第88話 退院後の衝撃

 三日後、退院の日、病室で千里は曇った顔をしていた。

「顔の傷、消えないって……。ごめんなさい」

「こんなの大した事ないだろ? 目立たないし」

 俺は小さな荷物を抱えてベッドから立ち上がった。

「でも……」

「千里の顔じゃなくて良かったよ、しかも千里が悪い訳じゃないし」

 涙ぐむ千里は大きく首を振る。

「君を守った証、だから俺は嬉しいくらいだよ。鏡を見る度、君のことを思い出せるから」

「作クン……!」

 千里は踵を上げ、顔の傷にキスをした。



 タクシーで家に着くとレオナと一ノ瀬が家の前に佇んでいた。

 俺と千里は車を降り、タクシーが走り去ると二人は駆け寄って俺たちを玄関ドアに引っ張って行く。

「大変だよ作也! これ見なよ!」

 レオナは玄関ドアにテープで貼られたA4サイズの白い紙を指差した。

「退去通知? 何だよこれ?」

「差し押さえだよ! 期日までに退去するか、しないなら家賃払えって!」

「は? クソ親父……。退去期日は半年後? その間家賃月20万! 嘘だろ? そんなの払える訳ないだろ!」

 俺は速攻親父に電話を掛けた。

『お掛けになった番号は――』

 親父には都合のいいセリフが流れ、俺はスマホを耳から離し、ため息を付く。

 千里も父親に電話を掛けた。

「あ、お父さん。藍沢さんの家が差し押さえられてるんだげど何か知らないの?」

 千里の電話が繋がり、皆が耳をそばだてる。

「うん、うん、えっ! 本当なの?」

 数分間のやり取りが終わり、千里は電話を切った。

「ど、どうなの? 千里ちゃん……」

 レオナが恐る恐る千里に聞いた。

「作クンのお父さんが破産したのは事実らしいです、私のお父さんも連帯保証人だからどうなることか……」

「で? どうすればいいの?」

「退去先を探すしかないからまた連絡するって……」

「退去って……私たち、どうなっちゃうの?」

「解散するしかないかと……」

「嘘でしょ……?」

 千里は下唇を噛んだまま黙り、目を潤ませる。

 これはどうにもならない、俺たちが足掻いたところで大金が用意出来る訳でもない。

 バイトしたところで月20万の家賃は払えない、それなら引っ越して生活費を稼いだ方が良いだろう。

 それなら早いに越したことはない。

「なあ、皆、聞いてくれ」

 俺は、今の最善策を提案した。

「一ノ瀬、お母さんの退院はいつだ?」

「来週だよ」

「一ノ瀬は、お母さんと暮らすからいいとして……レオナ、君なら自力で部屋探せるよな?」

「えっ? う、うん……出来るけど……」

「千里はお父さんと相談して分かったら俺に教えてくれ!」

「は、はい!」

「俺は安い部屋を探して自活するかな、親父にも相談してみるけど……。それと、今日……解散パーティしないか?」



「何かお葬式みたいだな……みんな元気出せよ」

 誰かの誕生日みたいな豪華な食事がテーブルに並べられ、いつもなら異様に盛り上がるのだが流石に今日はそんな雰囲気じゃない。

 千里は目の周りを赤く腫らし憔悴しきっている、レオナもテンションが低く、一ノ瀬は全く喋らない。

「花蓮は? 呼んだんだろ?」

「来ないって」

 レオナがポツリと言った。

「そうか……」

 来ないのはわかってる……花蓮は俺と千里の仲を見て身を引いたから……。

 俺の人間関係は砕け散る、唐突に……。

 元々今の状況が異様だったとも言えるが。

 ずっと家で一人暮らし同然の毎日を送って来た俺に訪れた楽しい毎日。可愛い女の子に囲まれ、俺を好きだと言ってくれて頼られる毎日は充実感に満ち溢れていた。でも、これが永遠に続くだなんて思っていたわけではない、だから驚きはしない……ただ、早すぎただけだ。



 一週間後の土曜日、自宅。

 一ノ瀬がお母さんと一緒に家を訪れていた。

「藍沢君、加奈子がお世話になったわね、どうもありがとう」

 お母さんの横に座る一ノ瀬は嬉しそうでいて、ちょっと悲しそうでもある。今日で一ノ瀬の家での生活は終わり。居間の隅に置かれた段ボール箱は3箱、徐々に増えた彼女の荷物が積み上げられ、一月に満たないが、ここにいた証として鎮座しているようだ。

「本当ならお父様にも挨拶をしたかったのだけれど……」

「親父はいつも放浪してるので捕まりませんでした、気にしないで下さい」

「あと、これ……受け取って下さい」

 一ノ瀬のお母さんは菓子折りと白い封筒を差し出した。

「これは……?」

「加奈子に色々してくれたお礼です」

「いや、僕は別に大したことは……」

 困惑する俺に、お母さんは「お願い、気持ちだから受け取って?」と微笑む。

「はい……ありがとうございます」

「あーあ! もう終わりかぁ。何か寂しいな……」

 一ノ瀬は苦笑いして俺の顔を眺めた。

「そうだな……でも、もうここは一ノ瀬の家みたいなもんだからいつでも遊びに来てくれよ、歓迎するから」

 一ノ瀬は急に顔を曇らせ、涙ぐんだ。

「だって、ここ、無くなっちゃうじゃん……」

「それは……そうだけど……。でも、近くに引っ越すと思うからその時は遊びに来てくれ」

「行くっ! 絶対に行くからっ! 約束だよ?」

 ショートカットをゆらし一ノ瀬はグイグイと俺に迫る。

 彼女のお母さんは嬉しそうに俺たちのやり取りを観察し、一ノ瀬に言った。

「加奈子もだいぶ変わったわね? 恋がそうさせたのかしら?」

「は? な、な、なにバカなこと言ってんの!」

 お母さんは一人高笑いした、その嬉しそうな声は家の外にも聞こえそうだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る