第91話 新しい日常
昼休み。
朝、寝坊して弁当を作る暇がなかった俺は購買に出向き、売れ残りの中から昼飯を選んでいた。早く買いに来ればもう少し色んな物が売っているのは分かっているのだが、生徒でごった返す中で買い物をしたくなかった俺は敢えて時間をずらしてここに来ていた。
商品棚に残されたレーズンパン、花蓮がレーズンが殆ど入っていないパンに改名しろと言っていたのを思い出す。
パンを手に取ろうとした時、誰かと手が重なりそうになり、お互い手を止めた。
「か、花蓮!」
「作っ……! オッス……」
口を少し尖らせた花蓮は目を泳がせ、手をスッと引っ込めた。
「花蓮、買えよ……」
「いいよ、それレーズン入って無いし……」
手をせわしなく動かし、落ち着きのない彼女の仕草に俺も落ち着かなくなる。
「レーズン入って無くはないだろ?」
「要らない」
逃げるように棚の後ろに移動する花蓮、久々に話したのにぎくしゃく感が半端ない。
俺はパンには手を付けず、梅おにぎりを一つだけ買って早々に購買を後にした。
朝から何も食ってないけど余り金も使いたくない。俺は最近、金が減る恐怖心に駆られ、ケチケチ生活から逃れられなくなってしまっていた。
色んな食材を調理していた頃が懐かしい、最近は食べさせる人もいないから殆ど簡単な食事で済ませていて、多分体に良い事は無いだろう。
おにぎりのフィルムを剥がした俺は廊下を歩きながら数秒でそれを飲み込み、水飲み場で腹が一杯になるくらい水を飲んだ。
放課後、直ぐに自転車を走らせてバイト先に向かう。自転車を漕ぐ足にダルさを感じる、立ち仕事はまだ慣れないけど続けていれば時期に疲れは感じなくなるだろう。
今日も頑張らないと……。
信号待ちをしていた時、隣に自転車が停まり不意に声を掛けられた。
「藍沢君? 家、こっちだっけ?」
「いいんちょっ!」
俺は不意打ちに体をビクッとさせた。
「その呼び方辞めて欲しいんだけど! 仁科坂だから!」
彼女はクスッと笑い「そんなにおどろかないでよ!」とソバカス顔を近づける。
「俺、引っ越したんだ、西御坂駅そばに」
「えっ? そうなの? 私の家もその近くだよ」
仁科坂は自転車から身を乗り出す。
「俺は2丁目だけど……」
「私、3丁目だよ!」
目を大きくした彼女は嬉しそうに続けた。
「2丁目? どこらへん?」
「居酒屋あるだろ? あそこの直ぐそばにあるボロアパートで一人暮らししてるんだ」
「えー? いいなぁ、一人暮らし。でも何で一人なの?」
「親父が破産して家差し押さえられてな……ま、それから色々あって今は一人でバイトしながら暮らしてるんだ」
「破産⁉ あ……ごめんなさい。変なこと聞いて……」
「別に変なことでもないから、こうして普通に生きているしな」
家までの30分、俺は仁科坂と他愛のない話しをした、彼女は俺と別世界で生きている感じがしてならない、生徒会役員で真面目で優等生、しかも優しいというか柔らかい感じの人。千里も優等生で優しいけど、この人の怒ったところを俺は見たことがない。
「それじゃ! 俺、こっちだから」
アパートの近くの交差点で仁科坂と別れ、そのまま居酒屋の裏に自転車を停めて店に入る。
「おはようございます……」
ん? お早うでもないか……。
店長は俺が来たことに嬉しそうな顔で「お早う、もう直ぐ夜だけどね」と笑う。
直ぐに着替えてキッチンに入った俺はさっそく見様見真似で仕込みを手伝う、そうこうしているうちに客がひっきりなしにオーダーを入れキッチンは戦場と化す。
洗い物が山積みになり、必死に数を減らそうとするが無限に皿が湧いて出る。ヤバっ……何かクラクラする……腹減り過ぎだ……。
「お先に失礼します!」
俺は元気に挨拶をして店を出た途端に呟いた。
「死ぬ……」
5時間の労働、体力が持たねぇ……この先やっていけるか心配だぞ……。週6で3万の収入、4週で12万……色々引かれて10万ちょいか? 家賃3万で残り7万……いけるのかこれ?
まだ、始めたばかりの一人暮らし、一月でどれくらいの金が掛かるのか全く想像がつかない。
アパートに帰り、軽くメシを食い終わると11時。千里……寝たかな? SNSでメッセージを送りたくなったが起こしたら悪いし今日は辞めておこう、どうせ大した話しがあるわけでもないし。
俺は歯を磨いて速攻布団に潜り込んだ。
翌朝、俺は何とか起きることが出来て、食パンをそのまま一枚かじって外に出た。最近気分がすぐれない、余りにも環境が変わりすぎたのが影響しているのだろうか? 空は快晴、でも心は厚く雲が掛かっているようだ。
ふと、自宅前に集まった女子四人の事を思い出し、胸が苦しくなる、寂しい……? 分からないけど気分が落ち込む。
俺は頭をブンブンと振り、自転車を走らせた。
「藍沢君!」
道路の向こうで可愛らしい声が俺を呼んだ。
「いいん……仁科坂、おはよう。また会ったな」
「おはよう、せっかくだから一緒に行かない? 一人だと道のり長くてつまんないし」
「そうだな、俺も距離感がいまいち掴めないからペース配分を伝授してくれると助かるかな」
「伝授って! 藍沢君、この時間ならゆっくり走っても充分間に合うから」
ニコリと仁科坂は笑いかけ、俺も釣られて笑顔を返す。
自転車を並走させ、暫く走ると彼女は「昨日バイト?」と首を傾げる。
「ああ、毎日行ってる。夜の10時まで5時間働いてる」
「毎日10時まで⁉ 大丈夫なの?」
「大丈夫って何が?」
「勉強だよ! 藍沢君、この間のテスト補習だったじゃない!」
「ははっ、何とかなるって!」
俺は笑って誤魔化した。何とかなるかよ! 稼ぐのが精一杯だぞ。バイトから帰ってきて勉強なんかしたらペンを握った途端に爆睡するのは目に見えている。
「私、勉強教えようか? お昼休みとか放課後とか……」
「えっ? そ、そんな……悪いよ……」
「遠慮しなくていいんだよ? 何だか私、藍沢君のことが心配だよ」
「だ、大丈夫だから」
俺は何度も仁科坂の提案をやんわりと断り、高校に向かった。
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