第132話 交渉

 顔全体を赤く染め、明らかに酒に酔った締まりのない顔で千里は俺を黙って見つめた。いつもより濡れた瞳は焦点を合わせられないように小刻みに揺れている。

「何やってんだよ、千里!」

 俺の言葉に千里は身体をビクッとさせて顔を逸らした。

「作クンには関係無いでしょ?」

 下唇を噛み、物凄く小さな声で千里は俯く。

 千里の背後から髪の長いイケメンが近づいて彼女の肩を抱き、「何やってんの? 千里ちゃん……、早く飲もうぜ!」と手を引っ張る。

 えっ? 確かコイツ……人気ロックバンド、サイレンスエイジのボーカル、岩崎岳じゃないか! 何で千里はこんな奴と酒飲んでんだよ?

 連れ去られる千里の手を俺は掴んで声を掛けた。

「これって千里のやりたかった事なのかよ?」

 千里が立ち止まり、手を引いていた岩崎がつんのめりそうになって振り向いた。

「おいっ! お前何なんだよ? 用が済んだら早く帰りな!」

 眉間に皺を寄せ、顔を近づけて威圧する岩崎に、俺は思いっ切り頭突きをかませた。

「お前ロックバンドの岩崎だろ! 未成年に酒飲ませてんじゃねえよ!」

 体をくの字にしてよろめく岩崎は、俺を睨み付けた次の瞬間、殴りかかって来た。

「ガキが調子こいてんじゃねぇぞ!」

 酔っ払いの拳は虚しく空を切り、俺はたやすく攻撃を交わす。

「作クンっ! 辞めて! 余計なことしないで早く帰って!」

 突然叫んだ千里に俺の体が止まった。はぁ? 俺が悪いのかよ? 呆然と千里を眺めていると顔面に衝撃が走った。

 地面に吹っ飛ばされた俺は岩崎に馬乗りにされ、なす術もなく顔面を連打される。

「岩崎さんっ! 何やってんの!」

「子供相手にマジになるなって!」

 大勢の大人が駆け寄り、俺から岩崎を引き剥がしたが、殴り足りないのか岩崎は叫びながら体の拘束を解こうと暴れている。

「君、大丈夫かい?」

 さっき荷物を受け取った塚本さんが俺の腕を引っ張って地面から引き起こした。

 顔面がかなり痛い、頭がクラクラして膝に手を付くと地面に液体がポタポタ垂れて、俺は空を見上げた。

「雨?」

 顔を伝う生暖かい液体が顎の先から垂れて上着を濡らす感覚がした。うわっ……血だ……、鼻血か? 

 頭からも血が流れているのか首筋から背中にかけて衣服が肌にべっとりと張り付き、気持ち悪い。

「さ、作クン‼ 大丈夫⁉」

 千里は叫び声を上げると目を見開いて俺の傍に駆け寄り、頭を擦って傷口を探す。

 後頭部が痛え、地面にふっ飛ばされたときに切れたのか?

 塚本さんも慌てた様子で俺の頭を覗き込む。

「うわああっ! 凄い血が出てる! だ、誰か救急箱持ってきて!」

 塚本さんは首にかけていたタオルで俺の頭を縛り、救急車を呼ぼうとした。

 回りで慌てふためく大人をよそに俺は「救急車は要らないです!」と声を張った。

「俺、前にも血だらけになったことあって……これは大したこと無い傷ですから。特に頭は血が出やすいんです。だから救急車は要らないんで、麓の病院まで誰か送ってくれるとありがたいんですが……」

「何言ってるの、早く治療しないとっ!」

 千里が大声を出して辺りを見渡す。

 これは人気ロックバンドの不祥事、世間にバレれば彼らは活動停止になるだろう、それはどうでもいいのだが、俺だってバイトとはいえサジタリウスの人間、大事にはしたくない、しかも千里の飲酒は強要されていたとしても問題行為だ、事務所を解雇ってことにもなりかねない。

 多分俺が届けたのは撮影機材の一部、ここではミュージックビデオが撮影されていて千里はビデオの核となる登場人物だろう。

 人気ロックバンドの傷害、未成年への飲酒強要、そしてここに居る全ての人間が何かしらの後ろめたさ以上の物があるに違いない。だから俺の申し出は渡りに船で、乗って来ないはずは無い。

 俺が先に頭突きをしたから、俺だって訴えられれば裁判で負けるのは目に見えているが、俺を罰する以上に彼らは罰を受ける。損得勘定が出来る大人なら皆、口をつぐむ。

「俺が病院に連れてくよ」

 若いスーツ姿の男が俺に近づき、「歩けるかい?」と優しい声を掛けて来た。

「わ、私も……」

 千里が付いて来ようとすると、彼は「俺に任せて、ね?」と諭すように彼女に声を掛けた。

 背中に手を添えられ駐車場まで歩くと、停車していた高級そうな黒いミニバンのスライドドアが自動で開き、俺は後部座席に乗せられ、山を下って病院に向け車は走り出した。

「いやあ、参った参った」

 運転席でスーツの男が人が変わったように笑う。

「君ってあの娘……えっと、見田園さんの知り合い? だとしたらファインプレーだね?」

「何がですか?」

 俺は後部座席で頭に巻かれたタオルを押さえて聞き返す。

「フフッ、君は頭がいい。あそこに居た誰よりも冷静で最善策を提案するなんて凄いよ」

「この件、公になったら誰も得しないでしょ? だから黙っときますよ」

 まんまと俺の行動を見透かされ、面白く無かった俺は革のシートに背中を埋める。

「お金で解決するかい?」

「いや、そういうのはいいんで……。俺、頭打ったみたいで何も覚えて無いんですよ」

 男はハンドルを握りながら肩を震わせていたが、堪え切れずに大笑いして叫んだ。

「最高だよ君は!」

「だけど俺、見田園千里に不利益があれば忘れた事思い出しちゃうかも知れないんで」

 車内が静まり返った。男は暫く黙って運転を続け、ポツリと言った。

「彼女の事は心配するな、だから君も頼むぞ」

「分かりました」

 大人と対等に渡り合い、強気な高校生を演じたが内心俺はビビっていた、学校にバレれば多分停学、しかも短期間に二度目だから退学にリーチが掛かる。

 進学校であるウチの高校では暴力行為は皆無で、悪目立ちしている俺はハッキリ言って成績も悪く高校側から煙たがられているのを肌で感じる。

 だから穏便に済ませたい、この状況下において全てを計算できた俺は世渡りという学科があったなら学年上位だろう。残念ながらこの得意教科は大学受験には活かせることが出来ないが……。

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