第108話 事故
「凄く美味しかった! 仁科坂がこんなにお菓子作りが上手だなんて知らなかったよ」
紅茶をすすった俺はティーカップを置いて彼女を見つめた。
「良かった、感想が聞けて」
仁科坂は顔をピンク色に染め、おもむろにカーディガンのボタンを外し、「紅茶飲んだから暑くなっちゃった」と上着を脱ぎ、手で顔を仰ぐ。
「この部屋、エアコン無いから暑いだろ?」
俺は立ち上がり、部屋の窓を全開にして振り向いた。
ダンボール箱の前で正座している仁科坂のシャツは大きな胸をしまうには窮屈そうで生地に皺が寄っている、しかも胸元のボタンがはち切れそうに斜めに傾いて見ていてヒヤヒヤする。
男子の間では仁科坂の胸がデカいのは有名で、その情報は学年を飛び越えて校内の男子なら誰もが知っているくらいだ。
仁科坂も立ち上がり、「酷い風景……窓の意味あるの?」と塀しか見えない窓に近づく。
「うわっ! 足が⁉」
バランスを崩した彼女は慌てて俺に正面から思いっきりしがみつき、体を支えられないのか全体重を掛けてきた。
さすがに体の前側に数十キロの重りが付いた俺は堪えきれずに仁科坂に覆いかぶさるように床に倒れこんでしまった。
ボロアパートが揺れた気がした……。大きな音を立てて二人は転び、「痛ぁ……」と仁科坂が顔を歪める。
何でこうなった……? 俺は仁科坂と体を重ね合わせるように向かい合わせで床に寝転び、まるで女の子をベッドに押し倒したような体勢になっていた。俺の胸の下でムニッっとした弾力を感じる、大きな彼女の胸が俺の体を押し返そうと反発しているかのように。
ゆっくりと目を開けた仁科坂と至近距離で目が合い、彼女は瞳を揺らす。
無言で見つめ合うこと数秒、仁科坂は叫んだ。
「藍沢君! ダメーっ‼」
「ご、ゴメン!」
俺が慌てて体を離すと、慌てた彼女の膝が胃にめり込む。
みぞおちに綺麗に蹴りが決まり、俺は息を詰まらせて床にくの字で転がった。
息が出来ねぇ! 小さく咳き込み悶える俺に焦った仁科坂は「な、何? 大丈夫!?」と目の前でしゃがみ込む。
俺の肩を揺らす彼女のスカートの中が見え、太ももの間にサテン生地のピンクの下着が蠢く。
いやらしい目の前の映像と耐えられない体の痛みに全身に汗が滲み出る。
「藍沢君、本当にごめんなさい! 足が痺れた私が悪いのに」
仁科坂は部屋の真ん中で腰を深く折り曲げ何度も俺に謝って頭を下げる。
俺は居心地が悪く後ずさりして、まあまあと彼女をなだめた。
「いや、仁科坂……もう大丈夫だから……」
逆にこっちが申し訳なくなる。スカートの中を至近距離で見せてもらい、胸の大きさまで確認させてもらったんだから……。
顔を上げた彼女の胸元からピンクの生地がチラ見えして俺は慌てて指を差した。
「仁科坂……胸のボタン外れてるぞ」
「えっ?」
彼女は焦って自分の胸元を眺め、胸を隠して床をキョロキョロと何かを探す素振りを見せる。
「どうしたの? 仁科坂」
「ボタンが無いの……」
「そうなんだ……さっきまで大きな胸でボタンがはち切れそうになってたしな……」
俺もボタンを捜索する。
「ちょっと藍沢君!
「うぇっ? ち、違っ! なんか服がパンパンに引きつっててキツそうだなって思っただけで……」
大きな胸を隠すように両手で腕組みをした彼女は眉を潜めて俺から体を背けた。
「なんだ……藍沢君もやっぱり普通の男子と変わらないんだ! 私、この胸が大っ嫌い! 男子は私の顔よりも胸ばっかり見るんだもん」
「ごめん、仁科坂……俺も男だから胸は見ちゃうよ、だけどそれは君が凄く素敵だから……胸を見ないように顔を見るとソバカス顔が可愛くて視線を逸らしちゃうんだよ」
クルッっと俺に向き直った仁科坂は大きな目を見開き、「そうなの?」と呟いた。
「あ、藍沢君? 私ね…………」
胸を隠したまま沈黙した彼女は俯き、「やっぱり、何でもない……」とカーディガンを床から拾い上げた。
「わ、私そろそろ帰るから! 藍沢君、感想聞かせてくれてありがとう」
そそくさと玄関に向かう彼女の背中を追い、俺は仁科坂を玄関で見送る。
「じゃあね?」
ドアの隙間から小さく手を振り、彼女は視界から消えた。
うわーっ! 失敗した! 絶対に仁科坂に嫌われた! 俺は変態スケベ野郎のレッテルを張られたに違いない。明日の朝、時間ずらすかな……? なんか気まずいし……。
廊下にしゃがみ、頭を両手で抱えた俺は天を仰いだ。
翌朝。
昨日の事もあり、俺はいつもより10分時間を遅らせてアパートを出た。
これで仁科坂に会わなくて済む。大きな通りに自転車を走らせ、信号待ちをしようと停車した時、隣に見覚えのある横顔が見えて俺は「うわっ!」っと声を上げてしまった。
「あ、藍沢君?」
仁科坂は俺に気付き、一気に顔を赤くさせた。
「お、おはよう、仁科坂。……今日は遅いんだな?」
「藍沢君こそ!」
「ははっ……。実は君に嫌われたかと思ってワザと遅れて出たんだ……」
「えっ? 藍沢君も⁉」
クスクス笑う彼女はいつも通り、優しさが滲み出た女の子に戻っていた。
「昨日は八つ当たりしてごめんなさい、許してくれるかな?」
心配そうに俺を上目遣いで眺める彼女はとても愛らしい。
「許すも何も、俺は怒って無いから。俺こそゴメン、その…………胸見て……」
「いいよ、藍沢君になら見られても。私といっぱい目も合わせてくれるから」
そう言われた途端に俺は胸を見てしまった、だって見ていいって言われたら見ちゃうだろ!
「あっ! ゴメン!」
視線を悟られた俺は仁科坂に手を合わせて謝った。
ケタケタと大きな声で笑う彼女は「藍沢君ってホント面白いんだから!」と目じりの涙をぬぐう。
「そうだ! 今日の帰り家に来て! 家具みせてあげるから」
信号が変わると仁科坂は上機嫌で自転車のペダルを踏み、俺と一緒に通学してくれた。
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