第93話 予期せぬ訪問者

 ふと目が覚めた、そういえば俺……保健室で薬飲んで……いま何時だよ?

 ベッドの上で辺りを見渡し、時計を探す俺の視界に入る人影。壁際で椅子に座って一ノ瀬が横にしたスマホを両手で握りしめ指を激しく動かいている。

「一ノ瀬……今何時だよ……」

「えっ? 5時かな?」

 彼女はスマホの画面に集中し、俺に目もくれずに言う。

「ヤバっ! バイト!」

「無理に決まってんじゃん! そんなに熱あるのに」

 ベッドから体を起こした俺の体がフワフワした、これは無理だ! バイトになんか行けやしない。

 俺はそのまま重力に負け、再びベッドに倒れ込む。



「大丈夫? ついて行かなくていい?」

「大げさだなぁ、一ノ瀬は。これくらい大したことないって」

 俺はタクシーを学校に呼び、後部座席に座りながら一ノ瀬に別れを告げる。

「辛かったら連絡してね? とにかく家着いたらご飯食べて暖かくして寝るんだよ?」

「オーケー。じゃあな、一ノ瀬!」

 ドアがバタンと音を立てて閉まり、タクシーが走り出した。

 一ノ瀬が校門の前で段々小さくなってゆく、彼女のセリフはまるで母親のようで、俺は彼女の優しさを噛みしめる。

 アパートまでの道のりは車でも長く感じた、眠気がさした時タクシーが家に着き、俺は2千円少々を支払う。

 うげっ! 2時間分の労働がタクシー代に消えやがった、また働いて稼がないと……。

 ふら付きながら玄関ドアを開け、そのまま敷きっぱなしの布団に倒れ込む、俺はスイッチが切れたように眠りについた。



 寒いっ! 布団の中でガタガタと体が震える。窓の外は真っ暗で床に投げ捨てたスマホに手を伸ばして時間を確認する。

 暗闇に長細い画面が眩しく光り、俺は顔をしかめながらスマホに焦点を合わせた。

「げっ! 9時かよ……なんか腹に入れた方がいいな……」

 俺は四つん這いになりながら廊下に出て冷蔵所を覗く。

 は? 何にもねえぞ……コメ、コメ炊くか?

 膝立ちになって炊飯器の蓋を開けると釜が入っていない、流し台に目をやると釜に皿が山積みに入っていて一気にやる気をなくす。

 洗ってらんねぇ……寝よ……。

 俺は制服のまま布団に潜り込んだ。



 翌朝、寒気は治まり、寝汗で湿った体を起こすとぶっ倒れそうなほどフラフラする。

「無理……」

 死ぬ……。ここ事故物件になっちまうな……。

 さすがに自分が今ここで死ぬとは思ってはいないが食い物も無く、頼る人も居ないと弱気になって来る。

 千里……。俺はスマホを拾い上げSNSを確認する、彼女からの連絡は無い。俺は『仕事順調か?』とメッセージを書き込んだが数秒間眺めて削除し、スマホを放り投げた。

 千里が始めた仕事はモデル、モデルの事務所に興味本位で登録すると直ぐに連絡が来てあっという間に仕事が舞い込んだらしく、撮影の為に地方に遠征しているとか……。

 千里からの連絡は最近全然無い、きっと忙しいのと慣れない仕事で彼女も疲れているに違いない。

 天井をぼーっと眺めているとスマホからメッセージの受信音が聞こえ、俺は具合が悪いのにも関わらず咄嗟にスマホに飛びついた。

 メッセージは一ノ瀬からで『具合は? 良くなった?』と俺を案じてくれていた。

 千里からのメッセージじゃなかった事に俺は少しがっかりしながらも、俺を気にしてくれた一ノ瀬に心の中で感謝する。

『今日は休むわ』

 俺は短く返信して布団を被った。

 早く治してバイト行かないと金が……。



 家の呼び鈴が何度も鳴って俺は目を覚ました。

 はぁ? もう夜の6時前? そんなに寝てたのかよ俺……。

 呼び鈴は鳴りまない、うるせーな! 押し売りテレビの営業かよ! テレビは無いから払わねーぞ!

 余りのしつこさに俺はだるい体を起こして廊下の壁に手を付きながらドアを開けた。

 ドアの向こうには制服姿の花蓮が居て俺は驚きを隠せない。

 彼女は俺をチラチラと見てぶっきらぼうに呟いた。

「ご飯作ってやるから入れて」

 スーパーの白いレジ袋を俺の目の前に掲げ、花蓮はアパートに勝手に上がり込む。

「えっ? ちょ……花蓮……?」

「臭い部屋だなぁ、換気しなよ!」

 花蓮は俺の部屋をズカズカと歩いて奥の窓を開けた。

「うわっ! 何この景色、最悪!」

 目の前の塀に悪態をつく花蓮。

「酷い部屋だね、ここ!」

「花蓮……どうして……」

「何そのしわしわの制服、まさかずっと制服で寝てた訳?」

 花蓮は俺の制服のシャツを摘み、顔をしかめる。

「湿ってて汗くさっ! 脱ぎなよ! 着替えは?」

「いや、花蓮……」

「看病してやるから黙って言うこと聞いて!」

 部屋に積まれた段ボールを物色し、着替えを探す花蓮はグレーのスウェットを見つけ出し、俺に放り投げる。

 廊下に出た花蓮は流し台で水を出して何かをしている。

「汚いなー、酷い暮らしじゃない!」

 花蓮はタオルを手に持って部屋に戻って来て「体拭いてやるから脱げ」と言い放つ。

「い、いや、それは……」

「照れてる場合か!」

 花蓮は俺のシャツのボタンを次々外し、俺を布団の上に座らせて体を拭き始める。

「花蓮、ゴメン……」

 背中を拭いた花蓮は俺にタオルを手渡し、「あとは自分で出来るでしょ?」と言って流し台に行ってしまった。

 一方通行の会話、彼女は言いたい事だけを言い、やりたい事だけをやる。

 それはいつもと変わらないのだが一度こじれた恋愛感情を修復するには至らない。

 花蓮は俺と殆ど目を合わさない、ギクシャクとした感覚が部屋中を支配し、居心地は悪い。

 何で……。俺は複雑な感情を隠すように布団に潜り込んで彼女の気配を遮断した。

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