第8話図書館

 図書館はしーん、と静寂に満ちていた。誰かが勉強する音が、誰かが歩く音が、誰かが本を読む音が、静寂だからこそ、小さく主張している。



 お昼ご飯を食べた後、すぐに図書館に向かって勉強を始めた。


 昨日相談した通り、千桜さんは、勉強の進行度合いを確認するための基礎的な数学の問題を解いて、それに対してわたしも間違ったことを教えてしまわないように、数学の復習をする。


 何個か問題を解いてから、気づく。図書館って結構集中できない。


 教室よりも静かだけど、自分の部屋と違って、多くの知らない人の存在を近くに感じるのが、少し気になってしまう。


 周りをきょろきょろとみると、前の席には勉強に疲れてしまったのか、お昼ご飯を食べて眠くなってしまったのか、机に突っ伏せて、女の子が眠っていた。後ろでは、館員さんが返却された本を棚に戻している。

 隣をみれば、千桜さんは集中して、目の前の問題に向かっている。私が見ているのにも気づいていないみたいだ。


 辺りに散った意識が今度は自分に向いて、眠気を自覚する。自覚して、前の女の子みたいに突っ伏せてみる。隣を見たままだったので、千桜さんの集中している顔が覗き込めた。いつもは前髪が少し隠している目も、よく見える。

 

 まつげがつんと上を向いて、真剣なまなざしが半分ほど埋まったページに注がれている。玉のような肌に、つんつんと突っついてしまいたくなる頬っぺた。ふわふわとしたくせっ毛が揺れて、ご飯を前にしたわんこを幻視する。真剣な瞳がそれを打ち消してしまうけれど。

 

 そのままぼーっと眺めていると、千桜さんがうーん、と唸って顎に手をやって何か考え始めた。教えるということはなかなか機会がなかったけれど、ようやくわたしの出番かもしれない。


 ついに千桜さんの集中がとかれて、視線がノートから流れる。目があった。


「え?……え?」


 と千桜さんが戸惑う。ついさっきまで、真っ直ぐにノートを見ていたのが一転して、視線がせわしなく動いていた。


「わからないところ、ある?」


 なるべく小さな声で、しかし千桜さんには聞こえるように、囁く。


「え、えっと。あっ」


 千桜さんが何か答えようとして、周りの咎めるような視線に気づいて口を手でふさぐ。大きい声では決してなかったけれど、静かな図書館には響いたみたいだった。

 だったら、


「文字でおしえて」


 と自分のノートの端に書いて、千桜さんの方に寄せてから、とんとんとペンをたたいてアピールする。

 すると千桜さんも参考書の数学の問題の一つに、おそるおそるペン先をあてた。


 問題を見ると、確かにちょっと難しい問題だ。椅子ごと体を寄せて、千桜さんのノートに途中まで書かれた式に、書き加えたり、解法を文字で説明したりする。なかなかに分かりやすい説明を書けたと思って、向き直ると、間近に千桜さんの顔があった。


 近い。泳いでいた視線がぴったりと合って、見つめあう。真剣なまなざし、ではなく、あまりにも顔が近くて目を離そうにもできない感じだった。


「あ、」


 千桜さんが声を出そうとしたので、その唇にひとさし指をあてて、止める。


「しー」


 さっき目立ってしまったばかりだから、静かにしなきゃ。


 すると、千桜さんは顔を赤くして、わたしの肩を押す。目線は外れて、千桜さんはまた集中するようにノートに顔を寄せて、勉強を再開させた。


 わたしも自分のノートに向き直って、問題を解こうとすると、とんとんと肩をたたかれて、静かにノートの切れ端が差し出される。読んでみると、かわいらしい文字で小さく、ありがとうと書いてあった。


 千桜さんを見るとまた机に突っ伏せたような格好でノートにペンを走らせていて、でも、耳が少し赤くなっているのが見えた。


 切れ端を手に取ってしげしげと眺める。なんだか賞状でももらった気分だった。高校に入って、もう勉強を頑張っても褒められることもないし、部活も入ってないので表彰をもらうようなこともない。それでも勉強に関しては、習慣もあって、中学生と同じように頑張っていて。誰も見ていない、見てくれなくなった努力をなぜだか今、認められた気がした。


 小さな賞状を折れ曲がらないよう大切に、プリントが入ったファイルに挟む。隣から何か焦ったような感じがしたけど、気にせず勉強を再開した。





……

「ど、どうかな……」


「んん」


 千桜さんから、千桜さんの勉強の進捗度合の評価を聞かれて、悩む。あれから千桜さんは数学、英語、世界史、と問題解いていったけど、数学と英語は結構できていて、世界史はボロボロだった。理解できてはいるけれど、単純に暗記不足といった感じだ。

 なんて言えばいいんだろう?


「暗記、したほうがいいかも」


「うう、うん」


 結局簡潔にストレートに伝えてしまったけど、千桜さんも自覚はあったようで、落ち込みはするものの、素直に受け入れてくれる。


「また一緒に勉強しようね」


というと


「わ、私の方こそ、お願いします……」


と、なぜかかしこまった調子で、でも色よい返事がもらえた。

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