第3話 サン・クレメンテ攻防戦(3)
「――閣下」
通信回線越しとは言え響き渡った銃声は、
現在、光輝の艦に乗艦している老参謀、シャルム・バルルーク大佐が、慌てる事なく、むしろ気遣うような声を光輝に投げかけたが、光輝はそれを片手で制し、再度通信画面の方を向いて、僅かに息を吸い込んだ。
「阿呆、殺してどうする!背後関係が掴めないだろうが!」
撃った事そのものを責めている訳ではない光輝に、バルルークが「…そこですか?」と呟いているのが聞こえる。
『…っ…私に、心臓と眉間を狙う撃ち方しか…教えなかったのは、どなたでしたか……』
そして、さほど間をおかずに、僅かに息を切らせたそんな声が、通信回線越しに返ってきた。
その性格が苛烈に過ぎると言われがちな光輝に対して、条件反射だろうが皮肉を返せる強靭な精神の持ち主は、ほんの一握りだ。
沈着剛毅、と称されながらもその「彼」は、実は光輝と五歳しか年齢が違わない。
『すみません…完全にはトルナーレ閣下を庇いきれませんでした。お命には関わらないと思いますが…脇腹を…』
画面には当初、片膝をつくように
だが今はそこに、銃を片手に、光輝やバルルークに背を向けて、トルナーレを庇うように立つ、副官アーレス・シェルダン大佐の姿も映り込んでいた。
コルムから銃を奪うには、物理的な距離も時間も足りないと判断したシェルダンは、とっさにトルナーレの方へと走った。
そこから予想されるのは、トルナーレの楯になろうとする事であったが、光輝の予想に
自分が動く事で、恐らくトルナーレへの弾道がずれると踏んだシェルダンは、コルムの一発目はそのまま撃たせ、その間にトルナーレがコルムに向けようとしていた銃を奪って、コルムを撃ったのである。
トルナーレに、万一にでも、長年の部下であった副司令官へ、銃を向ける事への躊躇があった場合、ただトルナーレを庇っていたのでは、コルムに2発目を撃たせてしまう。
その芽を摘む唯一の方法を、シェルダンはとったのである。
優先されるのがトルナーレの命である以上、それは当然の判断だった。
…とっさに眉間を撃ち抜いてしまったのは、勘弁して欲しい。――とは、シェルダンの内心の主張だ。
もともと、シェルダンは武闘派ではない。
ただそれでは、万一の時にどうするつもりだと、かつて光輝に言われ、射撃の腕だけは、磨いたのである。
最も途中でどうやらおかしな磨き方をしたらしく、狙っても無意識でも、眉間と心臓しか当たらない撃ち方になってしまった。
後でその事を知って、暗殺者にでもなるつもりかと、顔面蒼白になった空戦隊の年下の友人が、非番やら何やらで顔を合わせる度に、シェルダンに掌を撃ち抜く事を教えているのは余談である。
――結局のところ、とっさの状況下ではまだ、シェルダンは眉間にしか当てられなかったのである。
「…シェルダン。その
トルナーレ自身には、まだ指揮をとるつもりはあるのだろうが、当然、最低限の応急処置は必要だ。
そして今、その処置を待つ時間はないと、光輝は思っていた。
いつ地球軍の艦隊が、局地戦を止めて矛先を向けてくるか分からない状況なのだ。
『……私です。
一瞬の躊躇の後、シェルダンはそれだけを答える。
――まるで、光輝の言いたい事が分かっていると言わんばかりに。
「トルナーレ大将」
光輝の呼びかけに、従卒や周囲の士官達に助け起こされながら、トルナーレが気丈に片手をあげた。
『部下に撃たれるとは、屈辱だな…。お前ほど、恨みは買っていないつもりだったが…』
そんな減らず口が叩けるくらいなのだから、本当に命に別状はないのだろう。
画面越しの光輝に向かって、トルナーレは僅かに口もとを歪めた。
『議員を送り届けたシーディアが戻って来るのが、俺の応急処置が終わるのと前後する筈だが、それまでは待てないと言う事だな?』
光輝は無言で頷く。
恐らく地球軍を今指揮している士官は、それほど甘くはない筈だ。
議員達を送り届け次第戻って来るつもりの、アルフレッド・シーディアも、そう思っているからこそ、戻って来ようとしているのだ。
『おまえとシーディアが揃って警戒しているところを無視すれば、後が怖いな…。良いだろう、状況は承知した。この艦の指揮権を、シェルダンにいったん預ける。あと、現・艦長代行の貴水大佐を次席権者として、フォローさせる。期間はシーディアが戻るか、俺の応急処置が終わるかまでの間だ』
トルナーレに視線を向けられたシェルダンは、予想していたとは言え、本当にあっさりと決断したトルナーレに、軽く目を瞠った。
その潔さは、いくら脇の傷口から血が止まらない、この状況下と言えど、さすが現在軍を束ねているだけあって見事だ。
シェルダンは感嘆の意を込めて、頭を下げる。
そしてそれは、臨時の指揮権を受け取る為の儀式の様なもので、次に顔を上げた時には、彼は既にこの艦の責任者として、発する言葉を決めていた。
トルナーレが医務室へ運ばれて行くのに前後するように――彼は告げる。
『こちら側の艦隊は、これから貴方の指揮下に入ります。光輝・グレン・カミジョウ准将。1時方向の敵に戦力を叩きつけるとの事。どうぞ我々もその戦力として、お使い下さい』
光輝の口角がゆっくりと上がるのを、確かにシェルダンは目にした。
「…いいだろう。骨は拾ってやる」
うっかりつられたのだろうが、奇しくもシェルダンの口もとにも不敵な笑みが広がり、互いの艦橋にいた士官達は、心なしか艦橋の温度が低くなったかのような錯覚に囚われた。
第一艦隊が第七艦隊の指揮下に入ると言う事に、違和感を覚える士官もいたのかも知れないが、一時的とは言え将官不在となった現在、第一艦隊内で抗議の声をあげる者は、もういなかった。
――血塗れの第一艦隊
「シェルダン。敵の艦隊の詳細を送れ」
そして光輝は、さも当然とばかりに、隣に立つ老参謀からすれば、無茶振りに聞こえるような事をシェルダンに告げた。
『敵の艦隊の詳細、ですか…』
問われたシェルダンの表情はしかし、バルルークが思うような、困惑の表情ではなかった。
どちらかと言えば、光輝の意図を図りかねた感じだった。
「調べただろう?敵の
果たして光輝の声は、挑発的だった。
光輝の下にいた間、シェルダンが相当な割合で口にしていた言葉がある。
〝お望みとあらば、お調べ致しますが〟
恐らくそれは、光輝の下を離れた現在であっても同じ事で、トルナーレがそもそも、副官であるシェルダンに何かを調べさせようとはしなくても、シェルダンはあらゆる事態を想定して、情報を手元に揃えようとする—―その確信が、光輝にはあった。
例えそれが活かされる事がなくても、だ。
「
『……っ』
通信画面の向こう側、シェルダンは僅かに身じろぎをして、息を呑んだ。
一体、今、自分は誰の部下なのか――そんな錯覚を感じさせる程に。
『…承知…しました……』
気圧されながらも頷いたシェルダンは、動揺を鎮めるように、ゆっくりと指揮シートの方へ歩み寄ると、肘置きの位置にある簡易端末を立ち上げた。
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