第16話 女心

 花蓮は泣いた顔で俺をベンチシートの端までズリズリと追い詰め、いきなりキスをした。

 余りの不意打ちに俺の体は石像のように固まり、身動きが出来ずに彼女の唇を受け止める。

 唇をゆっくりと離した花蓮は掠れた声で俺の目を見て言った。

「ごめん……私、何やってんだろ……」

「花蓮……俺……」

 視線を落とし、俺は俯いたまま言葉を探す。

 俺の唇を人差し指で押さえて彼女は囁いた。

「言わなくていいよ、知ってるから……」

 花蓮はシートから立ち上がり、「あーっ! 何でこうなっちゃったんだろう! 訳わかんないよ!」と目をギュッと瞑り、胸の前で両手を握りしめて叫んだ。

 前髪をクシャクシャと手でかき混ぜ、花蓮は逃げるように俺に言った。

「私、帰るからっ!」

 個室のドアを開け、花蓮は早足で廊下の奥に消えた。

「え? ちょっと! 花蓮!」

 俺は部屋を出て焦って花蓮の後を追って店の外に出ようとしたが店員に呼び止められる。

「お客様、お帰りですか?」

 ああ、クソッ! こんな時に! 俺は後ろ髪を引かれるように部屋に戻りマイクとリモコン端末一式を籠に放り込む。

 テーブルの上に花蓮のスマホが置いてあるのを見つけた俺はそれを拾い上げ、ポケットに仕舞った。

 これを返す時に話そう、時間が経てば花蓮も落ち着く筈だ。

 俺は個室を出て、歌声で騒々しい廊下をすり抜けカウンターに機材の籠を返し、会計を済ませて店の外に出て彼女のあとを追う。

 花蓮の姿はもう見えない、だけど多分駅に向かった筈だ。

 花蓮とは帰りの電車は同じ方向。でも、ホームで彼女の姿を探したが見つけられなかった。ホーム上は客もまばらだ、一本先の電車に乗ったのかも知れない。取り敢えず自宅に戻ってその後で花蓮の家に行ってみるか……。



 電車に揺られる事15分、俺は地元の駅に降り立ち駐輪場で自転車の鍵を開けた。隣に停めていた花蓮の自転車が無くなっている、やっぱり先に帰ったんだろう。今頃スマホを無くして慌ててる頃だ、早く返してやらないとな。

 花蓮の家は俺の自宅より駅方向からは少し奥、先に家に立ち寄って千里の様子も見てみるか……。

 千里のジト目と花蓮のキスを交互に思い出し、俺は困惑した、二人とは友達以上恋人未満……だけど今日、花蓮に告白されてしまった。

 でも、あれって告白だったのかな? 告白っていうか口走ったという方がしっくりくるが……。

 何で俺なんだ? こんな平凡な男なんか好きになるなよ、花蓮なら言い寄る奴はいっぱい居るだろうに。

 もっと優秀でカッコいい男と付き合った方が将来安泰だっての! 

 俺は自分に自信が持てない、何もかもが中途半端でリーダーシップも無い、きっと会社に勤めても大して成績も上がらず出世も出来る気がしない。高2で悲観する事でもないかも知れないが、自分には明るい未来は待っていない気がしてならない。

 親父みたいに世界を旅する冒険家なんて俺には一生出来ないだろうし……というか、かけ離れ過ぎて憧れを抱く事すら出来なかったんだ。

 今日は朝から色々あり過ぎて脳が疲れているみたいだ、こんな時はネガティブになる、明日が学校なら尚更だ。

 俺は気分が重いまま自転車のペダルを漕ぎ始めた、一つずつ懸案を潰して行かないと不眠症になりそうだ、だから解決は早いに越したことはない。

 自宅に戻り、俺は家の陰を覗いた。千里の自転車はあるから彼女は出掛けてはいないようだ。

 玄関ドアのキーシリンダーに鍵を差し込み、ドアを開けて中に入ると千里がエコバッグを小さくたたみながら居間のドアを開けて廊下に出て来た。

 ハッとして俺に気付いた千里は、目を泳がせて小さな声で「おかえりなさい」と言った。

「千里、ただいま……」

 何とも居心地の悪い再会、千里からしたら浮気男が帰ってきた感じだろう。

「楽しかったですか? とのデートは」

 ツンとした顔で玄関を通り過ぎ、階段を登ろうとする千里は俺を一瞥して背を向けた。

「ゴメン千里……」

 彼女は足を止め、振り返らずに聞いた。

「何がですか?」

「いや……朝から色々と迷惑掛けたな」

「別に謝らなくてもいいですよ、私には関係ないですから」

 千里は逃げるように階段に足を掛け、俺は咄嗟に彼女の手を掴んだ。

「待ってくれ!」

 千里は振り返って俺を睨み、大きな声をだした。

「待ってたら辛いだけじゃ無いですかっ! この優柔不断男!」

 目を潤ませた千里は怒って顔を赤くした。

 その時、家の呼び鈴が鳴った。俺は玄関ドア横のすりガラスに映る女性のシルエットに夏蓮だと思った瞬間、ドアが開いた。

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