第5話あーん

  唯ちゃんに手を引かれて、連れていかれた先は食堂ではあまり人気にんきのない席だった。長テーブルが並ぶ食堂の端っこの方で、奥まったところにあり、日も当たらないし、照明も少し遠くてなんだか暗い。ぼっちの私でも食堂が混んでいるときにしか使わないようなところで、でも、あまり注目を集めるようなところではないから今の私にはちょうど良かった。


 3限目の授業の時に目をこすったから、目元が赤くなっているかもしれなかったし、顔はついさっきのことで赤くゆであがっていることだろう。通常通りの時でも顔を見られるのは恥ずかしいのに、今そんな状態ならなおさら誰かに見られるのは嫌だった。


「ここに座ろう。」


 と、唯ちゃんが二つ椅子を引いて奥の方の席に私を誘導する。私が座ってから唯ちゃんもその隣に座って、どちらともなく、つながっていた手が離れた。なんとなく気恥ずかしくなって、さっきまでは気にも留めていなかった自分の手汗が気になってしまう。

 食堂のおばちゃんが食券の番号を呼ぶ声や、おしゃべりの声が木霊して、それでも私たちの間には静かさがあって、唯ちゃんが少し動くときぬが擦れる音が鮮明に聞こえる。すぐそばの喧騒もどこか別世界のようで、高鳴る心臓の音だって唯ちゃんに聞こえてしまえそうな気さえした。


 なにかを言うこともできずに少しの間そうしていると、唯ちゃんが突然立ち上がって、


「持ってくるから、まってて。」


 と言った。私はろくに返事もできないで、そのまま唯ちゃんを見送ってしまう。多分だけど、私たちの食券の番号が呼ばれたのだ。唯ちゃんに手を引かれるままここに移動してきて、食券を回収することなんて頭になかったけど、唯ちゃんは私の分も含めて食券を回収していたようだった。


 落ち着くために深呼吸をひとつ、ふたつ、みっつ……、としているうちに唯ちゃんが帰ってきてしまって、結局心を休めることはあまりできないままだ。それでも頬の熱さはだいぶ落ち着いた気がする。

 唯ちゃんは一つのトレイにカツカレーとカツ丼、お茶二人分をギュウギュウにして、それを両手でしっかり持って帰ってきた。そのトレイを私の目の前において、お茶をひとつとカツ丼を自分の席に持っていってしまう。


「あ、カツ丼……。」


 と、唯ちゃんの方に目を惹かれながら、さっきまでカツ丼が食べたいと思っていたからか、唯ちゃんがカツ丼を食べるのが意外だったからか、そうつぶやいてしまった。

 それに、カレーが食べたいって言ってなかったっけ……。

 すると唯ちゃんは、


「食べる?」


「その代わり……、カレー、食べさせて?」

 

 やっぱりカレーが食べたかったのかそう言って、交換を提案してきた。そんなにカレーが食べたいなら、カレーを頼めばよかったのにと思ったけど、そういえば唯ちゃんは私が券売機に倒れこんで、メニューなんかはほとんど隠れてしまった状態で食券を買ったのだった。ついさっきのことを思い出して、また少し顔が熱くなる。

 それでもその交換の提案はありがたかったし、お腹が空いていたから、はやく答えないとお腹がなってしまってさらに恥ずかしいことになりそうだ、と思って


「う、うん、いいよ。」


 と、少しどもりながらなんとか返した。

 すると、唯ちゃんは卵でとじられたカツを箸で一口サイズに切って、そのままお米といっしょにすくう。ふーふー、と少し冷まして、地面に落としてしまわないように手の平を下に添えて、私の方に持ってきて、


「あーん。」


 と言ってきた。


「え……、え?」


 と予想外のことに混乱してしまう。カツカレーとカツ丼のまるまる一つの交換ではなかったこともそうだし、唯ちゃんがあーん、されている状況なんて全く想像していなくて、まるで心の準備ができていなかった。

 それに、それにさっきまでは隣同士で座っていたから正面に向かいあうことなんてなかったのに、あーんをされることで唯ちゃんと正面に向かい合いざるを得なくなってしまって。


「はやく。落ちちゃう。」


 と言って、唯ちゃんが私を急かす。確かに箸の上の小さなカツ丼は、もう崩壊寸前で、このままでは唯ちゃんの手のひらに落ちてしまうことは確実だった。

 焦りながらも、私の勘違いで唯ちゃんに迷惑をかけてしまうことはどうしても嫌だと感じて。もう、覚悟を決めてしまおう。


 目をつぶって、パクっと食べた。


「おいしい?」


 と唯ちゃんが聞くけれど、恥ずかしさやら何やらで味なんかわかるわけがない。


「うん、お、おいしいよ。」


 それでも、なにかは言わないといけないので、美味しいよなんて適当に返す。何とか唯ちゃんからのあーん、の試練を乗り越えたけど、まだ私には大きな試練が待ち構えていた。


「次は、わたし。」


 私の感想に、ほんの少しだけど満足気な表情を見せていた唯ちゃんはそう言って、私の方に顔をよせて、目を閉じ、口を開けて私からのあーん、を待っている。

 ここまで来たら勢いだと思って、カツとカレーとお米をスプーンにバランスよく乗せて、改めて唯ちゃんと向き合った。唯ちゃんが目を閉じているからさっきよりましかもしれないと思ったけど、唯ちゃんの整った顔や綺麗な濡れ羽色の長い髪が間近に映って、頬が熱くなる。


「……あ、あーん。」


 と声に出して、スプーンを差し出す。唯ちゃんは一口分のカツカレーを黙々と咀嚼してこくりと飲み込んだ後、


「おいしい。」


 と言って、笑った。


 もう私は唯ちゃんを真正面から見ていられなくなって、赤くなった顔を隠すように、くるんと体を真横から正面に戻してカツカレーを食べ始める。


 スプーンをそのまま使ったから、途中で唯ちゃんと間接キスをしてしまったことに気づいて、私はさらに顔を真っ赤に染めることになってしまった。

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