第87話 それぞれの気持ち
「辞めて! 助けてっ!」
千里の泣き叫ぶ声が聞こえ、シルバーのセダンに彼女が引きずり込まれた途端にタイヤを鳴らして車が走り去った。
「千里っ‼」
目の前に白い包帯が巻かれた自分の突き上げた拳が見える。
心拍数が爆上りして鼓膜に血液の脈動音が響き、俺は状況を把握できない。
病室? 腕には点滴のチューブがくっ付いている、どうして……?
「ち、千里は⁉」
上半身をベッドから起こそうとすると胸に激痛が走った。
「
回りを見渡すと壁にもたれて制服姿で寝ている千里の姿が見えて俺は胸を撫で下ろす。
「良かった……」
安心した俺は急に睡魔に襲われ意識が遠のいた。
瞼に光を感じ、俺が目を覚ますと千里はベッドに上半身を預け、俺の頬を触ったまま静かに寝ていた。
本当に良かった、千里が無事で。
俺がもし繁華街に行っていなければと思うとゾッとする、結果は良かったが原因を作ったのは俺だ、だからまだ終わっていない、千里に謝って許してもらうまでは。
今、何時なんだろう? 病室の外は結構騒がしいからもう起きる時間なのかも知れないな。
俺は絆創膏がいくつも貼られた手で千里の髪を触った。滑らかな手触りに引っかかる毛束感……指先に付いた赤黒い塊……。
血? 怪我をしたのか?
千里に傷を負わせたのか?
俺は体が震えだした。
「千里!」
千里を激しく揺すり、眠りから覚まさせる。
「ん……? 作クン?」
「ち、千里つ! 怪我は? 大丈夫だったのか?」
眠たそうな目を開け、傷一つない奇麗な顔の美少女がこちらを見ている。
「どうしたの……作クン?」
千里は制服姿の上半身を起こした、白いシャツには赤黒いシミがいくつも付いている。
「怪我は無いのか?」
俺は体の痛みも忘れ体を起こした。
キョトンとして俺を見つめた千里は微笑み、囁いた。
「大丈夫だよ、作クンが守ってくれたから……」
「そうか……ホント良かった……」
俺の声が震えた、なぜだか分からないが涙が溢れて止まらない。
白い布団に音を立てて涙がポタポタと落ちる。
「作クン⁉」
驚いた千里は俺をギュッと抱きしめた。
「ありがとう、作クン……こんなにボロボロになってまで私を助けてくれて」
「ゴメン、俺……千里に酷いことばかり……」
「いいんだよ、そんなの! 昨日作クンが証明してくれたから!」
千里は俺に唇を重ね、ベッドに押し倒す。
腫れた瞼や殴られた頬にキスをしてくれた千里は、唇を離し、俺を至近距離で見つめる。
「ありがとう……」
千里はまた優しく口づけをしてくれた。
「あーっ! 見てらんない!」
「「花蓮っ‼」さん‼」
俺と千里の声が重なった。
「これ食べな!」
制服姿の花蓮は俺のベッドの上に白いレジ袋を投げ捨て、天井を見つめた。
上を向いたまま大きく息を吐いた花蓮は俺たちに視線を戻して寂しそうな顔を見せる。
「ま、無事で良かっよ……じゃ、お大事に」
瞳を潤ませた花蓮はクルッと背中を向け、俯いたまま動かない。
「やっぱり私、負けヒロインだったみたい……。千里っち、そのバカのこと頼んだわよ!」
花蓮は病室から駆け出した。
「花蓮っ!」
病室のスライドドアが自然に閉まるのを俺と千里は見つめた。
千里はベッドから起き上がり、小さな声で言った。
「追わなくていいんですか?」
俺はホントなら全力で追いかけたい! だけど……。
「もう、いいんだ……」
こんな関係はダメだ、終わりにしないと……。
終わる……長年の付き合いの幼なじみとの関係が……。友達よりも深く、何でも言い合える人……男女でなけば親友になったであろう人との関係が。
俺はベッドにドカッと背中を下ろし、顔を両手で覆い押し黙る。
「作クン……私、学校行きますね? 放課後また来ますから」
千里はそっと病室から出ていった。
入れ替わりに入って来た若い女性看護士が「藍沢作也さん、体調はどうですか?」と俺に聞く。
「体は痛みますけど大丈夫です」
俺は泣き顔を見られないようにさりげなく顔をこすったフリをして涙を手でぬぐう。
「検温しますね?」
看護師は俺に体温計を渡す。
「今の娘、可愛いすね? 彼女さんですか?」
ニコリと笑顔を差し向け、点滴の速度を調整する看護師は続けた。
「カッコいいですよね? ナースステーションでも噂になってますよ、彼女を前に身を挺して戦った男の子がいるって」
「いや……ただ必死だっただけで……」
体温計がピピピと鳴り、俺は彼女に体温計を返した。
「昨日あなたが戦った相手、警察がマークしていた麻薬の売人だったらしくてそのまま逮捕されたみたいですよ」
「えっ? そうだったんですか?」
そんなヤバい奴らと関わってしまったのか……実際あの時、ナイフで刺されそうになったんだっけ?
俺は今更ながらゾッと体が震えた。
「大丈夫!? 顔がボコボコじゃないっ!」
夕方、レオナが病室に入って来るなり驚きの声を上げた。
「藍沢、可愛そう……」
一ノ瀬が俺の顔を見て涙ぐむ。
「心配かけて済まない、でも大丈夫だよ」
俺はベッドからゆっくり体を起こした。
「聞いたよ? 三人相手に戦ったなんて凄いじゃない!」
レオナがポニーテールを揺らして俺に飛びついた。
「たまたまだよ、お陰でこのザマだし……」
「その顔がカッコいいんだよ! 死ぬ気で戦ったんでしょ?」
「よく覚えて無いんだ、でも千里を守れて良かったよ」
「くーっ! カッコいーっ!」
レオナは身体を揺すり、目をギュッと瞑って喜んでいる。
「早く良くなってね、藍沢!」
一ノ瀬もベッドの横で微笑んだ。
「千里は? 来てないの?」
「千里ちゃんは深夜徘徊につき、学校で絶賛取り調べ中!」
マジか……あまりヒートアップするなよ千里、村上にたてついてもロクな事はないから……。
俺の脳裏に半ギレの千里の顔が浮かんだ。
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