第2話 サン・クレメンテ攻防戦(2)
エリザベート・ラサラス准将は、父親が官僚と言う点を引いても、まずもって本人が優秀で、希少な20代士官、かつ唯一の女性将官である事も間違いではないのだが、過去も現在も、シーディアの庇護下にいたことはなかった筈である。
むしろ、トルナーレの方がよく面倒を見ていた覚えしかない。
そんな感情の推移が表に出ていたのか、真面目な話…と、ヘルダーには聞こえないであろう、囁くような声で、シーディアがふいに表情を改めた。
「こちらにも、色々と思惑がありまして。閣下には、可及的速やかに金星本星にお帰り頂き、とある流通ルートを潰して頂きたいのですよ」
「…とある流通ルート?それは、今の俺の立場で為し得る事なのか?」
「軍と議会の両方にパイプを持った今の閣下だからこそ…です。詳しくは、お帰りになる
シーディアはシーディアで、航路データの不正流出疑惑を追っていたところでの、ノティーツ曰く「内通者」の情報である。
決してトルナーレの身を案じていたからだけではなく、シーディア自身が、ノティーツと接触したかったのだ。
「後手に回れば、地下に潜伏されかねません。可能な限り早く金星本星に戻るには、艦の数を極限まで絞るのが唯一の方法です。ルートは片側だけを潰しても、意味がない。サン・クレメンテ側からも、引きずり出さなくては」
「…なるほど。ちなみにそれをトルナーレに頼まなかった理由は?」
「恐らく、今、戦線を持ち堪えている第七艦隊のフォローで、余裕がなくなる筈です。そもそも
シーディアは、随分と地球軍の艦隊を警戒しているらしい。
僅かにキルヴェットも、それを訝しみはしたものの、それはそう長い間の事ではなかった。
散々、時間がないと、シーディアが主張するのである。
一時的に復帰をしようと、既に現役の軍人ではないキルヴェットとしては、そちらを優先するしかなかった。
何だかんだと、戦艦の司令官室の指揮官用シートに再び座れるのが、楽しみになっているのかも知れなかったが。
「そう言う事なら、通常航路ではなく、緊急用短縮航路の方を遠慮なく使わせ貰おうか。法規局あたりが激怒しそうだが、そこまでは関知しないからな」
かつての軍トップは当然、特殊航路の存在も知っている。
「むしろ、そうして下さい。大丈夫です。ラサラス准将なら、一般航路データにない、初見の航路でもきちんと抜けられます」
後にヘルダーに聞いたところによると、この時点でヘルダーが、議員代表としての強権を振りかざさなかったのは、政治家としてのキルヴェットの経験よりも、元・軍トップだった経験の方が、その時点では余程安心出来たからなのだと言う。
それでも、自身の護衛が極限まで削られている事に全く文句を言わなかったのだから、キルヴェットよりも遥かに若いにも関わらず、将来の大物の器を感じさせた。
一番の被害者は、大物議員に元・軍トップ、彼らを民間輸送船団レベルの数で、初見の航路の中を連れて帰れと言われたエリザベート・ラサラスとその部下達だろうが、そこはキルヴェットの現役時代ばりの指揮もあり、特殊航路の中を、更に短縮させると言う離れ業で、本星に帰星してのけた。
「まぁ、貧乏くじと思うな、ラサラス。今回は俺の権限でちゃんと引き上げてやるし、借りはトルナーレとシーディアから後日取り立てるから、心配するな。おまえは、よくやった」
実際には時間差があるのだが、そこはキルヴェットが「途中で哨戒艦隊同士の戦闘に遭遇し、ラサラス准将が混乱の中から自分たちを逃がしてくれた」との話を押し通し、トルナーレもシーディアも、そこに沈黙で賛同の意を示した。
更にキルヴェットは彼女を戦場には引き返させずに、金星側からの情報漏洩に関わるルートの摘発にも巻き込んで、結果的に前線を離れている事に対して、どこからも文句の言えない状況に、彼女を置いたのである。
本人にとっては、純粋な功績と言い切れず、釈然としないようだったが、この件を持って、エリザベートは女性として初の少将に昇進、後に〝フォーカード〟と称される20代将官の一角に食い込んでくる事となる。
元・軍トップの威光はまだまだ強力である事を、誰もが認めざるを得ない一連の処理ではあったが、そのキルヴェットをもってしても、さすがに「第一艦隊司令官フレッド・トルナーレの負傷」には、眉をひそめた。
艦隊そのものが瓦解した訳ではないと言うから、恐らくは、内部で何かあったのだろう。
「シーディアの懸念は正しかったか…」
いくら元・軍トップと言っても、戦況に関する情報までは、〝限定復帰〟の肩書が外れた後では、リアルタイムでの入手は難しい。
議員としての仕事も、もちろんある。
キルヴェットは忸怩たる思いで、星域保安庁からの続報を待った。
* * *
第一艦隊の増援は、確かに光輝にひと息吐かせた。
特に司令官旗艦を失っていた、基地を守る側にいた艦を吸収してくれたのは、有り難かった。
『…何って言うか、戦列を保たせた事を褒めりゃ良いのか、こうなる前に司令官止めろと怒りゃ良いのか…』
状況確認のため、開かれた通信回線の向こうで、トルナーレは複雑な表情を浮かべていた。
光輝としては、忠告はした、と言いたいところではあったが、殊ここに至っては既に無意味と思ったため、押し黙るしかない。
『聞かせるつもりのない忠告は、忠告と言わんからな』
光輝の表情で、言いたい事を察したらしいトルナーレも、そんな風に言葉を続ける。
上層部の大多数と折り合いが悪い光輝の性格は、トルナーレもある程度承知している。
だが戦いはまだ、各箇所で小規模に続いたままだ。光輝も無意味な反発はせずに、この合流で見えてきた「落としどころ」をトルナーレに告げた。
「1時方向の艦隊を集中して堕としたい」
『ほう?』
この時点で、相手が地球軍の第一艦隊である事を光輝は知らなかったが、驚くほど艦隊間の連携が取れている点は把握していた。
そうして戦いを続けていた間に、死角ではなく、どこがこの連携を可能にしているのか、
「
『…確かに、基地へ入れない現在、目の前の基地からの補給は計算出来ないからなぁ…』
やや意外とも思える事に、第一艦隊が増援として合流した事を、手放しに光輝は喜んでいない。
トルナーレ自身、この合流で、一気に全てを叩く事も視野に入れていたのだが、短い思案の後、実際ここまで相手と戦ってきた光輝の言を、彼は採った。
そのあたり、一兵卒からの叩き上げであるトルナーレは柔軟である。
『迂遠な!泣く子も黙る第一艦隊司令官が、カミジョウ如き若造に屈すると仰有るか!』
だが、ここで思わぬ声が、トルナーレの後方からあがる。
ヘルダー議員らを送り届けるために、艦を離れた参謀のシーディアに代わって、一時的に副司令官がそこには乗艦していたのだが、そもそも、彼は20歳近く年齢差がある光輝が、格は違えど同じ将官の地位にある事を快く思っていなかった。
だがこの時は、大きく見開かれた目が驚く程に血走っていて、普段よりも更に様子がおかしかった。
光輝を快く思っていない、で済む空気ではなかった。
『やはり第一艦隊の長にふさわしいのは、貴方ではない!』
『コルム⁉︎』
上層部からの罵詈雑言は、良くも悪くも日常茶飯事だった為、当初は聞き流すつもりでいた光輝だったが、トルナーレが僅かに目を瞠り、銃の装填音が通信画面越しにも聞こえてきた段階で、思わず立ち上がっていた。
「——っ、シェルダン‼︎」
通信画面に姿はなかったが、トルナーレの副官として、絶対に近くにいる筈の、以前の部下の名を、光輝は叫んだ。
戦場において上官の許可がある時を除いて、銃の携帯は佐官以下には許可されていない。
従って大佐であってもアーレス・シェルダンは丸腰である筈なのだが、それでも、何とかしてのけるだろうと、光輝は踏んだのである。
『——————』
――二発の銃声が、通信回線越しに響き渡った。
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