第110話 訪問

 バイト先の居酒屋を通り過ぎて数十秒、路地を曲がった仁科坂は自転車を停めた。

 えっ? 何、このデカい家……、まさかここが仁科坂の家なのか?

 白い鉄の門をガラリと手で押して仁科坂は自転車を中に入れ、俺に敷地に入るように促す。門から玄関まで15メートルはある、綺麗に石がひかれた通路の左右に広がる手入れされた芝生。おい仁科坂、このスペースに一軒家建つだろ!

「仁科坂さんってお嬢様だったんだ……」

「何でさん付け?」

 彼女はクスクスと笑いながら自転車を押す。

「別にお嬢様じゃ無いから。ただ無駄に土地があるだけ、親が凄い訳でもないし……ウチはしがない斜陽の大地主の末裔に過ぎないよ」

 斜陽か……俺んちは斜陽どころかどっぷりと日が沈んでしまった、親父の仕事が順調だった頃はあの大きな家で何不自由なく暮らしていたのにな……。そういえば親父、どうしているんだろう? また冒険の準備に奔走してんのかな?

 仁科坂は自転車を大きなガレージのシャッターを開けて中に入れた、シャッターは木製で自動、動きも静かで高級感に溢れている。

「あれだよ、藍沢君」

 ガレージの奥に見える色々な家具、テーブルに箪笥、オシャレな電気スタンドなどが雑然と並び、ホコリを被っている。

「凄い綺麗じゃないか……、ホントにこれ捨てんのかよ?」

「うん、もう使わないし……」

「でも、ちょっと大きいかな? 俺の部屋に置いたら寝る場所がなくなっちゃうな……」

「そう……だよね……。あっ! 藍沢君、私の部屋にあるカラーボックス使わない? ちょうどこの間買い替えて余ってるのがあるんだよ」

 仁科坂は急に駆け出し、「部屋に来て!」と俺を手招きした。

 豪邸の玄関に足を踏み入れると彼女は大きな声で「お母さん! 友達連れてきたから!」と靴を脱ぎ捨てて床に上がった。

 玄関奥のドアが開き、年配の女性が顔を出した。

「あら? 男の子? 詩織、男の子連れて来たの初めてじゃない?」

「う、うるさいなあ! お母さんは黙ってて!」

「始めまして、詩織さんと同じクラスの藍沢作也です」

 俺は仁科坂のお母さんに頭を下げた。

「あなたが藍沢君なのね? 最近詩織が良く話してる……」

「うわあああっ! 藍沢君、そんな堅苦しいのはいいから、早く部屋に来て!」

 仁科坂は俺の手を引っ張って、母親から逃げるように階段を登った。

「じゃ~ん! ここが私の部屋です。なんちゃって……」 

 やたらとテンションの高い仁科坂、なんだか今日は機嫌がいいらしい。

 彼女は恥ずかしそうに部屋のドアを開けた。

「広っ! 何畳あるんだよ」

「分かんない、20畳くらいかな?」

 石鹸のような清潔感のある香りが漂い心地良い、「さ、入って入って!」と俺の背中を押す仁科坂の顔がほんのりと赤い。

 部屋の壁際に置かれた三人がけのソファー、そこに座るように誘導した彼女は「ちょっと待ってて」と焦った様子で部屋を飛び出して階段を降りていく音が響いた。

 ポツンと一人取り残された俺は手持ち無沙汰でソファーから立ち上がり、彼女の部屋をウロウロと眺める。

 仁科坂の部屋は余り女の子っぽく無い、可愛い物で溢れていた花蓮の部屋とは真逆のオシャレでアート感に溢れたドラマで見るような出来る女の部屋といった佇まい。そんな中、棚に置いてある幾つかのこぶし大のスノードーム。俺はなんとなくそいつを手に取り逆さまにしてから棚に戻して雪を降らせる。

 トントンと階段を登る音が聞こえ、仁科坂がお盆にグラスを乗せて部屋に戻って来た。

「これ、可愛いな?」

 俺はスノードームを指差した。

「解る? それは私のお気に入り。藍沢君とは趣味が合うのかな?」

 ニコリと微笑んだ彼女はソファーに座り、テーブルにお茶を置いた。

「藍沢君も座って?」

 仁科坂はソファーの座面を手のひらでトントンと触り、自分の隣に座って欲しいといった表情。

 三人がけのソファーに横並びで座ると、彼女との距離が近くて何となくソワソワする自分に気づく。

「はい、どうぞ!」

 仁科坂が俺にグラスを手渡して続けた。

「藍沢君が私の部屋に入った初めての男子なんだよ?」

「そうなんだ……仁科坂はあまり男子と遊ばないのか?」

「あまりも何も一度も遊んだこと無くて……」

「一度も? そんな大袈裟な」

「ほんとに遊んだこと無いの、昔から男子は皆んな私に意地悪するんだもん!」

「それって仁科坂のこと、好きだからだよ」

「えっ?」

「男子は好きな女の子をからかったり意地悪な事して気を引こうとするんだ」

「そうなんだ……じゃあ藍沢君は私に意地悪したい?」

 ソファーに片手を付き、体を寄せた仁科坂は俺の顔を真剣に覗き込む。

「俺が? するわけ無いだろ?」

 ピクンと体を動かした仁科坂はグラスをテーブルに力なく置いた。

「だよね……」

「意地悪するのは小学生迄かな? 中学や高校生ならからかったりはするか……でも、だんだん大切にしたいって気持ちが強くなるかな?」

 マジマジと俺の顔を眺める彼女。妙な沈黙が流れ、俺は彼女の額を人差し指で弾いた。

「痛っ!」

「これ、意地悪な!」

「もう、藍沢君のバカっ!」

 二人はソファーの上で肩を揺らして笑った。

「仁科坂にまでバカって言われたか……俺の周りの女子は皆そう言うんだ」

「なるほどね、これが藍沢作也か……藍沢君がモテモテなのが分かった気がするよ」

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