第66話 報告

「ただいま! 千里ちゃん、洗剤買って来たよ!」

 アイスを食べたからかテンションの上がっているレオナは跳ねるように洗面所に洗剤を置きに行く。

「ありがとうございます。それじゃあ、もうお昼だからお素麺茹でますね」

「おっ、いいねぇ!」

 レオナはキッチンで作業し始めた千里に近づき、「手伝おうか?」と声を掛けた。

「大丈夫ですよ、茹でるだけですから」

 千里は屈んで冷蔵庫からネギを出した。

「そうだ、千里ちゃん。作也がホームセンターでナンパしてたよ」

 チョンチョンと千里をつつき俺に指を差すレオナ。

 ちょっ! おま……何のためにアイスダブルで食わせてやったと思ってんだよ!

「あり得ないよね? あんなところでさ」

「あり得ないです……そんなの異常行動ですよ。場所も選ばないなんて……病気です!」

 千里はネギを切ろうと出した包丁を握って振り返った。

「それで去勢しちゃえば?」

 レオナは包丁を指差した。は? 何言ってんのお前……?

「しちゃいましょうか……?」

 目を虚ろにしながら俺に接近する千里、マジで去勢されかねない。

「い、いや……ちょっと聞け! 話せば分かるからっ!」

 俺は後ずさって間合いを取る。

「一ノ瀬がいきなり店内で泣き出して俺が話を聞いてたんだって!」

「あれって一ノ瀬ちゃんだったんだ? でも抱きしめてたよね?」

「へぇ? 抱きしめてたんですね……?」

「それは成り行きっていうか……」

 俺の体が意図せずオーバーアクションになる。

「成り行きで抱きしめるかなぁ?」

「抱きしめないと思います!」

「ちょっとレオナは黙っててくれ! ややこしくなるからっ!」

 俺はホームセンターでの一ノ瀬とのやり取りを、必死に冷や汗をかきながら事細かく千里に説明した。



「そうだったんですね、一ノ瀬さんのお母さんが……」

 千里は顎に手を添え視線を落とす。

「だから一ノ瀬にウチでしばらく暮らさないかって聞いたんだけど、遠慮するって言われて……」

「こちらは来てもらっても全然構いませんけど……やっぱり一ノ瀬さんの気持ちが一番ですし……」

「そう……だよな……」

 天井を眺め、首を傾げたレオナがポニーテールを揺らして言った。

「ホントに困ったら言って来るんじゃない? それまではそっとしておきなよ。よその家庭の事情に顔突っ込み過ぎるのもよく無いし……」

「ああ、しばらく様子を見てみるよ」



 夏休みが終わった二日後、二時間目。

 バインダーで叩かれる音が教室に響いた。

「一ノ瀬! 何寝てる!」

「はひっ! す、すいません……」

 科学教師の村上に注意された彼女は頭をヘコヘコと下げて平謝りだ。

 その姿を見た誰かが笑い、そいつもバインダーで叩かれる。

「一ノ瀬! 次寝たら欠席扱いだからな!」

「はい……」

 体を丸めて一ノ瀬は答えた。

「聞こえないぞ!」

「はいっ!」

 村上に威圧され、一ノ瀬は背筋を伸ばして大きな声を出したが声が裏返る。

 まだ二時間目、睡魔と戦う彼女は眼鏡を外して顔を揉み始めた。昨日は一ノ瀬のお母さんの手術があった日だ、きっと手術に付き添って眠れない夜を過ごしたに違いない。

 俺は彼女の事が気になり、授業中ずっと観察を続けていると、「藍沢! 何、ぼさっとしてる!」と村上に注意を受けた。

「立て! 藍沢。今の所の答えは何だ?」

「えっ? その……すいません、聞いてませんでした……」

「何やってんだお前は! もういい! 座れ!」

 最近、村上は俺への当たりが強い。停学の件があってから目の敵にされているようだ。面倒くさい大人だ、高二男子に逆恨みかよ……大人げない。

「見田園、答えろ!」

 今度は千里、村上を脅迫したのが気に入らないのだろう。

「炎色反応によって確認できます」

 間髪入れずに千里は答えた、そういう攻撃は彼女には通用しないのが分からないのか?

「正解だ、次!」

 科学の授業は気が抜けない、教師を敵に回すとロクな事が無いらしい。

 授業終了のベルが鳴り、俺はホッと胸を撫で下ろす。千里は俺を眉をひそめて一瞥し、『しっかりして』とテレパシーを送って来た。

 俺は痒くも無い頬を掻き、恰好悪い所を見られたことを反省する。

「何なの村上って、ほんとムカつく!」

 レオナが席から立ち上がって俺に悪態をつく。

「次はレオナが犠牲者かもな」

「嫌だ、ヤメてよ……」

 俺はレオナを茶化すと立ち上がって一ノ瀬の席に向かった。

 カバンに教科書を入れ替えている一ノ瀬の視界に俺は屈み、「疲れてるんじゃないのか? 大丈夫?」と問いかける。

 席に座っていた一彼女はハッとして俺を見つめかと思うと直ぐに視線を反らし、「大丈夫だよ……」と小さな声で答えた。

「こないだの話、覚えてる? いつでも来てくれていいからな?」

「ホントに大丈夫だから!」

 一ノ瀬は語気を強めた。

「そうか……?」

 俺はそれ以上話すのを辞め、立ち上がると一ノ瀬が顔を赤らめて「ありがと……藍沢」と呟いた。

 俺は一ノ瀬に話し掛けた事でクラスメイトから奇異な目で見られながら自分の席に戻った。

 一ノ瀬に味方はいない、彼女はクラスの風景の一つで存在感がまるでない。

 助けてやりたい……だけど本人が望まないのなら仕方がない。



 昼休み、一ノ瀬は四角い紙箱からアルミの袋を取り出して、破ると中身にかじりついた。

 アイツあんな固形食品で昼済ますつもりなのか? 俺は彼女の元に向かい、前の席に座って弁当箱を開いた。

「そんなんじゃ足りないだろ? 俺のおかず食わないか?」

「えっ? いいよそんなの……ホントに大丈夫だから私になんか気を遣わないでよ」

 固形食品を箱にしまった一ノ瀬は、椅子を鳴らして勢いよく立ち上がると髪の毛をクシャクシャと指で触り、小走りで廊下に消えた。

「何やってるの作?」

 花蓮が俺の側にやってきて不思議そうに見つめた。

「一ノ瀬のお母さんが入院して疲れてるみたいだから気になってな……」

「入院? 大丈夫なの? 加奈子一人ぼっちじゃない」

「だからこうして話しに来たんだけど大丈夫の一点張りで……」

「だから珍しく怒られてたのか……。でも、プライベートな事だからあんまり詮索しても迷惑かもね」

「やっぱりそう思うか……」

 俺はそれ以上一ノ瀬に話しかけるのを諦めた。

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