第107話 遭遇
昨日レオナに精神的にも肉体的にも振り回された俺はぐったりして目を覚ました。時間は昼前、今日が日曜で良かったと安堵しながらスマホを手に取りSNSを確認しにいく。
昨日の晩、千里に送った謝罪のメッセージに返信は無い。だた、既読と表示されている、千里はいつもこまめに返信してくれる、だからこれは明らかな既読スルー。
他のメンバーからのメッセージは無く、特にいつもと変わらないのだが『この最低野郎』と言われている気分になって落ち込む。
「腹減ったな……」
昨日無理して食べないでピザ残をしておけば良かった……。あんなに腹が満たされてたのに何で一日経つと腹減るんだよ! 仕方ねえ、コンビニ行くか……。
おにぎりとカップラーメン、これはダメな食事だ。だけどラクチンさには叶わない。俺はスマホをレジに差し出しコンビニで決済を済ます。
レジ袋代をケチり、商品を手に持ったまま店を出た時、目の前に仁科坂がいて驚いた俺はおにぎりを落としそうになった。
「藍沢君、おはよう! それお昼ご飯?」
俺の手元を覗いた仁科坂はソバカス顔で笑い掛けた。
「おはよう! 仁科坂も飯買いに来たのか?」
「私はおじいちゃんに頼まれて野球のチケットを買いに来たの、おじいちゃんは紙のチケットじゃないと駄目だから」
彼女はカーディガンを羽織り結構短いスカートを履いていた、クラスじゃまず見せない真面目キャラの白い太腿に俺のドギマギが隠せない。
「じゃあな仁科坂! 明日な」
俺は太腿に向けた視線を悟られないように早々に別れを告げる。
「あ、藍沢君! 今日バイト?」
「ああ、5時からだけど……」
「わ、私ね、お菓子作りが趣味で作り過ぎちゃったから後で持っていっていいかな……?」
「えっ? 別に構わないけど、俺んち分かんないだろ?」
彼女は顎に指を当て首を傾げた、ゆるふわな内巻きボブがゆれて可愛らしい。
「こないだ居酒屋の近くのアパートって言ってたよね? もしかしてオレンジ屋根の?」
「そうだよ、そこの左下の101」
「じゃ、あとで持ってくね?」
コンビニに入ろうとする仁科坂は笑顔で俺に小さく手を振った。
「ありがとな、仁科坂!」
アイツってお菓子作れるんだ、それなら久々にコーヒーでも淹れるか……。気が付けば俺は鼻歌を歌って歩いていた。
2時過ぎ、アパートの呼び鈴が鳴り俺は玄関ドアを開けた。
外には予想通り仁科坂が佇んでいて、俺と目が合うとニコリと微笑み、「お口に合うといいんだけど……」と少し自信無さげに俯いた。
彼女は俺に白い紙袋を手渡し、モジモジしながら背伸びして俺の部屋を覗いたかと思うと、ごにょごにょと何かを言った。
「えっ? 何?」
「あ、あのね藍沢君。お菓子に合う紅茶持って来たんだけど……その……淹れてあげるから一緒にどうかなって?」
上目遣いでお祈りをしているような仁科坂は教室にいる時みたいに歯切れがよくない。
「どうかなって? 何が?」
「だ、だから迷惑じゃ無かったら私と一緒に食べて感想聞かせて欲しいんだけど……ダメかな?」
やたらと手を体の前でパタパタと動かし、歩幅を詰める仁科坂。
「別に構わないけど……」
「本当? じゃお邪魔しますっ!」
パッと顔を明るくさせた彼女は玄関から廊下に上がり、俺は慌てて部屋を片付ける。
部屋に足を踏み入れた仁科坂は「えっ?」と驚きの声を上げた。
「何も無いんだ、俺の部屋」
「そうなんだ……。ねえ、藍沢君。こんど私の家に来て! 使って無い家具があるから見に来てよ!」
「本当? 譲ってくれるなら助かるよ」
「うん、明日の帰りでもいいし家に寄って! じゃあ、ヤカン借りるね! 今、紅茶淹れるから」
仁科坂が紅茶とお菓子をお盆に乗せて部屋に運んで来て困ったように辺りを見渡した。
「仁科坂、このダンボールがテーブルだから」
「えっ? そうなの⁉」
部屋の真ん中に置かれた引っ越し用のダンボール箱、一応潰れないように補強はしてある。
彼女は困惑気味にダンボールテーブルにお盆を乗せて俺と向かい合わせに正座した。短いスカートから白い足を折曲げ、正座する彼女に俺は慌てて一つしかないクッションを床から拾い上げて「使って」と手渡して再び向かい合わせで座る。
仁科坂がお菓子の皿を俺の前にそっと置き、横にティーカップを添える。
「えっ? これを仁科坂が作ったの?」
ツヤツヤのアップルパイはまるで店で売っているような見た目でパイ生地か織り込まれていて焼色も奇麗だ。
「うん……どうかな……?」
「奇麗だよ! ケーキ屋さんに並んでてもおかしくないくらい」
「ホ、ホント?」
彼女は体をぴょこっと弾ませ、恥ずかしそうに満面の笑みを浮かべる。
「じゃ……いただきます」
フォークを寝かして三角形のパイの先端を切るとしっとりとした弾力が手に伝わってくる。
パイの断面からいい香りが漂い、俺は我慢出来ずに口に運ぶ。
「旨っ……! マジで旨いよ! 仁科坂はパティシエになれそうだな?」
「そ、そうかな?」
彼女は俯いて耳を赤くした。
「でも仁科坂は秀才だから料理の道には進まないんだろ?」
「分からないの……悩んでも悩んでも答えが出なくて……」
「そうなんだ、俺ならどうすっかな……? 取り敢えず大学行って、それでもパティシエになりたかったら修行するかな? 大学に行かなければ就けない職種もあるし、パティシエになるなら大学卒業後でも出来るだろうし……選択肢の幅は狭めないほうがいいんじゃないか?」
「やっばりそうだよね! 色んな人に相談したけど藍沢君みたく言ってくれる人はいなかったから……」
目を輝かせた仁科坂はパイを大きく切り取り、頬張って笑った。
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