第5話 サン・クレメンテ攻防戦(5)

 今にして思えば、前兆はあった。


 中央議会の有力議員である、ヨハン・ゴッドフリート・ヘルダーを金星本星に送り届ける時点で、戦力の二割しか議員の護衛艦として「残さない」判断をした司令官トルナーレに、その二割に司令官こそが「残れ」と言った参謀長シーディア、その二割のみを第七艦隊の増援に向かわせれば十分だと言った副司令官コルムとの間で、幕僚会議はしばし紛糾した。


 その三人それぞれの副官と、各艦長の長としての責を担う貴水タカミケイ大佐が会議には出席していたが、意見を求められない限り、三人以外が口を開く事はない。


 貴水とて、月での待機中に司令官旗艦艦長の急病がなければ、本来は副長であり、中佐である筈で、本星議会から正式な配属書を受け取るまでは、艦長代行であり、臨時の大佐職であるため、その時点で口を開く事はないのである。


 最終的には、トルナーレが意見を押し通す形となり、参謀長であるアルフレッド・シーディア中将が二割の護衛艦をまとめる側に回ったが、副司令官であるペルージャ・コルム中将の顔に不満の色が色濃く出ていたのは、貴水も記憶している。


「――――!」


 艦隊の長に相応しいのは貴方ではない!と言う叫び声と銃声、目の前にある艦の制御卓コンソールに飛び散った血飛沫しぶき


 わずか数秒の間に起きた出来事を把握しそびれた貴水は、逆にひどくゆっくりと顔を上げて、背後の艦橋ブリッジを振り返った。


 …眉間を撃ち抜かれた死体、と言うのは正直あまり見目の良いものではない。


 若い士官たちが顔面蒼白になったり、中には吐き気を堪えている者もいる。茫然と、銃を構えたトルナーレの副官、アーレス・シェルダン大佐を見ている者もいた。


 コルムがトルナーレに銃を向け、発砲。

 シェルダンがそれを返り討ちにした――ように見える。


「艦長代行より医局へ。ストレッチャーを二台、急ぎ艦橋ブリッジへ!司令官と副司令官が負傷されている。並行して、応急処置の用意も頼む!」


 正確には、副司令官のそれは負傷ではないが、このままにはしておけない事も確かなので、あえてそういう言い方を、貴水はした。


 ――そうして指揮権が一時的にシェルダンに渡り、負傷したトルナーレと、コルムの遺体が艦橋から運び出されていった 。


 代行とは言え、自分が突如、第一艦隊の艦長を束ねる立場に立たされた時は、ただの戸惑いだったが、そこから今に至るまでの間、貴水の中で、自分でも具体化出来ない「違和感」が大きくなりつつあった。


「貴水大佐、ちょっとよろしいですか。……大佐?」


 シーツを頭まで被せられて、艦橋から運び出されるコルムを見ていた貴水の表情が、余程奇異に見えたのだろう。


 光輝・グレン・カミジョウ准将の麾下に一時的に入り、敵艦隊を、殲滅ではなく、退かせる事に主軸を置いた戦い方をすると、互いに納得して通信を切ったシェルダンが、貴水に話しかけながらも、僅かに顔を顰めていた。


「……申し訳ない」

「え?」


 光輝ではないが、コルムを死なせてしまった事を、やはり責めていると思ったのだろう。

 バツの悪そうな表情で、シェルダンも貴水が見ていた視線の先を見やった。


「どうも私は、急所を外すのが苦手で……」

「あ、あぁ…いえ、むしろ私にはそこまでの銃の腕はありませんし、トルナーレ大将閣下を庇うには、他になかったと思っていますが……」


 急所を苦手、と言う文脈がおかしいと、一瞬貴水は思ったが、普段そこまでシェルダンと親しくしていないので、この時は深く追求しなかった。


「……何か、気になる事でも?」

「……そうですね」


 居丈高でないシェルダンの尋ね方は、思わず貴水を頷かせてしまう。


 そんな貴水をシェルダンは艦橋ブリッジの中央へ誘導すると、指揮シートの肘置き部分に手を当てて、防音シールドを2人の周囲に出現させた。


「私もちょうど、貴水大佐に話があったので……せっかくですから、おかけになられますか?」


 何気なく言ってはいるが、目の前のそれは司令官の指揮シートである。


 いやいや、と貴水は首を大きく横に振り、そうですか?と、シェルダンも笑うだけに留めて、それ以上の無理強いはしなかった。


「では、防音シールドだけでも実体験頂くとして…貴水大佐、大佐の『気になっている事』を、今、まず聞かせて頂けますか。それによって、私の話も変わるかも知れないので」


「は…いやしかし、私の主観と言うか…出来れば確認させて頂いてから、ご報告申し上げたいと言うか……」


「確認…例えば、どのようにでしょう」


 現状、シェルダンの口調は、大佐同士、ただしシェルダンの年齢を下回る大佐、将官が片手で足りるが故の丁寧さだが、艦長「代行」、まだ臨時の大佐だとの意識が強い貴水の口調にも、若干の遜りがあった。


「出来れば…コルム中将のご遺体の検分を、医局に頼めないかと。具体的には血液検査ですが…」


 シェルダンの片眉が僅かに動いたのを見た貴水が、慌てて具体的な内容を言い添えた。

 見た目にも死因が明らかな中、少なくとも今、検分が必要な理由をまず述べなくては、主観以前に理由にはなるまい。


「私はルナで、オーモット艦長が倒れられた場に居合わせました。トルナーレ閣下の副官である貴方に、それ以上の情報が届いていないのは、恐らく金星の中央議会か星域保安庁内部か、どこかで情報が留め置かれているのだと思いますが…。まず、オーモット艦長が脳梗塞で倒れられたと言う情報は、故意に原因を歪められています」


「……なるほど」


 トルナーレに届く情報は、まず、副官であるシェルダンの元に届く。シェルダンが知らないと言う事は、そもそもトルナーレ宛に届いていない、と言う事なのだ。


 もっとも頼まれずとも勝手に調べるのがシェルダンなので、周辺がキナ臭い事は察していた。ただ、その信憑性を貴水が裏付けただけである。


 ただ、驚く以前に、それで?と言いたい気持ちが表に出ていたのかも知れない。


 今、それを述べる理由には、まだなっていないと気付いた貴水も、そのまま言葉を続けた。


「自由行動中の街中で、突然苦しみだされたかと思うと、血走った目で言葉にならない呻き声を発して、道路に飛び出そうとなさいました」


「―――――」


 変化は一瞬、そして劇的だった。

 その瞬間、シェルダンの中でが繋がったのを、確かに貴水は見た。


 頭の回転が早いとは、こういう事を言うのだろう――との、見本を見たとさえ思った。


 ――血走った目に、らしからぬ声。


 少なくともシェルダンは、コルムにその徴候があった事を自分の目と耳で見聞きしている。

 荒唐無稽な疑問だと、彼が思う筈がなかった。

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