第67話 救出

 翌日、体育の授業。

 グラウンドを分け、俺たちは男女で別々の競技をしていた。男子はサッカー、女子は外周トラックを使った持久走を。

 男子はグラウンドの周りを走る女子にいい所を見せようと気合のプレーを見せ、誰かがゴールを決めると走っている女子から歓声が上がる。

 そんな雰囲気の中、大きく後れを取ってトラックを歩いているのと変わらない速度で走る女子が一人。

 一ノ瀬だ。腕を振ることも出来ず、猫背でフラフラと歩いている彼女は膝に両手を着き、立ち止まると陸上トラックの外に小走りで屈み、草むらに嘔吐した。

「うわー! 汚ねぇ! マジで引くわ」

 一ノ瀬の姿に男子から嘲笑が浴びせられ、体育教師が飛ぶように彼女に駆け寄って行く。

 彼女は教師に支えられて校舎の中に連れて行かれた。

「一ノ瀬……」

 俺は彼女の様子を目で追い、心苦しくなる。

 もう限界じゃ無いのか? でもどうすれば……。俺があれこれ言ったところで拒絶されるだけだし……。



 体育の授業が終わると一ノ瀬は教室に戻って来た、彼女はクラスメイトに冷ややかな目で見られ、俯きながら席に着く。

 俺はさりげなく一ノ瀬の机に丸めた紙を落とし、通り過ぎる。

 紙には俺の携帯の番号と『困ったら連絡な』と一言。

 一ノ瀬は紙を広げて俺をチラッと見たので、俺は彼女にウインクして応えた。

 彼女は紙切れを制服のポケットにそっと仕舞い、俺は少しホッとする。



 放課後、自転車置き場で一ノ瀬を見かけた俺は気になりつつも声を掛けるのを躊躇った。あんまりしつこくするのもな……。レオナが乗る俺の自転車の傍を歩き、校門を出るまで俺は二人乗りを自粛する。

 一ノ瀬は校門を出ると家とは逆側に自転車を走らせた。

 病院か? 俺は遠のく彼女の背中を目で追い、あまり無理するなよと心の中で呟いた。

 校舎の一角を曲がった所でレオナが自転車を降り、俺にハンドルを握らせる。もう誰も俺たちを意外な顔で観たりはしない、俺とレオナは付き合っている……そんな噂は俺の耳にも入って来ている。

 大勢の生徒の前で二人乗りをしてレオナは俺の腰に腕を回す。始めはドキッとしたこの感触も毎日となれば不感症になって来る。そんな事をクラスの男子に言ったら俺はボコボコにされるだろう。



 自宅に着いた俺とレオナは居間でまったりとくつろいでいた。レオナは俺にお茶を淹れさせ、飲み終わるとソファーを占領してクッションを枕代わりに制服姿で居眠りを始め、俺は静かにしてやろうと自室に入り、制服を着替えて机に向かう。

 二学期は赤点は取りたくない、俺は今日の授業の復習を始めると窓の外から大きな雨音が聞こえて来た。

「雨か?」

 俺は椅子から立ち上がって窓の外を眺めていると、アスファルトが一気に黒くなっていくほどの豪雨に変わる。

 路上を歩いていた人はカバンを頭に乗せて走り出し、人っ子一人居なくなった所に一台の自転車が停まる。

 ウチの高校の制服の女子が濡れながら俺の家を眺めていて、暫く動かない。

 何やってんだ? あいつ……ずぶ濡れになるぞ。

 自転車を漕ぎだした女生徒が視界から消えそうな時、俺は慌てて彼女の後を追おうと家を飛び出した。

 傘もささずに俺は猛然とダッシュして叫んだ。

「一ノ瀬っ! 待てって‼」

 雨音が激しくなり、俺の声がかき消される。クソっ! 俺は全速力で彼女の自転車に徐々に近づき、自転車の後部を掴んで減速させた。

「うわっ! 誰⁉ 藍沢っ‼」

 一ノ瀬は驚いて自転車を停めて振り返る。

「助けが欲しいんじゃ無いのか? 俺を頼ってくれないか? 一ノ瀬!」

 一ノ瀬は自転車から降り、自転車が倒れた。

 彼女は俺に抱き着いて「助けて、藍沢ぁ!」と泣き出した。

 大雨で彼女がどれだけの涙を流しているのかは分からない、だけど俺の中に彼女の感情が雪崩れ込み、俺も悲しみを共有して彼女を強く抱きしめた。



「どうしたの作也⁉」

 レオナが玄関で泣く声に驚いて居間を飛び出して来た。

「一ノ瀬は限界だ、だから暫く家に住まわせるよ」

「分かった。大丈夫? 一ノ瀬ちゃん! 今、着替え持ってきてあげる」

 レオナは二階に駆け上がり、俺はタオルを取りに洗面所に向かう。

 玄関に戻ると一ノ瀬はぐったりとして壁に寄りかかって荒い息を吐いていた。

 凄い熱だ。タオルで拭いた顔が赤い、俺は急いで一ノ瀬をお姫様抱っこで抱えると、居間に運んでソファーにそっと寝かせた。

「ひどい雨ですね……って、どうしたんですか⁉」

 買い出し帰りの千里がレジ袋を居間の床に放り投げ、一ノ瀬に駆け寄り顔を覗き込む。

 俺が二階に親父の掛け布団を取りに行っている間にレオナと千里が一ノ瀬を着替えさせる。

 布団を抱えた俺が居間に戻るとレオナの黄色いパジャマを着させられた一ノ瀬が虚ろな目でソファーから身を起こそうとする。

「いいから寝てろ」

 俺は一ノ瀬に布団を掛けた。

「ごめん……藍……沢……」

 一ノ瀬は安心したのか、そのまま死んだように眠りについた。

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