三皇五帝、夏、殷、西周

【初心者向け雑解説】どんな時代なの?――①三皇五帝、夏、殷、西周

 各作品を楽しんで頂く為に、各時代枠の頭に初心者向けの大雑把な解説を入れて行こうと思います。


 さて、中国通史として最初の時代枠です。


 よく中国四千年とか五千年とか言われますが、要するにそこからになります。

 ぶっちゃけて言えば「神話・伝説」の時代であり、考古学的に言えば石器時代~青銅器時代という事になりますね。


 特に三皇五帝さんこうごてい時代は神話上の神々やら、怪物退治をした伝説の英雄、理想の君主像となる聖人などのお話。

 そこを考古学的に攻めるなら、そうした神話・伝説のモデルになった人物を想像して描く石器時代のお話という括りになるわけですね。


 内訳は諸説が分かれますが、ここでは『史記しき』を基準として、伏羲ふっき女媧じょか神農しんのうを三皇とし、黄帝こうてい顓頊せんぎょくこくぎょうしゅんを五帝として、名前だけ紹介しておきましょう。


 王朝というのは、生涯を黄河の治水に費やしたという人物が、五帝最後の一人である舜から王位を引き継ぎ、人々を治めた事から始まるとされています。

 ただしこの夏王朝も、それに相当するという遺跡は発掘されていますが、当時の文字史料が現状では出土していない為、未だに細かい部分が確定はされていません。まだ文字が無かった時代という可能性もあります。

 生活のほとんどはまだ石器を使用し、青銅器は貴重品。王様が住んでいる所すら茅葺かやぶき屋根の小屋だったような、そんな時代なわけです。


 その後、いん王朝が取って代わります。

 伝説によれば、夏王朝最後の王・傑王けつおうは暴虐な君主で民を苦しめていたので打倒され、それを倒した天乙てんいつ湯王とうおう)が殷王朝を興したとされています。ただしあくまでも伝説であり、実際にはどうだったか分かりません。

 少なくとも両王朝に相当する遺跡が存在している以上、「殷が戦争で夏を滅ぼした」という事実だけが残ります。


 そんな殷王朝は、本格的に青銅器が使われるようになり、文字(甲骨文)による一次史料も出始め、宮殿の跡地なども発掘されるなど、文化的にかなり進んできました。

 流通に関してもそれまで物々交換であった所から、王族などは鼈甲べっこう佩玉はいぎょくなどの宝飾品を、庶民は貝殻を貨幣代わりにして売買が行われるようになりました。

 ちなみに「貨、販、買、財、費、貴、賤」など、金銭に関わる漢字に「貝」の字が入っているのは、この時代の名残りのようです。


 さてそんな殷王朝ですが、伝説によると湯王が建国してから約五百年後に、帝辛ていしん紂王ちゅうおう)という稀代の暴君が出てきたとされます。

 后である妲己だっきを溺愛し、酒池肉林しゅちにくりんの贅沢三昧を行ったとして、後世にも暴君と悪女の代名詞として幾度も引用される事になります。


 殷から西伯侯せいはくこうという爵位を得て西方を治めていた姫昌きしょうしゅう文王ぶんおう)という貴人が、呂尚りょしょう太公望たいこうぼう)という名の賢人と出会います。

 太公望の助言を得た姫昌は、民を大事にする政策を取って国力を高めていきます。

 姫昌が亡くなった後、その息子の姫発きはつ(周の武王ぶおう)が周を建国し、太公望の知略を以って殷を滅ぼすわけですね。


 この紂王と妲己、太公望、そして周の文王、武王らによる、歴史上の「殷周革命いんしゅうかくめい」は、妲己を妖狐、太公望を仙人として描いた『封神演義ほうしんえんぎ』という娯楽作品で後世にも親しまれています。


 そうして天下の主となった周は、王朝だけならそこから約八百年も続くのですが、殷周革命からおよそ三百年後に大きな事件が起こります。


 その頃の周の王は幽王ゆうおうと言って、周を建国した武王から数えて第十二代に当たりました。彼は西方のしんから皇后を娶っていましたが、後宮にいた若い娘・褒姒ほうじを溺愛し、申皇后を廃して褒姒を皇后に据えてしまいます。

 申皇后の父に当たる申侯しんこうはそれに怒り、異民族である犬戎けんじゅうを率いて王都に侵攻し、幽王を殺害してしまうのです。

 申侯は、申皇后の子であり自身の孫でもあった宜臼ぎきゅう平王へいおう)を新たな周王に建て、反対勢力を攻め滅ぼします。


 しかしその結果として、周王室の権威が損なわれ、王室を無視して諸侯が勝手に争う時代になってしまうわけですね。

 これが次の時代枠に当たる「春秋しゅんじゅう戦国せんごく」という乱世の始まりになってしまうのです。


 申侯が幽王を攻め滅ぼした際、周の都である鎬京こうけい(後の長安ちょうあん付近)は破壊され尽くしてしまい、東の洛邑らくゆう(後の洛陽らくよう)へと遷都しています。

 その為、武王から幽王までを「西周せいしゅう」、平王以後を「東周とうしゅう」と呼び、この後の春秋・戦国の両時代を合わせて「東周時代」とも呼ぶわけですね。




 参考までに、西周の時代に「天下」という概念が生まれ、周王室に服属していない諸侯や異民族を、一括りに「夷狄いてき」と呼びました。

 王都の位置から見て東西南北それぞれを「東夷とうい」「西戎せいじゅう」「南蛮なんばん」「北狄ほくてき」と呼び、これはこの後の時代でも頻繁に出てきますので、覚えておくと良いかもです。






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