第133話 怪我

「はい、はい、無事に届けました。今、戻ってる最中です」

 治療が終わった俺は、病院のロビーで杉岡さんに嘘の電話を掛けていた。

『分かったわ、じゃあ、ゆっくり帰って来て。今日は直帰していいから、カードは今度返してくれればいいし。あっ! そういえば千里に会えたのかしら?』

「はい、ありがとうございました。元気そうな千里に会えて良かったです」

『あの娘、凄いでしょ? サイレンスエイジの新曲MVに出れるんだからっ! あっ、でも言っちゃダメだからね? 発表は2か月後だから』

「大丈夫ですよ、守秘義務でしょ? 杉岡さん」

『そのとーり! 話したら罰金一億円だからね』

 は? マジで? 守秘義務違反ってそんな重いのかよ? ってアンタ今、俺に話しただろ!

『それじゃ、また単発で仕事入ったら連絡するからバイバーイ』

 プツリと電話は切られ、傍で聞いていたスーツの男が俺に言った。

「駅まで送ってくから急げ、最終が出ちまうぞ」

「何から何まですいません」

 頭に白いネットを桃のように被せられた俺は彼に頭を下げる。

 血みどろの服はサイレンスエイジのライブTシャツとジャケットに変わり、ガチファンみたいで少し照れくさい。

「いいってことよ、俺も無保険医療費で金無くなったから戻ったらあのバカに請求してやるさ」

 病院の外に出るとミニバンのトランクを開け、彼は段ボール箱から数枚のCDを出して俺に手渡した。

「これは?」

「アイツらのこと、嫌いにならないでくれ。良曲ばかりだから」

「ありがとうございます、聞いてみます」

 彼は多分サイレンスエイジのマネージャー、俺の頭突きのせいでいろんな人に迷惑をかけてしまった。

 俺はCDを握りしめ、車に乗り込んで駅に向かった。



 翌朝、ボロアパート。

 鏡に映る自分の姿に気分が落ち込んだ。目の周りは青く腫れ、瞼の上にはガーゼが貼られ、頭にはフルーツみたいに白いネットが被さっていて髪型がどうにも格好悪い。

 これ、絶対殴られたって学校にバレるだろ。腫れが引くまで学校を休むか? 確か今日は化学の授業がある、村上の目は誤魔化せない、登校すれば指導室に呼ばれて事情聴取されるのは目に見えている。

「辞め辞め!」

 俺は登校を諦め、布団に入って二度寝する。

 実際のところ、体は異常に怠かった。長距離移動に深夜近くの帰宅、髪は血液で固まり、背中にも張り付きを感じる、シャワーを浴びたいけど、頭は洗うなと言われてるし……。

 高校に行かない理由を見つけた俺は布団を抱きしめて瞼を閉じた。

 瞼の裏に昨日の出来事が蘇る。千里、無理やり飲まされてたのかな……? 周りは大人ばかりで助けてくれる人は居なかったのか? 千里のマネージャーは何やってたんだよ。まったくもってそこに至った状況が読めず、イライラが増す。

 でも、千里に会えて良かった……元気そうで、俺に対して怒っている様子も無かったし。だけどあの時……俺に帰れって感じだったよな?

「あーっ! 意味わかんねーっ!」

 俺は布団を頭から被り、同じことを何度も思い出しているうちに寝落ちした。


 昼過ぎ、腹が減って目が覚めた。布団を出て冷蔵庫を開けたが食い物は無く、ため息をついて頭を掻くとゴワゴワする髪の手触りに不快感が増す。

 取り敢えず体洗うか……。バスルームに入り、頭のネットを外して傷口を避けて髪を慎重に洗うと黒い塊が体を流れ落ち、排水口に吸い込まれていくのが見える。

 体も石鹸で綺麗に洗い流し、さっさと服を着ようと頭をバスタオルで拭くと、タオルが赤黒く染まった。髪から滴る雫にも黒い色が付いていてタオルを汚い水玉模様に変えてゆく。

「はぁーっ……最悪」

 髪をタオルで押さえるように拭き、汚れの目立たないグレーのシャツを羽織ってドライヤーで髪を乾かしていると呼び鈴が鳴ったような気がして、俺はドライヤーを一度止めた。

 ん? 気のせいか? 再び髪を乾かそうとした時、呼び鈴が聞こえ、俺は怪訝な顔で玄関ドアを眺めた。

 こんな時間に誰だよ? そっと廊下を歩き、スコープを覗こうとすると「藍沢君、居るの?」と籠った女子の声が聞こえた。

 えっ? 仁科坂?

 俺は思わずドアを開けた。

「あ、藍沢君居たん――ど、どうしたの? その顔っ!」

 ソバカス顔の仁科坂と目が合った途端、彼女は制服姿で玄関内に駆け込んで俺の顔を至近距離で心配そうに覗き込む。

 あっ、やばっ! 怪我してるの忘れてた……。

「ちょっと転んで、このザマだよ」

 カッコ悪い顔を見られたくない俺は顔を掻くふりをして傷を手で隠し、彼女から思いっ切り顔を逸らした。

「大丈夫⁉ ちゃんと見せて!」

 仁科坂は靴を脱ぎ捨てて廊下に上がり込み、廊下に俺を座らせると両腕を掴んで穴が開くほど俺の顔を凝視する。

「喧嘩したでしょ? 誰にやられたの?」

「ははっ、転んだんだって!」

 俺は後ろ手に床を歩いて彼女との距離を取ろうとしたが、俺が下がれば下がるほど仁科坂は膝で廊下を歩いて迫って来る。

「転んだなんて嘘! ちゃんと話して!」

「い、いやあ……何というか、揉め事に顔突っ込んだら殴られたっていうか……」

「やっぱり! 相手は?」

「知らない大人だよ」

「大人? トラブルに巻き込まれたりしてない?」

「だ、大丈夫だって」

 仁科坂は部屋の入り口で俺をいきなり抱きしめた。

「酷い! かっこいい藍沢君の顔をこんなにして、許せないっ!」

 うわっ! いい匂いっ! それと胸の圧迫がすげぇ…………胸の柔らかさが俺の体に伝わり、彼女が動くたびにグニグニと二つの巨大マシュマロが二人の間で蠢く。仁科坂、そんなに押し付けたら、また胸のボタン飛ぶって!

 俺は彼女の背中を思いっきり抱き締めたい衝動に駆られたが、千里の顔が頭をよぎり、グッと堪えて仁科坂が離れるまで耐えた。

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