第112話 疑惑

「も、勿論エッチなこと以外でね?」

 体を左右にねじり、仁科坂は微笑んだ。

「いやぁ……別に……。今だって君に申し訳ないことしたのにお礼なんて……」

「じゃぁ…………」

 彼女は唇に人差し指を当てて天井を眺めた。

「私が家庭教師になってあげる!」

「うげっ! 要らねー……」

 あからさまに嫌な態度を取る俺に仁科坂は「そんなに喜んで貰えるならやりがいがありそう!」とほくそ笑む。

「仁科坂、取り敢えずカラーボックスありがとな?」

 俺は逃げるように家具を二つ抱えて部屋のドアに向かう。

「村上先生の攻撃、交わしたくないの?」

「あははは…………」

 出口を阻む彼女に俺は苦笑いで言葉を濁す。

 それから90分間、俺は仁科坂から有りがたい授業を受けた。



「運んでくれて助かったよ、このお礼は今度するから」

 俺はアパートの前で仁科坂に頭を下げる。

「いいよそんなの、こっちこそ助かったし」

 パタパタと顔の前で手を振り、笑顔を向けた彼女は紙袋を差し出した。

「クッキー、良かったらどうぞ?」

「おっ? もしかして手作り?」

「うん、今度感想聞かせてね。じゃぁ、また明日!」

 道路から見えなくなるまで俺はアパートの玄関前から彼女を見送って部屋に入った、早速貰ったカラーボックスを部屋に並べて床に散らばっている日用品を片付ける。

 何だかしっくりこないが、それは部屋に大して物が無いからで、これから色々揃えていけば過ごしやすくなること間違いなし。

 俺は仁科坂の部屋の匂いが浸み込んだ家具を暫し眺め、顔を緩めた。ふと、さっきの掃除機事件を思い出し、顔が熱くなる。あいつ、あんな可愛いパンツ履くのか……白の綿なんてある意味犯罪級のエロさだろ! ヤバい、何だか悶々として来た。と、取り敢えずコーヒーでも淹れるか……。

 廊下に出てヤカンを火に掛けると呼び鈴が鳴った。

「はいはい、誰ですか?」

 俺が上機嫌でドアを開けると白い半そでに黒のロングスカートの綺麗可愛い恰好で千里が佇んでいて息が止まりそうにる。

「作クン? この恰好どうかな?」

 パチパチと瞬きをして微かに首を傾ける彼女の仕草はボロアパートの前で異彩を放つ。

「凄く似合ってるよ、どうしたの? その服」

「撮影が終わったらくれたんです、いいでしょ?」

 体を捻り、背中を見せる千里。スレンダーな体に出るとこは出ているモデルのような体のライン、腰の位置は高く足は俺よりも長い。いや、実際千里はモデルになったんだった。

「何か千里、痩せた?」

「うん、少し……。でも事務所はもっと細くてもいいって……」

「無理してない?」

「大丈夫だよ」

 千里の笑顔はどこかぎこちない。

「今、お茶にしようとしてたんだ、千里も飲むだろ? 紅茶でいいか? ……って、り、コーヒーしかなかったんだ……」

「私、今日はコーヒーの気分だから丁度よかったです」

 三和土で靴を脱いだ千里は廊下に上がり、お茶の用意をする俺の後ろを通り過ぎて部屋に入った。

 コーヒーを二人分淹れた俺は、床に座っている千里に「どうぞ」とマグカップを手渡し、ダンボール箱のテーブルを部屋の真ん中に置く。

 そういえばいいお茶菓子があるな。俺はキッチンに戻り、さっき仁科坂から貰ったクッキーの袋を開け、皿にカラカラと全部出してダンボールテーブルの上に置いた。

「美味しそうですね? どこのクッキーですか?」

 千里は俺を見上げてハート型のクッキーを一つ摘み、小さくかじった。

「ど、どこのだったかな? ゴメン、忘れちまったよ……」

 仁科坂店とは言えない、でも出来はいいし見た目は売り物と変わらないから大丈夫。

「美味しいです! ん? お店のカードが入ってますね?」

 クッキーに埋もれた名刺大のカードを取り出し、千里は見入った。

 は? カード……? なにそれ……。

「手書き? 『今日はありがとう、また遊びに来てね!』というお店みたいですね!」

 鋭い視線を俺に向け、真顔でクッキーを食べる千里の圧力、いきなりのマッチポイントに返す言葉か見つからない。

「ハートの形だらけですね? 裏に詩織って書いてますけど……」

 終わった……。心臓が早鐘を打ち、具合が悪くなって来る。

「ち、ち、千里っ! そ、それ! 貰ったんだ、仁科坂に!」

「遊びに来てねって……お家に行ったんですか?」

「ご、誤解だ! そこのカラーボックス貰って……その……」

「何で嘘ついたんですか? 作クン」

「違うって……ホントに忘れてて」

「忘れ無いでしょ? 仁科坂さんに貰ったクッキーなんだから!」

 大きくため息を付いた千里は俯き、また「ん?」と言って自分の黒いスカートから何かを摘まんで眺めた。

「長い金髪ですね? 根元まで金髪だから染めて無い……これ、レオナさんの髪の毛ですよね?」

 ぐっ……反論の余地無し。追い打ちをかける証拠物件に俺の顔が引きつる。

「夜景だけじゃなくて部屋でも遊んだんですね? 何してたんですか?」

「な、何もしてないっ! ピ、ピザ食っただけだって!」

「怪しい……」

 千里は頬を膨らませて床からクッションを拾い上げ、俺に投げつける素振りを見せる。

 その時、クッションからポロリと白い物が床に落ちた。

 細い指で落ちた物を拾い上げ、眺めた千里は恐ろしいほどのジト目を俺に浴びせて来た。

「女の子の服のボタンですね? お花の形してますし! 千切れた糸が残って……ま、まさか……無理やり……? どういう事ですかっ!」

 立ち上がった千里は仁王立ちで威圧する。

「ちっ! 違っ! 違いますっ!」

 気が付けば俺は床に手を付いてヘコヘコと頭を上下していた。

 どこからか携帯のバイブ音が聞こえ、千里は俺を睨みつけたままポケットからスマホを取り出し画面を確認しだした、「へぇ?」と声色の変わった千里に俺の心がざわつく。

「一ノ瀬さんからレオナさんと作クンに関する情報が入ってますけど!」

 俺の体がギクリと誰にでも分かるほど動いいてしまった、レオナと俺の情報って絶対アレだよな?

「さ、されたんだ! 断じて俺からはしていないからっ!」

「随分とやりたい放題ですね、もういいです! 私、帰りますからっ!」

 大股で玄関へ向かう千里の背中に俺は叫んだ。

「待ってくれ千里!」

 玄関で靴を履いた彼女は立ち止まり「もう何も話したくありません」と背中で言いドアノブに手をかけた。

「さよなら」

 千里が最後に俺に告げた言葉。追いかけても意味は無い。ドアがゆっくりと閉まり、きっと彼女の心も閉じた。

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