第30話 約束

「作クン……私、先生に異議唱えたときすっごく怖かったんだからっ! 村上先生に睨まれるし、教頭先生にはしつこく聞かれて……それでも作クンの停学が許せなくて……」

 一気に気持ちを吐き出した千里は深く呼吸した、細い指で強く掴んだ俺のシャツに皺が寄る。

「千里、迷惑掛けたな……」

 俺の胸に顔を埋め、艶やかな黒髪から漂う花の香り。彼女は目を合わせず微笑して囁く。

「大丈夫です、それで……」

 千里は俺を見上げ、チラチラと視線を合わせると、何か言いたげに小さく息を吸い込み若干間を開けて決意したかのように打ち明ける。

「この間の約束なんですけど……」

 約束っ? なんだ……? 全然思い出せないんだけど……ヤバい、俺は何を言ったんだ?

 全身から冷汗が出る、脳内に『約束』と検索を掛けるが出てこない。次のセリフが重要だ、このセリフ如何によっては俺は地獄に落ちるだろう。

 この場合は……。

「ああ……あれね? 千里はどうしたいんだ?」

 質問で返す、これに尽きる。

「したいです!」

 千里は声を張り少し背伸びをして、柔らかそうな頬をピンク色に染めた。

「は?」

 したいっ⁉ えっ? な、何を……。

「作クンは行きたくないんですか?」

 したい? イキたい……? 更に背伸びをした彼女の可愛らしい顔が俺の顔に近づく。

 な、な、何言ってるんだよ……それって……俺はどんな約束をしたんだ⁉

 千里は踵を床に下すと俺から顔を逸らし、頬や耳を赤く染める。

「今度の日曜日に一緒――」

 トントンと階段を下りる音が聞こえる、レオナが戻ってきたみたいだ。

 千里は焦って俺から離れ、腕を伸ばして柔軟体操をし始めた。

 タンクトップに首周りがガバガバなシャツを着てお尻が窮屈そうな短パンからドバっと長い足を出したレオナは居間に戻ると、怪訝な顔で変な動きの千里を見入る。

「何やってるの? 千里ちゃん」

「ちょっと肩が凝って」

「おっぱい大きいから?」

「な、なんでそうなるんですかっ!」

 千里に顔を近づけ、じっくり胸を観察してレオナは言った。

「確かに重そうだけど……」

 レオナはいきなり千里の胸を両手で下から持ち上げ重みを確かめた。

「ちょ! 辞めて下さいっ!」

 一歩後に下がった千里は自分の胸を押さえ、大きな声を出してレオナを威嚇する。

「凄、何キロかな? 作也もやってみたら?」

 振り返ったレオナは俺に真顔で触るように促す。

「バ、バカだろレオナ!」

「いーなぁ、私も胸が重くて肩が凝るって言ってみたいわ」

「そんな事、言ってないじゃないですかっ!」

 いや、レオナ……悲観するな、君の胸の大きさは充分立派だから、この目で確かめた俺が思ってるんだから間違いない。俺はレオナの肩を抱いて胸の事を慰めたかったがそんな事を言ったらまた顔面から血が流れる、でも千里はそれ以上の大きさってことか……。

「ちょっと作也! 今、私と千里ちゃんの胸見比べてたでしょ!」

 グリーンの瞳で俺を睨み付け、レオナは怒っていても可愛い顔を近づけた。

「い、いや、違う! そんな事して無いって!」

 見比べてはいない、想像はしたけどな……。

「作也ってやっぱりやらしいくない? 事故装って二回も覗くし!」

 ギロリと俺を睨んだレオナは続けた。

「視姦した罰として緑茶淹れて!」

 レオナはそう言ってソファーに腕組みをしてドカッと座った。

 何でそうなるんだよ! 冤罪だって! 俺はレオナに視線を向けると彼女はギロリと俺を刺すように威嚇する。

 分かったよ……俺はうなだれながらキッチンに向かった。



 俺は緑茶を三人分作り、ついでにチョコチップクッキーもお盆に乗せてローテーブルに運んだ。

 ソファーには千里も制服姿で腰を降ろしてレオナと談笑していた。

「お待たせ」

 湯呑みを配り、俺は横のソファーに座り、クッキーを手に取り一つ喰えた。

 レオナは言った。

「おっ! クッキーとは気が利くねぇ。そうだ作也、日曜日ひま?」

「あ? 別に用事は無いけど……」

「買い物手伝ってくんない?」

「いいよ、俺も買いたい物あるし」

「やった! 荷物持ち確保!」

 レオナは嬉しそうに大きな口を開けてクッキーをかじる。

「千里も行くか?」

 千里は湯呑みをコンッ! と強い力でローテーブルに置いて、「行きません!」と俺を睨み付け居間を出て行った。

 シーンとした居間でレオナは俺に聞いた。

「私、何かヤバいこと言ったかな……?」

「さ、さあ……」

 多分俺が原因だろう。どうする? このまま放置か……いや、同じ屋根の下で協力して暮らす間柄で誤解や揉め事は息苦しい。

 俺は階段を上がり廊下の奥の千里の部屋の前に立ち、一瞬ためらったがドアをノックした。

「千里? どうしたの?」

 反応がない、静かな廊下で俺は耳を澄ます。

 もう一度ノックしてみる、千里の部屋の中でカサカサと音が聴こえる、居ないわけではないらしい。

「千里、怒ってるの?」

 反応なし、これは怒ってるって事だ。

「俺、何か気に触ること言ったかな?」

 ガン無視?

「何か俺……ドアと話してるみたいだな、居るんだろ? 千里、話してくれないと分からないんだけど……」

「別に何でもありません!」

 ドアの向こうで籠った声が聞こえる。

「わからないからこうして話に来てるんじゃないか!」

「ほっといて下さい」

「千里? 顔を見せて」

「しつこいです!」

 なっ、訳わかんねー。俺はドアにもたれかかって顎を触り、何が彼女を怒らせたのか考えを巡らす。

 その刹那、いきなりドアが引かれ俺はバランスを崩してひっくり返った。

 咄嗟に体をひねりフローリングの床が迫る中で体制を立て直す。

 ドシーンと大きな音が家中に響き俺は床に転んだ。

「痛……くない……」

 俺の下に千里が寝ていたから。

「痛たたた……」

 千里は顔をしかめて小さくうめき声を上げた。

「大丈夫かっ! 千里!」

 俺は千里に覆いかぶさったような体制で倒れていて彼女を押し潰していた。

「大丈夫じゃないですよっ! どこ触ってるんですか!」

 俺は千里の両胸をYシャツの上から鷲掴みにして、胸の間に顔を埋める恰好で倒れていた。

「うわっ! ゴメン!」

 俺は急いで胸を掴んでいた手を離そうと体を起こした時に、更に手に力が入ってしまった。

「作クンのバカっ! 大っ嫌い! 出てってよ!」

 千里は顔を真っ赤にさせ、近くにあったカバンを俺に投げ付け大声で叫んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る