第19話 応酬

 朝、居間に下りると千里がキッチンに入り、こちらに背を向けて食事を用意してくれていた。

「おはよう、千里」

 俺は普通に挨拶をして食卓の椅子を引いた、昨日の事など無かったかのように。

「作クン、お早うございます」

 千里も普通に挨拶をして此方を振り返った、だけど俺と目を合わせない、明らかによそよそしい。

 はーっ! 何かこのままだと疲れるな……俺はこの状況を打開するべく、ふざけて彼女に言った。

「千里、お早うのキスは?」

「は、はぁ? な、何言ってるんですかっ! 調子に乗らないで下さい!」

 千里は声を上ずらせ、顔を真っ赤にして怒った。

 その直後、居間にインターフォンの音が鳴り響き俺の体が凍り付く。

 げっ! これってまさか……インターフォンの白黒画面を見ると花蓮の姿。

「作クン、上がって貰ったらいいじゃ無いですか?」

 棘のある声で千里がトースターからロールパンを取り出して言った。

「いや、でも……」

「もう、一緒に暮らしてるのもバレてますししつこいから」

 何か千里の雰囲気が怖い、背中から醸し出される負のオーラ、何か企んでなきゃいいけど……。

 俺は観念して玄関に向かい、カギを開けてドアを開いた。

「お早う、作!」

 花蓮は明るく挨拶をしたが、俺と一瞬目を合わせると直ぐに逸らして耳を赤くした、それを見て俺も顔が熱くなる。

「上がっていい?」

「花蓮は早起きだな、今日も迎えに来てくれたのか?」

「そうだよ、作が習慣づくまで来るからね」

 花蓮は三和土に足を踏み入れニコリと笑った。 

 俺は緊張しながら制服姿の花蓮を居間に通した、千里と花蓮のギスギス感が再発しそうで恐怖しか無い。

「千里っち! お早う!」

 花蓮が元気に言った。

 千里っち? 見田園さんじゃ無くて千里っちって……俺は花蓮の豹変ぶりに眩暈がした。

「おはようございます、

 千里は彼女とは対照的に冷静に振る舞い、花蓮を一瞥して言った。

「千里っち、今日は私が作のお弁当作ったから自分の分だけ作れば良いからね?」

「そうですか、助かります」

 眉毛を一瞬ヒクつかせ、口が明らかに尖っている千里は食卓の椅子に座り、素っ気なく答えて誰とも目を合わせずロールパンにバターを塗りつける。

 俺も食卓の椅子に座り、ロールパンをつまみ、グラスに牛乳を注ぐ。

 ヤバい、物凄く居心地が悪い。できる事なら今すぐ地平線まで逃げ出したい気分だ。

 「作、お早うのキスしてあげようか?」

 花蓮は俺達の座る食卓に近づき、ワザとらしく言った。

 うっ! ロールパンをかじっていた俺は喉を詰まらせて、自分の胸を無言で連打した。そのセリフ、明らかに千里に聞かせるために言っただろ!

「何そんなに慌ててんのよ。作? 照れなくても良いんだからね」

 ふと千里に目をやると、彼女から黒いオーラが漂っているのが俺にだけ見えた……。花蓮、千里を挑発するの辞めてくれるか?

「言っときますけど花蓮さん、昨日あれから私、作クンとキスしましたからおあいこ……いや、最後のキスは私だろうから先行してますけど」

 得意げな表情で花蓮を煽る千里。

「はぁ? 作っ! 本当なの⁉」

 目を見開いた花蓮に肩を掴まれ、激しく揺さぶられた俺は咥えていたパンをむせてポンッと千里に飛ばしてしまった。

「もう、何やってるんですか? 作クン!」

 千里は食卓に転がった歯形が付いたロールパンを拾い上げ、歯形が付いたところを花蓮を見つめながら食べた。

 二人とも、煽り合戦は辞めにして下さい……食卓からの途中退席は可能でしょうか?

 間接キスを見せつけられた花蓮は頬をヒクヒクさせ眉間に皺を寄せて俺に聞いた。

「どっちのキスが上手だった?」

 お前! それ聞く⁉ 答えられる訳無いだろっ! 此処の解答欄を埋めるとするなら……。

「は? 知らないって。お、覚えて無いし……」

 これしか無い。

「「覚えてない⁉」ですって?」

 花蓮と千里の張り上げた声が重なった。

 俺は弱々しい笑いでその場を誤魔化した、本当は千里のキスの方が可愛くてドキンとしたんだけどな……だけど、そんな事は絶対に口には出せない、この感想は自分の墓場まで持っていくしかないだろう。

 はぁーっ……と花蓮は大げさにため息を付き、ギロリと俺を睨む。千里もジト目で何なのよこの男と言わんばかりの冷たい眼つきだ。

「作クン、早く食べて支度してくださいね。それと花蓮さん、今日は遅刻しないですから先に行っても大丈夫ですよ」

「はぁ? アンタ喧嘩売ってんの?」

 花蓮はツインテールを振り乱し、食卓の天板を手の平でバンと叩いて千里を威圧した。

「いいえ、事実を言ったまでですよ、この状況で作クンが遅刻するとは思えませんし……」

 目を閉じながらパンをかじり、千里は威圧する花蓮を軽く受け流す。外野から見れば面白いショウかも知れないが当事者の俺にはキツイ。

「まあまあ、二人とも冷静に……」

 二人の視線が俺に突き刺さる、視線で人を殺せるなら多分俺は今死んでいただろう。

 俺はげっそりとして、朝食を殆ど摂らずに椅子から立ち上がった、暑くも無いのに背中にじっとりと汗をかきながら。

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