイジのボーカルである岩崎岳に隣に座るように強要され、透明なカップに入ったジュースを手渡されたそうだ。そのジュースに見えた液体はお酒のような味がしたが千里は断ることが出来ずに飲み、カップの液体が減る度に岩崎にジュースをつがれて酔っ払い、酩酊した千里は自らアルコール飲料を手に取り飲み始めたそうだ、マネージャーは千里がそんな事になっているとは露知らず、取引先の人間と話をしていて気が付かなかった……。
そこに俺が登場して岩崎と揉め、暴力沙汰に発展する。
事の顛末はざっとこんな感じ。俺が岩崎に先に手を出したから罰を受けるのは仕方ないが、これって千里が悪いのか? 千里は被害者じゃないか!
イライラがつのった俺は気が付けば席を立ちあがり杉岡さんに声を荒げていた。
「何で千里が悪いんですか! 千里は被害者でしょ? マネージャーさんは何やってたんですか? 未成年が犯罪に巻き込まれてるのに気が付かなかったんですよ! 俺が行かなかったら千里はきっとホテルに戻ったところをアイツに……」
肩をすぼめて俯いていた千里が驚いた様子で立ち上がった俺を見上げる。
一番簡単な解決策で済まそうとする大人たちに怒りがこみ上げる。こんなのはトカゲのしっぽ切だ、一番悪い奴は誰なのかは誰だって分かるだろ!
「落ち着きなさい、藍沢君。まだ処分は決まっていないし、相手がどう出て来るかもまだ分からない状況なの。こっちだって大切なモデルに手ぇ出されて頭に来てるんだから!」
杉岡さんは大きくため息を付くと「この事は他言無用で、いいわね?」と俺と千里に言質を取る。
「「はい」分かりました」
俺と千里の声が重なった。
「それと千里は暫く活動自粛! 新しい社宅で荷解きでもしてなさい、処分は追って連絡します。以上、二人とも帰ってよし」
杉岡さんは疲れた顔で俺たちに別れを告げ、他の大人たちと会議室を出て行った。取り残された俺と千里は静まり返った会議室でお互いを意識して押し黙った、喧嘩して疎遠になって気まずいのにトラブルまで抱えて、こんなんじゃ和解するなんて至難の業だぞ。
無言の時間が暫く続き、ソワソワして来る。多分そんなに時間は経っていない、ざっと20秒くらいだとは思うが恐ろしく長く感じる。
居ても立っても居られなくなった俺は椅子から立ち上がって、股の間に両手を挟んで俯く千里の前に一歩移動する。
千里が顔を上げ目が合った瞬間、俺は頭を下げて叫んだ。
「千里っ! ゴメン! 全部俺が悪いんだ! 千里を怒らせたり悲しませたりして…………。許してくれなんて言わない、ただ、謝りたいんだ!」
千里は泣きはらした目で俺を静かに見ていた。瞳は微かに揺れ、口を何度か開けては閉じてを繰り返す。
「……私は……怒ってません、作クンは私の事どう思ってるんですか?」
かすれた小さな声で、千里は俺に訴えかけるような視線を送る。
「そんなの……大好きに決まってるだろ! だけど……千里に好きな人がいるなら俺はもう君には関わらないから……」
困ったように視線を落とした千里は少し間をおいて話し始めた。
「作クン……きっと誤解してます……。あの人はここの事務所の社長で、あの時、私の部屋に社宅のモデルを集めて翌日のイベントの打ち合わせをしていたんです。部屋が暗かったのはプロジェクターで壁にPCの画面を投影してたからで……。だからその……作クンが想像してるような事はしてません…………」
は? マジで……⁉ 俺はバカか? 早とちりにもほどがあるだろ!
「千里……あの手紙のタイムリミットは?」
キョトンとした千里は首を傾げた。
「タイムリミット? あれは携帯が繋がらないところで数日間撮影するって聞いてたから、その前にお話し出来たらと思って書いたんですけど……」
何だか頭が纏まらない、俺たちの関係って結局……?
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