【初心者向け雑解説】人物の名前表記(姓・氏・諱・字)

 中国史における漢人の人名表記について、割りと全時代で共通ルールがあるので解説しておきます。


 まず「せい」と「」ですが、いわゆるファミリーネームです。

 姓というのは共通の先祖を持つ広範囲の血縁集団を指し、氏というのは同姓の中で細分化された血縁集団です。

 考古学的に言えば、姓は「部族」の名前、氏は同じ部族の中の「氏族」という形になります。


 ただし、姓と氏が明確に使い分けられていたのは春秋戦国期くらいまでで、漢代ごろには姓も氏も言葉としては残りましたが、両方ともほぼ同一の物として使われ始めました。


 ちなみに日本では、大和やまと言葉に存在した「うじ」と「かばね」に、それぞれ漢字が流用されただけなので、文字が同じというだけで日本の氏姓制度は全くの別物です。


 「いみな」とは、ファーストネーム。

 個人を指す物で、名乗る時は単純に「」と言います。


 ただし中華の文化では、諱はその人の魂に直結する物とされ、口に出して呼んでいいのは主君や両親など、目上の者だけです。格下の者は勿論、同格の者は、諱を口にしただけで失礼な事とされました。


 しかし個人を呼ぶ時に諱を口に出せないのは当然困るって話で、諱を呼ばずに個人に呼びかけられる物として「あざな」を別で付けておくという文化が現れました。


 このあざなという文化、紀元前の頃は勿論、二十世紀の文化大革命の辺りまで三千年以上も使われているので、中国史とは切っても切れない物です。


封神演義ほうしんえんぎ』でお馴染み、太公望たいこうぼうは紀元前の人なので、姓と氏が分かれていました。


 彼の場合は


 姓=きょう

 氏=りょ

 諱=しょう

 字=子牙しが


 司馬遷しばせんの『史記しき』などでは「呂尚りょしょう」と表記され、小説『封神演義』では「姜子牙きょうしが」です。一見すると全く違う呼び方をされていますが、どちらも同一の人物を呼んでいるわけです。


 ちなみに「太公望」というのは、彼が仕えたしゅう文王ぶんおうからそう呼ばれていたという、いわば通称ですね。




 ちなみにいみなを呼んでいいのは目上の者だけですが、あざなもまた同格以上で親密な間柄の者だけという暗黙のルールがありました。

 その為、格下の者が目上の者に呼びかける時は、「姓(氏)+爵位・役職」で呼びます。


 『三國志』でお馴染の劉備で例を挙げてみましょう。


 姓=りゅう

 諱=

 字=玄徳げんとく


 彼を「劉」と呼んでいいのは、目上である皇帝や両親だけです。同格や格下の者が「備」を口に出すのは、それだけで「お前は俺の下だから」という挑発的な意味合いになってしまうわけです。


 「劉玄徳」「玄徳」と呼ぶのも、やはり同格で仲の良い間柄のみです。


 では、彼の部下や目下の者が呼ぶ時にはどうしたらいいか。

 義兄弟の契りを結んでいる義弟の関羽かんう張飛ちょうひなら、「兄者あにじゃ」「長兄ちょうけい」「大兄たいけい」などと呼び、それ以外の者は「劉将軍」や「皇叔こうしゅく(皇帝の叔父の意味)」と呼ぶわけですね。


 『三國志演義』での呂布りょふや、民間伝承の逸話での馬超ばちょうが、劉備と謁見した時に「玄徳」と呼んだ事を、いちいち義弟の張飛が「てめぇ何様だ!」とキレ散らかしてるのは、それらのルールを知った上でなら理解できるかと思います。




 あと、それらとは別におくりなという物があります。その人が亡くなった後に付けられる物で、現代仏教における戒名かいみょうみたいな物ですが、歴史書においては生前の出来事もこの諡で書かれている事があって、それをそのまま小説の人物名にしているケースもたまにあったりします。「実際には生きてる時にその呼び方はされてないよ」ってなる奴ですね。




 とまぁ、そうした本来のルールを書きましたが、日本のサブカルでは気にされない作品も多いので、あくまで「本来はこうだよ」という予備知識として提示しておきますね。





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