第106話 交渉

 一緒に住むって⁉ いきなりそんな事言われても……しかもあんな狭い部屋で? 一瞬レオナとの同居を想像しただけなのに、あんな事やこんな事が……い、いや! 何想像してんだ俺はっ! 兎に角落ち着け。

「な、何いってんだよレオナ!」

「だってお金節約できるじゃない、家事も分担出来るし」

 可愛い顔を真顔に変え、無茶な同意を求める目の前の美少女。

「そんなの駄目に決まってるだろ!」

「私、今の部屋間借りしてるだけだからいずれ出なきゃいけないし……」

 デーブルに頬杖をつき、グラスの縁を指でなぞりながら遠い視線で斜め上を向くレオナ。

「無理無理っ!」

 そんな勝手な話に乗れる訳無いだろ!

「作也、バイト結構休んでるよね? お金大丈夫なの?」

 彼女はチラリと俺に視線を戻し、痛い所を付いて来る。

「うっ! そ、それは……」

「だから、共同生活しようって言ってんの!」

 テーブルをバンッ! と両手で叩き、同意の無理強いに俺の思考回路が正解を導き出せない。確かに有難い提案、レオナが女子じゃ無かったら二つ返事で同意しただろう。

「せめて二部屋有ればな……」

 い、いや駄目だろ、どう考えても! 部屋数の問題じゃない、レオナだけと一緒に暮らすなんて事になったらマジで破滅的な集中砲火を浴びるぞ。 

「引っ越す?」

 次々に言葉を浴びせ、俺から間違った言葉を引き出そうとするレオナ。

「絶対に無理っ! てかレオナって何で自分ちに住まないんだよ?」

「私の家大きすぎて一人じゃ持て余しちゃうし、両親はいつも海外に居るから人に貸してるんだ。その収入の一部が私の生活費ってわけ」

「だからって間借りとか居候みたいな事しなくてもいいだろ?」

「私、本当に住みたい場所見つけたいんだ……。それが今見つかったんだよっ!」

 椅子からお尻を浮かせて迫るレオナをいなす様に俺は目を逸らす。

「へ、へーぇ……」

「なによ! その迷惑そうな反応!」

「そんなの現実的じゃ無いだろ? あの六畳間に一緒に住んだらプライベート空間無くて直ぐに喧嘩になるのが目に見えてるし……」

 たとえやましい関係にならなくてもストレスがたまって言い争いが起こる、その時の敗者は俺だろう……。可愛い子との暮らしだからっていい事ばかりじゃないのは今まで散々体験したし、ちょっと考えただけでどんな暮らしになるかは容易に想像がつく。

「駄目ったら駄目!」

「作也のケチ! バカ! 優柔不断! スケベで覗き魔! それから……えっと……」

 なにディスる言葉探してんだよ、グサグサ来るからそれ以上言わないでくれ。だいたい千里に知れたらどうなることか、俺はアパートの床で血を流して転がっているかもしれない。

 勝手に恐ろしい映像を脳裏に浮かべた時、いきなりテーブルに置いていたスマホが振動して俺は体をビクッ! と動かしてしまった。

 スマホの画面には見田園千里の文字と受話器マーク、俺とレオナは同時に画面の文字を見てお互いに目を合わせた。

 ブーブーと振動してズレていくスマホに俺はどうしていいか分からなくなる。

「出なくていいの?」

 両手で顔を挟み、頬杖を付いたレオナが俺を試すように微笑む。

 スマホを手にとった俺は体を横に向けて耳に当てた。

「もしもし?」

『あっ、作クン? これから家に行っていい? 撮影現場が近くだったから……』

「ごめん、千里。今、家からかなり遠くに居るから直ぐには帰れないんだ」

『……そう……なんですね……』

 千里の弾んだ声がトーンダウンする。

『お出かけしてたんですか? 今、どこです?』

「宮間公園駅前だよ」

『宮間公園駅……? 夜景で有名な? 誰かと一緒なんですか?』

「えっ、それは…………」

 頭から煙が出そうなほど脳が演算を始める。一人って言った方がいいか? いや、俺が宮間公園駅近辺に居る時点で相当怪しいじゃないか、レオナとメシだって言えば済むことだろ? 別にやましい事じゃ無いし……いや、結果デートぽくなって展望台でキスまでしたんだぞ、しかもエロいキスを!

 考えが纏まらず、数秒間の沈黙が流れ頭の中が真っ白になる。

『作クン……? どうしたんです?』

「やっほー、千里ちゃんっ!」

 レオナが大きな声を出し、俺の混乱に拍車をかける。

 ちょ……! おま……言い訳考えてたのに何言ってんだよ!

『レオナさん? 一緒なんですか? 他に誰かいるんですか?』

「いや……俺とレオナで晩飯食ってた……」

『こんな遅い時間にですか? もしかして夜景見に行ったんですか?』

「いや……だから……その……」

 プツリといきなり電話が切れ、俺は事態を飲み込めない。

 怒ってるのかな……? 千里さん……。

「あ、もしもし? 千里ちゃん?」

 レオナが話し始め、真っ黒な画面のスマホから俺は顔を上げた。

 えっ? 何で? 直で事情聴取⁉

「そうだよ。うん、うん、行ったよ! 暇だったから作也借りたから! えっ?」

 レオナはスマホを耳に当てたまま俺を眺める。

「千里ちゃんだって作也と付き合ってるとか彼氏だとか宣言してないじゃない」

 はっ? な、な、何話してんだよ?

「曖昧な束縛なんてズルくない? だから周りが混乱するんだよ、それなら所有権示さないと」

 ため息を付いたレオナは椅子に横に腰掛け足を組む。

「してない、してないって! ただの暇つぶしだって!」

 苦笑いのレオナはこめかみを掻きながら天井を眺めた。

「うん、そう、じゃあね?」

 電話を切ったレオナはいきなりテーブルにゴンッと頭を付き、突っ伏した。

 お、おいっ! 大丈夫か? 何があったんだよ! 話してくれ、いや……聞きたくないかも……。

「すっごい怒ってた……」

 籠もった声を漏らしレオナは顔を上げた。

「作也とキスしたって言えなかったよ……」

 い、いや……言わなくていいから!



「2680円です」

 レジで財布を開いたとき、レオナが店員に現金を渡した。

「俺が払うよ」

「いいって! 作也が金欠なのは分かってるから」

 彼女はレジ前で俺の財布を手で押し返す。

 支払いを済ませたレオナと店を出ると、俺は彼女に「ありがとな、今度は俺が払うから」と伝える。

「そんなのいいから、また遊んでくれる?」

 どうしたらいいんだ、このままズルズル関係を持ったらきっとエスカレートして最後まで行ってしまいそうだ。どうして……こんな男のどこがいいんだよ。

「レ、レオナ……、俺……」

 微笑んでいたレオナは俺の声に真顔になり、逃げるように走り出して立ち止まるとクルッとこちらを向いて叫んだ。

「作也! バイバーイ! 今日は楽しかった! またねーっ!」

 大きく手を振り、彼女は逃走した。俺の言葉を断ち切り、事態の先送りを図るかのように。

 俺自身、レオナが消えなければ何て言葉を発したのかは分からない。ただハッキリしている事はお互いが危機を回避し延命措置をしたと言う事だけ。

 彼女が望む自然消滅までのカウントダウン、それに俺は今、同意したのかも知れない。

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