第18話 調達

 その日、千里は俺を避けるように自分の部屋に籠り姿を現さなかった。

 でも、それでいいか……俺も彼女に会ったらキスの事を意識し過ぎて赤面するのは目に見えている、今日はお互い距離を取りたいって事だ。

 そう言えば今日の晩御飯の当番は俺だった、余りの衝撃的な展開に自分を落ち着かせようと布団に潜ってすっかり忘れていた。もう七時過ぎ、今から買い出しして調理となると時間が掛かる、何か簡単な物で済ませるか……。俺は間に合わせの食材があるか確かめようと自室のドアを開けた、その時千里の部屋のドアも開きドアの隙間から顔を出した千里と目が合った。

 彼女はビクッと頭を動かし、一気に顔を赤らめて部屋のドアをバンッと閉めた。

 俺の顔も熱くなる、耳まで熱い感覚がして鼓膜に速い心音が響く。

 俺は二階の廊下で叫んだ。

「千里! 今から晩飯用意するからちょっと待っててくれ」

 部屋で財布を尻のポケットに突っ込み、俺は居間に入って冷蔵庫を覗いた。

 微妙だ、オカズが作れない訳では無いが材料不足で精進料理よりも寂しい物しか作れなさそうだ。やっぱり少し買い出しに行くか……。俺は急いで炊飯器のスイッチを押して家を飛び出し、日がどっぷりと沈んだ暗がりの中、自転車を飛ばして近所のスーパーに向かった。



 スーパーに着くと、時間も遅かった事もあり客は数えるほどしか居なかった。

 今から調理は面倒だ、お惣菜でも買うか……。

 俺はレジ前を早足で通り過ぎお惣菜コーナーに向かった、急がないと売り切れるかも知れない、もう半額シールが貼られていてもおかしくない時間だし。

 売り場に着くと、棚はスカスカでお惣菜は残り僅かだった、俺は急いで棚にあるコロッケに手を伸ばしたが、横から手が出て来て商品を奪われた。

 えっ? イラッとした俺はその人を眺めて勘弁してくれよと目で訴えた。見ない顔だな……若い金髪のポニーテールが可愛らしい少女、俺と同い年くらいか? 瞳がグリーンで綺麗だ、でも日本人ぽくもある……ハーフなのか?

 俺は気を取り直して半額シールが貼られた焼き鳥詰め合わせのトレーに手を伸ばした。

 するとまた彼女がそれを手に取り、勝ち誇るように俺にウインクをした。

 何なんだよコイツ! 腹立つな。

 しょうが無い、ちょっとくどいけど唐揚げセットにするか……。

 余り気が進まない揚げ物満載のパックを掴んだ瞬間、さっきの彼女が同じパックを掴んだ。

「ちょ、これくらい寄越せよ!」

 俺は思わず声を出して彼女に言ってしまった。

「アンタが離しなさいよ! 私の方が速かったでしょ?」

 彼女はグイッっとパックを引っ張って高い声を出した、日本語の発音はおかしくない、やっぱり外国人では無いらしい。

「譲りなさいよ! レディーファーストって言葉知らないの?」

 頬を膨らませ、彼女は呆れたように俺に言った。

「知らないよ! 大体レディーファーストは割引お惣菜コーナーには適用外だっての! 俺も忙しんだからそっちこそ手を放せよ!」

「何なの? このバカ男!」

「お前、もう二つ取ったろ? 一つくらい俺に寄越せって!」

「ううっ!」

 口を押さえ目を潤ませた彼女、その姿に俺は怯みパックを掴んでいた力が緩んだ。

「な、何もお惣菜くらいで泣く事無いだろ?」

 俺からパックを取り上げ、彼女は肘に抱えていた籠にポンと揚げ物を放り投げてニヤついて言った。

「サンキュ! 単純君!」

 後ろ手に手を振り、ポニーテールを左右にリズミカルに揺らして彼女は商品棚の陰に消えた。

 やられた……ズルいぞ、泣くフリなんて。お惣菜は品切れ、しょうがない、中華の素でも買うか……。

 しかし何なんだよアイツ! 今度会ったらお惣菜は根こそぎ奪ってやるからな!



 家に帰ると米は炊きあがっていた。俺は直ぐに豆腐を切り、麻婆豆腐と中華風スープを作った。まあ、作ったというよりは食材を鍋に入れかき混ぜただけだが。

 俺は居間を出て階段の下から千里に聞こえるように叫んだ。

「ご飯出来たぞ」

 いつもならその後にこう付け加えるのだが、『降りて来いよ』と、でも今日は降りてこないでくれと思い、その言葉を付け加えなかった。

 千里と何を話せばいいか分からないから……。

 俺は一人で飯を食い、食器を洗って籠に入れた、もう寝る支度もするか……千里に遭遇したら気まずいし。

 そのまま洗面所で歯を磨いて俺は部屋に籠って千里をやり過ごす事にした。

 部屋でベッドに寝転んでいると廊下からドアの開く音が小さく聞こえ、千里が部屋から出て来たみたいだ。良かった、食事は無駄にならなくて済みそうだ。俺は今日の出来事のお陰で精神的に疲れていたので、そのまま早寝して気が付けば朝を迎えていた。

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